風が吹けば枯れ葉が落ちる
枯れ葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
人生フルーツ
名古屋から快速列車で30分高蔵寺ニュータウン
4万5,000人が暮らしています
昔ある建築家が言いました
家は暮らしの宝石箱じゃなくてはいけないと
こちらのお宅が出来たのは40年前
(津端英子さん)修たんちょっとこここれを持って。
(津端修一さん)もうちょっとこっちかな?
(英子さん)もっとこっちにしてほしい。
こっちこっち。
こっちやなくてこっち。
(英子さん)土が一番良くなったから出来るようになったのね。
土が良くないとやっぱりねあれだから。
英子さん87歳
修一さんは90歳
長く建築の世界で生きてきました
(修一さん)大きいですね結構。
(英子さん)あぁ!いいのが採れたね。
(英子さん)とうさん?
(英子さん)とうさん?あの人聞こえても返事しないからねいつも。
修たん?
(修一さん)はい。
(修一さん)じゃあ頂きましょう。
(英子さん)どうぞ。
おかあさんのりはある?
(英子さん)あっのりおとうさんの今持ってきます。
待って待って。
(英子さん)かけた?
(修一さん)かけた。
(英子さん)全部搾っちゃってくださいね。
足りなかったら切ってきますけど。
(修一さん)大丈夫。
(英子さん)ごめんなさいねバタバタして。
(英子さん)朝しっかり食べるのは昔からね習慣。
(修一さん)1日15日は江戸の職人は赤のご飯を炊いて栄養をつけたというから。
アスパラがねここなんですよ。
(英子さん)アスパラとサトイモ。
(英子さん)これはライムでしょ。
小梅とそれからこれが大きい梅ね。
(修一さん)おかあさん。
(英子さん)はい?
(修一さん)踏まないでというのも2つ作っておいたからね。
(英子さん)どこ?あぁありがとう。
これ見て。
フフフッ…。
(英子さん)エゴソロナラクヌギアベマキですか。
あと6本。
家は平屋で30畳一間
修一さんが尊敬する建築家アントニン・レーモンドの家をまねました
(英子さん)娘は電子レンジなんか使っていますけどね。
あんなのダメ。
使えないもん。
大体ガス湯沸かし器も怖いからつけなかったんだから。
(英子さん)もう今ほとんど大体一日に10通は書いているんじゃないですか。
僕手紙出してくるから。
はい。
そこでしょ?気をつけて行ってくださいね。
(修一さん)会っていなくてね。
お手紙だけでつながっているねお友達というのがねたくさんいるんですよ。
半田でね何国体があったでしょ。
その時に東大のヨット部が来たんだけど泊まる所なかったのね。
それでおじさんの紹介でうちの酒蔵が空いているからと。
それでヨット部の人がみんなそこで泊まったの。
あの人キャプテンだったから最初の話し合いに来た時もあの人来たし。
本当にね麻のヨレヨレのズボンにわらじ履いてきたもん。
変わった人だなと思ったけどもこんなに変わっているとは思わなかったけどその時は。
(修一さん)どれ?
(英子さん)これこれ。
(英子さん)ここ。
まだ小さいけど。
(英子さん)そんな式も何もやらない。
(修一さん)式やらない。
(英子さん)だからそこのヨットハーバーで。
どこ…。
危ない。
危ないねとうさん。
(修一さん)大丈夫かな。
あと見てあげるから。
ちょっと頭下げて。
こんな所通っちゃダメだ。
はい頭下げて行って。
だってもう結婚した時からお金がないんだもんね。
お金はなかったね。
(英子さん)ヨットが欲しいななんてひと言言って。
(英子さん)だからおとうさんが4万円のお給料の時に70万円のヨット買うと言った時にあっそうと。
普通になんとかしなきゃななんて思って。
ちょっとこっち向いて。
どこだ?あっここだ。
はいありがとう。
(英子さん)保険。
それも続かないから全部解約して。
それから質屋に通って。
そんな暮らしで着物もどんどん入れて。
僕は質屋に行ったことないんですよ。
おとうさんに言うとダメだから私一人で黙って。
そんなことおとうさんに言ったらあれだから。
(英子さん)古い酒屋でね。
200年ぐらいは続いたと言っていましたけどね。
(英子さん)女の子は笑顔を絶やしたらいけない。
夜以外はね横になったらいけない。
何でも言えるようになったのは結婚してから。
主人はねわりあいにこれやってもいいかしらと言うと何言ってもやってもね「それはいいことだからやりなさい」と言うもんだからそれでどんどん自分でやっちゃってそれで何でもしゃべれるようになったというか。
(英子さん)梅と柿とサクランボとそれからくりと。
だからこのうちを造った時から。
(英子さん)あぁすごい。
(修一さん)手を伸ばせば採れるからね。
(英子さん)ありがとうございます。
(英子さん)ほとんどジャム。
ジャムというかね。
これ酸味があまりありませんでしょ。
だから赤ワインビネガーを入れてね。
さあお上手に入れてください。
(英子さん)ちょっと食べてみて。
これじゃないのがいい。
ごめんなさい。
おとうさん金はダメだから。
(英子さん)修たんは木のスプーンでないとダメ。
はいどうぞこれ。
修たん。
(英子さん)私ね特にやっぱり晩年になっていい顔になったなと思うのね。
いい顔しているなと時々思ったりとそういうことはありますけどね。
(英子さん)愛しているとかそういう言葉だとね言えませんけどね。
なるべくおとうさんのいいようにやってあげたいなと思いますよね。
とうさん出来ましたよ。
用意出来ました。
出来た?
雨が降れば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
コツコツゆっくり
(英子さん)これ頼んじゃったらいいじゃないおとうさんと言っちゃうのね。
そうするとおとうさんがとにかく自分一人でやれることを見つけてそれをもうコツコツやれば時間はかかるけども何か見えてくるから。
とにかく自分でやることと。
まぁ全然虫にもやられなかったから良かったかもしれない。
この町が出来て半世紀
昔ある建築家が言いました
全ての答えは偉大なる自然の中に出ていると
(司会)日本住宅公団を創設と同時に入社されて阿佐ヶ谷団地や多摩平団地などを手がけたあと今皆さんがここにいる高蔵寺ニュータウンの計画に従事しておられます。
昭和34年ですけれどもショッキングな事件が起きます。
伊勢湾台風です。
5mの高潮が台風に伴って入ってまいりまして。
一夜にして濃尾平野の海抜0m地帯を泥沼にして5,000人の人たちの生命を失ってしまったわけです。
人間はどこに住んだらいいのかという命題をここで突きつけられたわけですね。
(修一さん)高蔵寺計画というのは日本の高地移転に挑んだ究極のプロジェクトだったと。
1960年名古屋の郊外にニュータウンの計画が持ち上がりました
設計を任されたのは住宅公団のエース修一さんでした
それまでに東京で18も団地を手がけていました
(修一さん)そのころ若干36歳でしたけれども白いキャンバスの上に思う存分にそのプロジェクトのマスタープランを描いてほしいと言われたわけです。
これなんですよ。
ほら。
(修一さん)尾根筋に建物を建てて地形を建物で強調してここはこういう山だったんだなということを住む人たちに伝えたかったんですね。
町の中に雑木林を残し風の通り道を作る夢の計画
(土肥博至さん)これ高蔵寺事務所。
(土肥さん)津端さん写っていないでしょ。
写らないんですよあの人は。
津端さんの描いた絵がここ貼ってある。
(土肥さん)津端さんという人はやっぱりそこがとても組織人としてはダメなところだしデザイナーとしてはすぐれたところだと思うけど。
勝手に来なくなるんですよ職場に。
まだしばらく行かねぇよとこう言うんですよ。
それでまぁ十日ぐらいしてから出てくるとこんなでかい図面を10枚ぐらい持って出てくるんです。
それでみんなの前でやっと出来たと言ってこう開くの。
(土肥さん)まぁ我々も全くまだひよっこだったけどこれは新しい時代のものだというのを感じるぐらいの。
(修一さん)土木部門から大きな反対がありまして。
こんな形での造成計画というのは考えられないと。
随分しつこく反対されたもんです。
もうとにかく量的な建設に対応して手に入る安い土地に高い建物を建てるというふうに方針変えるでしょ。
時代は経済優先
ニュータウンは8万人以上が住む大規模化に一直線
山を削り谷は埋められました
(土肥さん)アパートですから出来るだけ南に向いて日当たりがいい方がいいに決まっているのね。
だからそういう常識だけでいくとまぁかまぼこ並べたような町になってしまう。
どこに自分の家があるか分からなくなっちゃうような町というか場所はあまり人間的ではない。
まぁ結果として高蔵寺はこのマスタープランのようには造られていないから現物を見るとちょっとがっかりする。
(土肥さん)最大の最初の挫折はもちろん高蔵寺のニュータウンが途中から全く思った方向に進まなくなってきた。
でもそれが何でスローライフみたいな方向に行くのかは。
そっちに行かなくてももっと行く道はあったんじゃないかなとは思うけど。
逆にやっぱりそれまでの都市計画や建築とは距離を置きたくなるという気持ちも分からなくはないけどね。
・・
(修一さん)もしもし?あっあまり良くありませんけど何でしょうか?
(修一さん)あぁそれはお断りします。
(修一さん)あの高蔵寺ニュータウンのお話を他の人が書かれるということ自体にもあまり気が進みませんし。
(修一さん)それももうお断りいたします。
(修一さん)もう僕も90歳ですからねなるべく自分の時間を大事にしたいと思いますので。
(修一さん)平らになった土地にもう一度そこに里山を回復するにはどうしたらいいだろう。
それが大きなテーマでしたから。
私がその手に入れた土地に小さな雑木林を造ってそこで新しい緑のストックを造りながら一人一人でも里山の一部を造り出すことが出来るという実験をやってみようということで仕事を始めていくわけです。
(英子さん)一軒一軒ちょこっと小さい所でも雑木林が造れるよとみんながね造れば森の中に入っているような感じになると言うんですよ。
(英子さん)あの人に反対するということはひと言もないですね。
もうやりたいことは何でもやってください。
みんなね計画はしました。
それはプロフェッショナルなものだからと次の所へ行く。
自分の住まいはというと都市内に住んでいてニュータウンのことは全然見ていないんですよ。
だから日本の都市計画家それから建築家というのはいかにねインチキが多いかということですよ。
その日暮らしで。
高蔵寺ニュータウンの方は僕がいるからね50年もここにまだ住んでやっているわけですからね。
風が吹けば枯れ葉が落ちる
土が肥えれば果実が実る
コツコツゆっくり
これは何のフルーツ?
はいこれおかあさん。
ほれほれ。
それグーッと手前持っていって。
そうそう…。
何かアボカドみたいな何かえぇ〜?
(修一さん)結構きれいでしょこれ。
はっはぁ
あらくるみ!
はぁ〜
ごめんね。
鏡も見ないの。
もうねこの年だから。
鏡も見ないでもうシャシャシャとまとめて。
(英子さん)「お母さん少しは美容院行きなさいよ」といつも言われるの娘に。
だけどもうこんな髪が少なくて美容院行ってもね。
ちょっと行ってきます。
(英子さん)え〜っといつも地下鉄で降りて。
あっ。
(英子さん)年金で。
でも普通の人よりも主人の場合は32万円月に。
年金が入った時にまとめて買って大体2か月。
(英子さん)こんにちは。
どうもお世話になります。
グリーンピースはもうほんの少ししか出来なかったから。
(英子さん)そう良かった今日。
お多福豆はない?今日なかった?
(店員)お多福は終わりましたね。
あぁもう終わっちゃった?そうなの?
(英子さん)食べるものはちゃんと食べなきゃと思ったから。
これ今日来たの?
(英子さん)結婚したらもう主人を第一に考えてキチッとしたものを着せてキチッとしたものを食べさせる。
そうすれば旦那が良くなれば回り回って自分も良くなるというそういう教えでしたね。
(英子さん)じゃあこれでお勘定して頂こうかな。
申し訳ないけどまた届けてくださる?
(店員)はい分かりました。
ありがとうございました。
1万4,580円頂きます。
40年以上になりますかね。
うちの母の代からになりますから。
今日はトロのいいのもある?
(英子さん)あんまり良くない?
(店員)まぁまぁですよ。
(英子さん)まぁまぁ?
(店員)ええ。
(英子さん)今日シマアジがあるね。
(店員)それ養殖ですよ。
(英子さん)その人しかダメですね。
もう長年つきあっている人。
その人を信用して何でも。
その人が買ってきてもらうものを買うの。
(英子さん)コンビニで何か買ったということはないですね一度も。
(店員)おとうさんから。
(店員)これ買っていかれた三日ぐらいあとになると手紙が来るんでいつも。
(店員)「おいしかった」とか「頑張って」とかよく励まされたものです。
(英子さん)よく食べてくれるんでねアジはフライにしましたけど。
(英子さん)あの人中トロ好きだから。
食べさせる方が多いですねこういうのを。
(英子さん)これは普通の冷蔵庫ね。
甘夏のジャムなのね作ったの。
スープの材料とか。
それからあとはもうカボチャとか干し野菜ですね。
パイナップル干したのとか。
(英子さん)主人がカレーとコロッケとあと肉じゃが。
とにかくジャガイモの入ったものが好きなのね。
(英子さん)私が唯一ジャガイモがダメなの。
フフフッ…。
おなか膨れるの。
ジャガイモと聞いただけでおなかがいっぱいになっちゃうもん。
おいしかった。
あぁ良かったです。
フフフッ…。
おいしいと言ってもらえばもうホントに本望ですわ。
昔ある建築家が言いました
長く生きるほど人生はより美しくなると
恥ずかしい。
台湾で二人の本が出ました
夫婦そろって人生二度目の海外の旅
彼女は僕にとって最高のガールフレンド。
(女性)おぉ〜。
(通訳)もう今ニュータウンの入り口に入っているところでわりと最近に建てられているマンション。
台北から車で1時間
海沿いのニュータウン
25年前修一さんが計画に関わりました
(英子さん)あぁ風が強いね海風が。
この辺がもう台湾の観光地としてすごく有名台北市内で。
(英子さん)そうですね。
ニュータウンと言っても観光地なんですね。
(修一さん)都市墓場。
やはり建物のボリュームが大きいね。
もっと僕は高い建物が建っていても建物と建物の隙間から長いロングビスタだよね。
どこからでも遠くの方が見えるようにしたらどうですかと助言したんですけども。
建物がいっぱいで見えないもんねどこも。
(男性)ホントにうれしかったです。
まぁお元気で。
(男性たち)はい乾杯。
(男性)よくいらっしゃいました。
(修一さん)マッカーサーが降りてきた時に厚木で彼らを迎えたのは実は私たちだったんです。
昔修一さんは海軍で戦闘機を造っていました
(修一さん)一緒に僕と仕事をしてくださった仲間は台湾から連れてこられた10歳から17歳ぐらいの方たちだったんです。
(修一さん)とにかく特別待遇の海軍宿舎に入っているのは後ろめたかったので若い台湾の子供さんたちの寄宿舎の2階に間借りをしまして。
一緒にずっと暮らしていたわけです。
(男性たち)・「太平洋の空遠く」・「輝く南十字星」・「黒潮しぶく椰子の島」
修一さんの弟のようだった陳清順さん
(修一さん)これ陳清順さんが作ってくださった印鑑。
改めて陳さんの方にお返ししようと思って持ってきた。
(修一さん)それで仲良しになって「津端さんのはんこを作ってあげる」と言って彼の方から作ってプレゼントしてくれた。
もうずっと結婚以来ずっとそのはんこで。
銀行印とかいろんな所のはんこみんなそれで。
一本で。
戦後連絡は途絶えました
最近になって台湾で政変に巻き込まれ銃殺されていたと知りました
(修一さん)おっここだ。
(修一さん)ねぇ。
陳さんの名前と1950年に埋められたことが刻まれていました
おとうさん。
・「太平洋の空遠く」・「輝く南十字星」・「黒潮しぶく椰子の島」・
(鼻歌)・「南の」・「護りは我ら台湾軍」・「嗚呼厳として台湾軍」陳君さようなら。
小さな小さなお墓
土がだんだん良くなってきている。
これがなじんでね。
(修一さん)庭に近くしたら明るくなったでしょ。
昔からしょっちゅう模様替えしていましたけど今はこの程度でちょこっとだから。
これねもっとこっちに寄せてあったんですよ。
庭が近くがいいって。
そうしたら英子さんが人が通るからと言ってこっちに。
ちょっと遠くでね見た方がいいかなと思って。
(英子さん)出来ればおとうさんじゃないけどもう少し私はこっちへやりたいの。
そうしたらこっちへ持ってきた意味がなくなっちゃう。
いやいやもうちょっとです。
もうちょっとこっちやりたいぐらいだ。
津端家の裏山
40年前はハゲ山でした
(英子さん)だからおとうさんがこの高森山を高蔵寺のニュータウンのシンボルにしたいからとにかく再生したいというのを自分で思っていたんでしょうね。
(英子さん)ええ植えました。
大体みんな家族巻き込んで何でもやりますからね。
(英子さん)このままずっと森になるといいねと言っていましたからね。
(英子さん)どんぐりをあれして森を造ろうと自分が発想するんですけどね。
大体小学校の校長さんにお話しして。
(英子さん)皆さんが動きだして軌道に乗ると自分はもう上には立たないというか。
あの人のやり方なのねいつも。
風が吹けば枯れ葉が落ちる
枯れ葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
コツコツゆっくり
(修一さん)はなちゃん出るよ。
これがそうですね。
(大会アナウンス)
(拍手)
(英子さん)「おばあちゃんの所のものは茶色系が多いね」とママに言うらしいですよ。
(英子さん)大体おしょうゆで煮たものはね茶色系になっちゃうから。
一か月に一回ぐらいはなこと。
(英子さん)梅干しとかねひじきと煮たのとか豚肉のこれはショウガ煮とかお弁当のおかずに出来るような。
ハンバーグみんな冷凍で。
なるべく外のもの食べないようにしてねと言っているんだけど。
ちょっと行ってきますね。
(英子さん)これね乳母車はなこの。
(英子さん)あのころ小学校に入った時はもう毎週ぐらい送っていたね。
まぁ今はいろんなもの外のもの食べますけどもあの人が40歳50歳になると恐らくおばあちゃんが作ったものが懐かしくなると思うよアハハハッ…。
それだけ何年も20年も食べていると。
(女性)は〜い。
(英子さん)お願いしま〜す。
(英子さん)ねっ土になっちゃってるでしょほとんど。
(英子さん)僕たちはやっぱりお金は次の世代に渡せないけども土を良くすれば絶対に作物は誰でも出来るから何か生み出すような場所をやっぱりつないでいくことは大事だと思いますけどね。
(英子さん)はなこたちの時までにはもっといい土にしておかないとね。
でも時々…おとうさん思わない?最後どうなるんだろうと考えたことない?うん。
ない?うん。
私最後どうなっていくのかなと時々考えるわよ。
考えたってしょうがないわねそんなもの。
(英子さん)ちょっともう少し前。
前かがみしてくださる?前かがみじゃなくて頭を下げてください。
はいそうです。
(英子さん)私先に逝ったらどうしようと思うよ。
とうさんどうするかと思うよ。
ちょっとそんなふう…そんな心配なんてしたことないけど。
この年になるとどっちがどっち先に逝くか分からないけど。
津端さんの家の全員が一生懸命やりましょうという時の旗なんです。
(修一さん)日本海海戦というのがあったでしょ昔。
(修一さん)各員いっそう奮励努力せよという旗なの。
あんたの所…。
うちはいいよお鏡は。
(女性)ダメ!うちはいいからね高蔵寺だけね。
いい?ここいい?おとうさん。
サトウさん今いらしたから。
(修一さん)お餅。
(英子さん)このつきたての一つ持っていってもらう。
(修一さん)うん。
じゃあ焼き印押すか。
(英子さん)えぇ!?
(修一さん)ええ出来ました。
・・
(英子さん)はなちゃんはどう?うん。
(英子さん)あぁ〜良かったね。
(修一さん)はなこちゃんの卒業あったり結婚があったりね。
すてきなそのおじいちゃんおばあちゃんになるためにどんな社会システムが出来るかなというのも。
庭はみんな切り捨てちゃう一方でね。
だからそのへんの様変わりのある世をこの目で確かめたいと思っている。
(英子さん)夢は遠くの方を見ていた方がいいからいつも遠くの方。
おとうさんいいよ。
私やるから。
おじいちゃんね華やかなのが好きだからとね娘2人がね今朝満艦飾にしようと。
送るのに。
それで…。
涙は禁物だから泣かないようにしないと。
おじいちゃん私一生懸命これからやるから。
大丈夫よ。
あの待っていて。
私が命が尽きて灰になったら一緒に南太平洋にまいてもらおうね。
待っていてそれまで。
約束してね。
一人でさみしいけど元気で待っていてください。
また会えるのを楽しみに一生懸命やりますから。
今日は朝早く…。
あぁ来た。
あぁ〜。
(英子さん)ええかしら。
乗れるかな。
まぁごめんなさいね。
ありがとうございます。
すみません。
もうちょっとおいしいものホントに食べさせてあげれば良かったなとか思いますよ。
はいおじいちゃま朝ご飯ですよ。
食べてください。
(英子さん)まぁ今までどおりね何かやっていないとあれだから。
でももう65年も主人の主導でやってきたから何か一人というのはねさみしいというよりも何かやっぱりむなしいと思いますね時々。
フフフッ…一人で何年これからどうやって生きようかとか。
おとうさんが残してくれたから。
(英子さん)この上からまたね堆肥をやれば。
(英子さん)おじいちゃん明るい方が好きだから。
主人がいつも取るから私はね取ったことないの。
今まであの人がいつも障子出して全部やってくれていたから。
私はもう張るだけいつも。
(予報士)こちらが台風18号の予報円です。
10時すぎに知多半島に上陸しまして。
(英子さん)よっこいしょっと。
(英子さん)私の力では上へ上がらんかな。
(英子さん)いいかげんに入れちゃうとあと入れるものがないということになると困っちゃう。
(英子さん)おとうさんが作ったものだからこの土地で出来たものをねみんなに食べてもらえばそれが一番おとうさん喜ぶかなと。
梅干しと。
(英子さん)5678910。
(英子さん)11121314。
(チェーンソーの音)
(英子さん)こっちだけはもうね迷惑かかったらそれこそ私大変だから。
だからそれは勘弁してもらってとおじいちゃまにも言っているんだけど。
(英子さん)僕がいなくなっちゃったら勝手なことやっていると言われるか。
(女性)お母さん。
(英子さん)はい。
(女性)水盤が割れている。
(英子さん)水盤が割れている?ホント。
(女性)大事にしていたものでしょ。
(英子さん)それはしょうがないよでももう。
年がたてばひびも入るよ。
(英子さん)もういいことだけ考えて悪いことは言わないの。
まぁしょうがない。
寿命と思いなさい。
(小山侑子さん)こんにちは。
(英子さん)はい。
あっ遠い所ようこそホントに。
(小山さん)ご無沙汰しております。
ありがとうございましたホントに。
(小山さん)今日はありがとうございます。
(英子さん)よくおいでくださいました。
(英子さん)おとうさん良かったですね。
あのねぇホントに。
伊万里から来てくださって。
楽しみにしていたんですよねホントに。
(小山さん)そうですね。
もう急だったのですごくびっくりしました。
(男性)先生のおおまかな配置の形の中からそれは基本的にはそのとおりにいこうということで。
でもホントお伺いできたことでこれまでちょっと進んでいたちょっと道がそれていた部分をしっかりこう本来の形に本来の方向に戻して頂けたので。
ホントにあのはい。
拝啓突然にお手紙を差し上げます
私は佐賀県伊万里市の精神科病院で仕事をしております
私たちのクリニックでは新しい施設を造ることになりました
患者さんの中には経済中心の社会にもまれ本来の自分を見失うほど無理をし病を発症する人が大勢います
人間的な暮らしとは何か
お力をお貸しください
(木下博正さん)どうもコンクリートでモダンなものばかり作ってくるので。
このコンセプトと合わないというのがずっと続いていて。
建築に関して結構参っていたんですよこの時本当に。
こういうコンセプトなのにこの建物でいいのかという。
(修一さん)おかあさん。
(英子さん)はい。
(修一さん)雑木林は雑木林という形でうちみたいにやらないで分散させた方がいいでしょ?出来ればね。
雑木林の中に入るというのが。
すきすきにして。
その方がいいのねホントは。
(修一さん)それでこちらはもう道路だから果樹がもう何かうらやましがらせるように。
(小山さん)ウフフフッ…。
ねぇ。
(修一さん)それで土地は全部使い切るというふうにしないでそのあとまた木を植えたければそこに植えるというふうにしておいた方が僕はいいと思うんですけどね。
はい。
(小山さん)ありがとうございます。
私も90歳
人生最後のよい仕事に巡りあいました
謝金設計料など一切ご辞退いたします
安心して詳細をご相談下さい
きっといいことがありますよ
おうちはいいなという安心感が毎日の暮らしの中にしっかり根づいていることが何よりだと思うのです
次の世代が豊かになるようにつないでください
お金よりもひとです
じゃあいってきます。
(小山さん)4月7日にお邪魔したんですけど4月9日にこれがもう書かれていて。
雑木林は自然のクーラー
涼しいな
四季おりおりのフルーツがいっぱい
このレイアウトもですけどここに書いてある言葉がすごく良かったです。
できるものから小さくコツコツ
ときをためてゆっくり
私にとって1生に1度の幸せなお仕事
生きている限り最善をつくしたいと思います
(男性)じゃじゃん。
(女性)わぁ〜。
すげぇ。
(小山さん)ここがですね喫茶エリアになります。
訪問看護ステーションとかも入りますので。
(女性)あぁ〜そうなんだ。
(小山さん)はい。
結構スタッフも10人ちょっといるんですよね。
なので木も何か最初から大きな木というよりかはもう苗木ぐらいから時間をかけてゆっくりこう年月重ねて少しずつこう変化していくような。
ここも果樹とか。
(女性)季節を感じられる。
(小山さん)はいはいそうですね。
(木下さん)今仕事があるとか自分がすべきことの時はすぐ動けるという。
だから道具も古びていなかったしちゃんとスケッチブックもすぐ持ってこられるんですよね。
それでちゃんとそういう構想を持って説明できるということは常にそういう態勢にいたわけですよね。
だけど周りの人はそういうことを津端さんに求めていないからそれを出していないという。
(修一さん)楽しみですね。
(英子さん)出来たら見たいね。
(修一さん)出来たら行きたいね。
風が吹けば枯れ葉が落ちる
枯れ葉が落ちれば土が肥える
土が肥えれば果実が実る
(英子さん)あの人はジャガイモが好きでもう結婚以来いつも何かというとコロッケと言うから。
(英子さん)おじいちゃん温かいの出来ましたから食べてください。
やれることでまぁ昔から「ホントにかあさんコツコツやることだよ一人で」と言っていたから。
コツコツやりながら考えているとあぁホントだなと思ってコツコツやるとどんどん見えてくるなと思いますねいろんなことが。
コツコツゆっくり
人生フルーツ
これね娘たちが直してくれました
2017/01/22(日) 16:00〜17:25
関西テレビ1
第12回日本放送文化大賞 グランプリ受賞作品 人生フルーツ ある建築家と雑木…[字]
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの基本設計をした建築家・津端修一さんと、その妻 英子さん。穏やかで美しいふたりの暮らしを追った“人生のものがたり”です。
詳細情報
正式タイトル
第12回日本放送文化大賞 グランプリ受賞作品 人生フルーツ ある建築家と雑木林のものがたり
番組内容
90歳の建築家、津端修一さん(元広島大学教授、元日本住宅公団)と、87歳の妻、英子さんは、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンに暮らしている。
津端さんは、戦後最大の都市計画ともいわれた「高蔵寺ニュータウン」の基本設計をした人物で、日本住宅公団の創設期の中心メンバーとして、激動の戦後日本の“住宅”“団地”“ニュータウン”を作り続けてきた。
番組内容2
自ら設計した高蔵寺の自宅に、完成当時から住み続けて約50年。50年前に植えた小さな苗木が、今では鬱蒼とした雑木林に成長、畑では年間を通じて約100種類もの野菜や果実が育っている。畑で収穫した作物を使って、夫のために自慢の手料理を丁寧に作る日々を送る。「食は命」。
ふたりが暮らす家は、平屋建ての杉の丸太小屋。食事も仕事も睡眠も、ワンルームで過ごす快適な生活。
番組内容3
ふたりの暮らしぶりは、まるで現代の桃源郷のよう。
「年を重ねるごとに美しくなる人生」。90歳の建築家・津端修一さんと87歳の妻の英子さん、ふたりの暮らしを追った“人生のものがたり”である。
出演者
【ナレーション】
樹木希林
スタッフ
【ディレクター】
伏原健之(東海テレビ)
【プロデューサー】
阿武野勝彦(東海テレビ)
【制作著作】
東海テレビ放送
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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