この記事は試験勉強のための知識であったり法律的な知識が深められるような内容は一切含まれていない。
ぼくが本を読みながら思ったことをゆるくダラダラと書き連ねているだけなので、ぶっちゃけそういう目的の人には役に立たない記事であると予めことわっておく。
調べ方も甘いし、間違っている事だって書いているかもしれない。そんな感じのゆるいメモみたいなもんなので、ゆるく読んで欲しい。*1
ではまず、この記事のメインテーマとなる不能犯について少し話しておきたい。
ざっくり説明すると
不能犯とは犯罪の結果の発生を意図して行ったにもかかわらず、行為の性質上、その結果が発生しなかった為に刑罰の対象にならないという刑法学上の概念。
結果も発生し得ない為に、実行の着手*2であると認められず未遂犯*3にも問われないとされているが、不能犯と未遂犯の区別は学説上の対立がある。なお国内の刑法においては不能犯を処罰しないと明文された規定は無い。
といったところ。殺人未遂に出来るかどうかを考えるときに必要な概念だ。*4
殺意をもって100円均一で購入した水鉄砲を用いて、頭部に放水した場合、殺人未遂か不能犯か? と言えば分かりやすいと思う。
直感的な話をすると、一般人を以てして、頭部に被弾した水鉄砲の水が人を死に至らしめるとは到底考えられないもの。よって不能犯であり、未遂犯として処罰されることは無さそうだ。
ただし、この水鉄砲が魔改造されたものであり、水圧で鉄も切断可能なレベルで、それも至近距離から射出した場合は話が変わってくるだろう。死亡すれば当然既遂*5であるし、誰から見ても人を殺すことができる装置での行為なので、被害者が死ななくても未遂だろう。あくまで死亡する可能性があるかどうか、で問うんじゃないかな。
知らんけど……
ちなみに、被害者が極度の水アレルギーであり、少しでも触れたらショックで死亡する可能性があるということを加害者が知っていた場合はどうなるか? というのは今後、そういった裁判があったときに判決を見守るしかない。多分悪意*6の場合未遂犯だろうとおもう。
と、まあここまでがブレブレな直感だけで語る、不能犯のお話。
もしかすると、読者の皆さんも後述する例を読んでいくうちに、この水鉄砲の話は実際に起きてしまった時に、裁判になったらどうなるか分からない、と混乱してしまうかもしれない。
未熟者が思い付きでタイトルのような想像をしたために、調べ物をしてダラダラと書いた記事だが、お付き合いしていただきたい。指摘や批判は怖いと思う反面、ガチな人の考察も聞いてみたいところ。*7
では実際に不能犯であるか未遂犯であるかが争われた裁判にはどのような事件があったかを紹介する。
姪を事故死に見せかけて殺害するために致死量に至らない空気注射をした場合
これは昭和37年3月23日に出た最高裁判決。不謹慎ではあるが、一応勉強のために少しクイズっぽくさせてもらう。この裁判では被告人は殺人未遂に問われたかどうか、というのを考えてからスクロールしていただきたい。
- 1つ目の材料は、当時の弁護人が主張した空気注射の致死量が70ccであるとするBの鑑定結果と300ccであるとするCの鑑定結果。被害者は40cc注入された。
- 2つ目の材料は、BとC共に、体質や健康状態等によって平均致死量を下回る量でも死に至ることはあり得るとしている。
- 3つ目の材料は、被告人が、人の血管内に少しでも空気を送れば、その人が死に至ると考えていた事。
- 4つ目の材料は、第一審において、被害者に遺伝梅毒の存在が認められたこと。
さて、じっくりと考えていきたい。人を死に至らしめる意図でした行為であるが人が死ぬとは考え難い方法でその行為に着手した事例であることは材料から判断できる。
つまり
- 1、他人を殺害する意図がある
- 2、殺意をもって実行した
- 3、結果が発生しなかった
実行の着手であるかどうかを区別するためには、この1と2の間に入るのが40ccの空気注射をしたという行為が「行為の性質上、結果が発生しない方法」であるかどうかが重要なのではないだろうか。
この判例を読まずに、この裁判の結果を考えた時、ぼくは少し悩んだ。材料から判断するには医学的にほぼ死なない方法で、殺意をもって実行している。少しオーバーな話、水鉄砲の例に少し似ている。結果として被害者は死亡しなかったわけだが、これを殺人未遂として問えるかどうか? となると頭がパンクしそうになる。
まず、パッと思い浮かぶのが人を殺そうと思ってその行動をとったわけだから、それが殺人未遂として罰せられないというのは許されると言い難い話ではないか。ということ。
しかしながら、その考え方をとれば客観的に観て殺害が不可能な「呪い殺してやる」といった祈りが実行の着手であると言う理由で殺人未遂の被疑者が後を絶たなくなる。
イラっと来る上司や知人にそういうブラックな感情を抱いた人は少なくないだろう。もしそれで結果としてその人が死亡し「殺意があり、被告人がその方法で人を殺せると思っていた」というだけで罪に問えるというのであれば、刑務所と裁判所はパンクするのではないだろうか。
ぼくの足りない脳味噌で考えるのは限界があるので、ネットサーフィンでもしながらいろいろな説を読み漁ってみる。
科学的な法則を基に、結果が発生する危険がある場合に未遂犯として処罰するという考え方だとどうだろう。材料4*8から推測するに、この場合未遂のようにも思えるが、この考え方で行けば実際に死に至らなかった事も必然だったと言えるという見方もできる。
今回は方法の不能について話すつもりだが、他にも客体の不能*9という種類の不能犯と未遂犯の区別をする際、一般人の認識や行為者の認識がいかに着手だと認められるような場合でも、すべて不能犯となる。
そもそも徹底しすぎれば、ほぼ全ての未遂犯が不能犯になりかねない。実際、この事件においても結果として死亡しなかったということは、姪は40ccの空気注射では死亡する危険は無かったのではないかと言うこともできる。
もう少し冷静に、一般人が経験則上、結果が発生する*10危険があると認める場合で、この際に行為者の認識も考慮に入れて未遂犯であるか不能犯であるかを区別する考えを取った場合はどうだろう。
こうすれば、一般的に見て結果が発生しそうな行為を未遂として処罰ができるし、行為者が被害者の事情を知っていた場合*11も、考慮して未遂とすることができる。
この考えで行くと行為者は殺意をもって空気注射をし、行為者が40ccもあれば殺害が可能であると判断していることからも、一般的に見て結果が発生する危険があったのではないかと言える所からみて未遂犯であると言えるだろう。
じゃあ結果が発生しなかった原因となる事実を見て、結果が発生する可能性があったかどうかで考えてみよう。と思ったけど医学的な話はサッパリで、実際にこの姪が40ccの空気注射で死亡する可能性があったかどうかまで、ぼくには分からない*12。仮にその可能性があれば未遂なのだろうけど、その可能性すらなければ不能犯だろう。
さて、今回のケースをじっくりと確認してみよう。まず鑑定人のBとCは共に空気注射が致死量以下だったと鑑定している。つまり医学的に見て姪が死亡するとは考えにくいという事だ。しかし被告人はその致死量を知らずに40cc入れれば姪が死ぬだろうと考えて、殺意をもって注入した。ただし、姪には第一審において遺伝梅毒の存在が認められている。
そろそろ答え合わせと行こう
結果は【未遂犯である】
所論は、人体に空気を注射し、いわゆる空気栓塞による殺人は絶対に不可能であるというが、原判決並びにその是認する第一審判決は、本件のように静脈内に注射された空気の量が致死量以下であつても被注射者の身体的条件その他の事情の如何によつては死の結果発生の危険が絶対にないとはいえないと判示しており、右判断は、原判示挙示の各鑑定書に照らし肯認するに十分であるから、結局、この点に関する所論原判示は、相当であるというべきである。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/667/050667_hanrei.pdf より抜粋
今回の件においては、被告人が殺意をもって被害者を殺せるとは言い切れないが身体条件の事情によっては被害者を殺すことができないとはいえない方法をもって行為に及び、結果として死亡しなかったので殺人未遂である、となったわけだ。
最初に、直感的な話、未遂にするべきではないかと言って、結局未遂になったわけだが、未遂として処罰をするに至る流れは当然、そんなパッと考えられたようなものでは無い。控訴審*13では
医師でない一般人は人の血管内に少しでも空気を注入すればその人は死亡するに至るも のと観念されていたことは、被告人等四名がいずれも同様観念していた事実及び当審における証人戊の証言に徴し明らかであるから、人体の静脈に空気を注射することはその量の多少に拘らず人を死に致すに足る極めて危険な行為であるとするのが社会通念であつたというべきである。してみれば被告人等は一般に社会通念上は人を殺すに足るものとされている人の静脈に空気を注入する行為を敢行したものであつて、被告人等の本件行為が刑法第百九十九条にいう「人を殺す」行為に該当することは論をまたないのみならず、右の行為が医学的科学的に見て人の死を来すことができないものであつたからといつて直ちに被告人等の行為を以つて不能犯であるということはできない。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/229/021229_hanrei.pdf より抜粋
と、一般に社会通念上、人を殺せるとされている行為である事を区別の基準としていると言えるのに対して、上告審*14と第一審では被害者の身体状況を見て、科学的法則に基づき死に至る可能性がそこにあったと言えるかどうかで区別をしていると言える。ざっくりと言えばどちらも同じく未遂犯として処罰したという話なのだが、そこに至るまでの理由付けは異なると考えられる。
過去の裁判で、「方法の不能による不能犯」であるか「未遂犯」であるかが争われた例はいくらかある。例えば
硫黄の粉末を人に飲ませて殺害しようとした場合(大判大正6年9月10日)
警官から奪ったピストルを発射したが弾が装てんされていなかった場合(福岡高判昭和28年11月10日)
原料が違うため、覚せい剤の製造に失敗した場合(東京高判昭和37年4月24日)
触媒の量が不足していたために覚せい剤の製造に失敗した場合(最決昭和35年10月18日)
天然ガスを部屋に充満させて無理心中を図るも、ガスに毒性が無かったため目的を果たせなかった場合(岐阜地判昭和62年10月15日)
有名な裁判だけでもざっとこれほど挙げられる。各裁判の詳細はそれぞれ探してみると良いかもしれない。今回は方法の不能による不能犯の話だが、不能犯には他にも客体の不能、主体の不能という種類がある。またいつか、気が向いたらその話もしてみたい。*15
不能犯と未遂犯の区別の基準に限った話ではないが、法律の運用に関しては様々な説や見解があり、この区別の基準に関する説*16だけでも覚えきれるかどうか不安になるくらいある。
水鉄砲で人を撃ったらどうなるの?
では、最初の話に戻ってみよう。殺意を持って水鉄砲を被害者の頭部にめがけて撃った場合だ。
過去の判例から見るに、行為者が結果発生の危険があると信じて行為に及んだというだけで、未遂犯として処罰すべきとするわけにいかないことは明らかだ*17*18。
都市ガスで無理心中を図った例*19では、室内に充満させた都市ガスによる殺害(心中)を目的としていたものだが、人体に無害であることから不能犯であると主張し争った。しかし社会通念上、酸素欠乏症であったりガス爆発事故により人の死の結果発生の危険がある、その行為は人を死に致すに足りる危険な行為であると評価された。
硫黄粉末を服用させた被告人が第1行為の殺人未遂罪の成立を否定された件を見ると、その行為で結果を発生させることは絶対不能であるとされた。つまり、誰がどう見ても、一所懸命に屁理屈をこねたところで人を殺せない方法で行為に及んだところで、殺人未遂罪の成立を肯定することはできない。
さて、では水鉄砲に注目してみる。100円均一で購入した素のままの水鉄砲は社会通念上、人を死に致すに足る殺傷能力を備えていない。科学的法則に基づいて屁理屈をこねた所で、素のままの水鉄砲が人を殺せる武器であると評価するのは難しいだろう。
では今日の話に出てきた例を出すと、被害者の身体状況を見て、科学的法則に基づいて結果が発生する可能性があったかどうかという内容を追加してみるとする。最初に言った通り、重度の水アレルギーがあった場合だ。
ここで、2つの説を出してみる。
- A、一般人であれば認識することができた事情と、行為者が認識していた事情を基礎に、経験則上結果の発生する危険が認められる方法である場合とそうでない場合で区別する
- B、科学的法則に基づいて結果の発生しなかった原因となった事実が、結果の発生に適する可能性がある程度ある場合とそうでない場合で区別する
この2つの説から、それぞれの立場でこの水鉄砲殺人未遂被告事件を考えてみる。
こうなってくると、Aの説では行為者がその症状を知っていた上で撃てば、未遂犯として処罰する余地は十分にあるだろうが、症状を知らずに撃った場合は「一般的に誰から見ても実行の着手である」と認めるのは難しいだろう。行為者の認識していた事情だけでは、その行為が具体的に人を死に致す危険があるものとは言えないからだ。
Bの説では、行為者が水鉄砲を撃った際、その症状を知っていようが知っていまいが、死に至る可能性があったとして評価することができる。そして行為者に殺意がある以上、実行の着手として認められるというわけだ。つまり、どちらにしろ未遂犯だろう。
たぶん。
さいごに
色々な説や見解の立場から、不能犯であるか未遂犯であるかを考えてみるのも頭の体操になるのかもしれない。例えば今回のタイトルにもした水鉄砲の例であったり、青酸カリで毒殺しようとしたけど勘違いで実際に混入したのは甘味料だった場合であったり。
パッと思い浮かんだようなものとは違う結論に行きつくこともあるかもしれないし、直感で言った話と同じ結論だったとしても、より説得力のある説明ができるような理由付けができるのかもしれない。
ただ1つだけ言えるのは、これをひたすら考えたところで、ニートであるぼくの実生活には何の影響もないという事だけである。せいぜい、裁判員に選ばれた時くらいだろうか。
自分がもし裁判員として、こういった難しい事件の判断をする必要が出た時、冷静に物事を考えられるように、ちゃんとこういう勉強もしておかないとな、って思った。
読書も調べ物も下手くそだから、色々と勘違いしたままトンチンカンな事言ってるかもしれない。もっと勉強したい。
そして、殺意をもって「こいつー☆彡」と言いながらおでこをツンと突いた時に、それが秘孔であると知らなかった場合についても考えてみたい。
ではでは
▼参考にした本
p134-135、p138-139等で、今回紹介した事件について解説されている。かなり参考にした。この本の中で参考文献として紹介されていた危険犯の研究 (1982年)、未遂犯の研究 (1984年)、客観的未遂論の基本構造はamazonで何とか買えるのかもしれないから、ちょっと読んでみたい。*20
▼この記事よりもうちょっとゆるい記事
▼かなりゆるい記事
▼完全にゆるい記事
*1:書いてる最中、1万文字くらい削ってゆるくしました
*2:犯罪の成立要件の1つである実行行為の開始のこと
*3:着手があったが、それを遂げられなかった場合減免措置をされる。例として殺人未遂など
*4:特にタイトルのような場合
*5:未遂の対義語
*6:注:ここでいう悪意とは行為者が被害者の症状について知っていたという意味
*7:当方、低学歴ニートである。誰が言ったか? 論でいけば完全に無価値な記事。
*8:第一審において、被害者に遺伝梅毒の存在が認められたこと
*9:例えば今回のケースで行くと、行為者は気付いていなかったが姪は空気注射をする前に死んでいた場合など
*10:この場合、姪の死亡すること
*11:たとえば水鉄砲の例でいう被害者が極度の水アレルギーだった場合など
*12:鑑定人B、C共に材料2において、下回る量でもあり得るとは言っているがそれがどの程度なのか少なくともぼくには判別できない
*13:ザックリ言うと第一審での判決に不服があった場合に開かれる裁判、今回の場合高等裁判所
*14:ザックリ言うと控訴審の内容に不服があった場合に開かれる裁判、今回の場合最高裁判所
*15:するとは言っていない
*16:純主観説、抽象的危険説、具体的危険説、客観的危険説、客観的危険説中でも色々ある見解など。
*17:大判大正6年9月10日
*18:ただし当該事件では、第1行為の硫黄を服用させた事につき殺人未遂の成立を否定したが、第2行為の絞首によって被害者は死亡。被告人は殺人の既遂犯として処罰されている
*19:岐阜地判昭和62年10月15日
*20:ぼくが理解できるとは言っていない