こんにちは。Renaです。
今回はMilkの「恨み」の記事に便乗してみました。
メンタルの病気を患って9年目を迎えようとしています。
この病気になった原因は人間関係。
簡単に言えば学生時代にいじめられたり、逆に付きまとわれたりしたことです。
端的に書いてしまうと「こんなことで…」という印象が強くなりますが、結構壮絶だったんですよ?
恨みはじめた
発病してしばらくは希死念慮にさいなまれ、とにかくこの苦しみから解放されたいと思っていましたが、しばらくお休みして元気が出てくるとある考えが浮かびました。
「こうなった原因は誰にあるのか?」
そのときの私には自分自身が何か大きな間違いを犯したようには思えませんでした(正直今も思えませんが)。
自然と矛先は周囲の人間、いじめたりつきまとったりした人たちに向かいます。
彼らが私を追い詰めなければ発病はしなかった。
こんな地獄のような苦しみも味わうことはなかった。
許さない。死んでも呪ってやる。
休学期間が明けて、仲良さげに接してくる彼らに対して表面上は優しく接していましたが、内心はむせかえるほどどろどろとした感情を抱えていました。
崖に手をかけて今にも落ちそうな彼らの手を、足でじりじりと踏みつけては奈落に突き落とす想像をよくしていました。
何が真実?
が、その状況にも変化が起きます。
彼らと接する中で、必ずしも悪いところばかりではない、むしろ一人ひとりの単位で見たとき彼らは大変魅力的な人間であるということに気付き始めたんです。
でもここから葛藤が生じます。
なぜこんなに魅力にあふれた人が私に地獄を味わわせたのか。
おかしいじゃないか。矛盾している。
何が真実なんだ、誰が悪かったのか、人はみなこういうことをする生き物なのか。
自分の中で納得できない何かを抱えながら、このときはそれでも恨み続けることしかできませんでした。
卒業後
就職し、彼らと距離が空くと、生活は一変しました。
周囲の方は学生時代と違って私に自己肯定感を与えてくれる方ばかりでしたし、私のポジティブな面を高く評価してくださいました。
上司の芯の強さに憧れ、時に衝突しました。
同じグループの方々はそれぞれに過去に何かを抱えているようでしたが、いつも笑顔で私と接してくださいました。
しかし退職するとまたじわりじわりとあのときの感情がよみがえり、病気が悪化。
問題行動も増え、結局私は入院するまでになってしまいました。
入院先の病院で、ある患者さんが言いました。
「恨んでいる人がいる。あいつらは犬畜生と同じさ。人間だなんて思っちゃいけない」
…この方の発言に私は同意することができませんでした。
人が好き
だって、私の恨んでいる人たちは人間らしい人間だから。
それぞれに魅力があって欠点があって、羨んだり悩んだり、彼らなりにもがきながら生きているのだということになんとなく気付いたのです。
結局のところ、私は人が好きなのだと思います。
私の病気は完治するということがなく、生涯治療が必要です。
そんな病気になったのだから、一生、原因を作った人たちを恨み続けてもおかしくはないでしょう。
それでもそんなことはできませんでした。
…正直、恨み疲れたというのもあります。
何度も何度も自分の中で醜い感情を反芻し、またそんな汚い自分と向き合うことに疲れました。
でも、それだけでなく、周りの人たちの営みが生き生きと輝いて見えるようになったのが大きいと思います。
今、学生時代を振り返ると、きっと彼らは悪意の塊ではなく、ただ不器用だったのだと思います。
彼らが私にしたことは決して正しいとは言えませんが、今思えばなんとも人間味のある対応でした。
羨ましさ、蔑み、嫉妬、自惚れ…。
どの感情もキレイではありませんが、私たちを形作る重要なものです。
今なら、そこまで愛して受け止めてあげられる気がします。
そして人を恨んでいた過去の自分までも許せるような気がするのです。
さいごに
私がここまで変わるのに必要だったのは、人との出会いと、時間です。
時間が経つことで見えてくるものがあります。
祖母はよく「日薬(ひぐすり)」という言葉を使いました。
「時間が解決してくれるよ」というものです。
ここまでくるのに9年かかりました。
ちょっと長くかかりすぎた感は否めませんが、これでよかったです。
誰かを恨んでいる方は、別に焦らなくてもいいと思います。
今はどっぷりと深く暗いところに浸っていたいときなんですよね。
でも、いつかきっとそんな自分も相手も大切に思える時が来ます。