藤岡弘、さんの読者になろう
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おととい
おととい
2017-01-20
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18 ■私は富士山の横を飛ぶ零戦が好きです、
日本の技術者の魂を代表する戦艦大和に戦闘機の零戦、
そして、日本を象徴する様な富士山!
古い白黒写真でしたけど、富士山の横を飛ぶ零戦の写真を見た時に凄く感動しました。
藤岡さんが零戦を飛ばすなら、是非!富士山の所で飛ばして欲しいです。
17 ■零戦は日本人技術者の誇りです、
零戦の開発当初は欧米と比べてハイパワーエンジンを持たない日本が持てるだけの知恵と工夫であれだけ驚く、性能を出した、日本人技術者の魂の結晶です。
16 ■すごいな~~~。。。
壮大で。。。力ある思いだと思います。。。響きました。。。
15 ■なぜ・・・・・・
弘、さん
私には全く理解できません。
零戦は素晴らしい飛行機だとは思いますが
これで幾人もの犠牲者が出ているのです。
アメリカのB-29もそうです。
平和にかける想いだったら、もっと他の方法も
あると思います。
私はいつも平和を望んでいます。
2度とあのような事が起こらないために・・・・
14 ■戦争を理解せよ
"君が平和を望むなら、戦争を理解せよ" -- ベイジル・リデル=ハート
という格言を思い出しました。
13 ■武人としての誇り
ドイツのエースパイロットのハルトマンさんが、奥様に宛てたお手紙に「私は撃墜した敵機の数で英雄扱いされるが、私の一番の誇りは僚機を一機たりとも失わなかった事」と述べられていました。あの時代ですごい偉業を残されたと思います。
12 ■勘違いをしてしまい申し訳御座いません。
【兵器】として要らなかったんです。
私も青い空を零戦に乗って操縦したいです。
【男のロマンですよね!】
そして【平和な大地】を空から見たいです。
何時も夢を与えて下さる方の『男の勇姿』を見てみたいです!
勘違いをしたコメントをしてしまいまして申し訳御座いません。
今日も平和である事に!
【合掌】
11 ■零戦
零戦。凛々しいですね。
藤岡さんと同郷の父は よく零戦の絵を書いてました。
これは日本人の技術、英知の結晶ですね。零戦の技術が平和利用されて今の新幹線がある― 改めて先人の偉大さに敬意を払う…零戦はそんな
ものだと思います。
10 ■ ぜひ、飛んでください!
兄弟や友人が行ったきり帰ってこなかった人たちが
今もまだ日本中に生きています。
その人たちに見送られ・・
できることなら当時の軍服を着て
テレビ中継で飛び立ってください。
必ず往復の燃料を満タンにして
帰ってきてください。
そして笑顔で
「帰ってきたよ」と、ひとこと云ってください。
それで
大勢のヒトの心の中で
本当に戦争が終わるかもしれない。
ひとり残らず連れて帰ってきて
今度こそ終わりにさせましょう!
被爆者の孫からの提案です。
9 ■零戦を
零戦を見て、過去の酷い戦争を忘れない気持ちは大切だと思います。
原爆ドームを見てるのと一緒ですね。
飛行機は戦争ではなく、楽しむものだけに使われていけば良いですね。
藤岡さんファイトー!!
8 ■戦争に使うのではなく!、、
戦争も知らず生きてしまったけど
涙を流す人が出てはならない。
男の憧れの一つとして人種も国境の境目もなく
飛行が楽しめるような日々がいつか来れば
いいなと思います!
ありがとうございます!
7 ■無題
こんにちは。
藤岡、さんのようにセスナで奥尻へ救援物資を届けられたような方が操縦する零戦は、私もぜひ見てみたいと思います。
戦闘機や兵器も真剣と同じく使う人間や国の精神次第だと思いますので。
それにしてもとても美しい造形ですね。
6 ■無題
私は戦争未経験者だし、これからも絶対に未経験のままでいたいです。
零戦も戦争の道具なんですが、何故か零戦には魅力を感じます。
今となっては必要ない物ですが零戦に限らず過去に戦争があった!という事実を伝えるためにこういうモノは未来に残して行くべきだと思います。
5 ■無題
がんばって下さいね。
4 ■ゼロ戦への思い
藤岡先生がゼロ戦を操縦する姿が
目に浮かびます。
近親者が
ゼロ戦の設計に携わって下りました。
ゼロ戦は、物資の少なかった日本の
最後の夢『希望』だったそうです。
藤岡先生
ゼロ戦のように、
今の私達に希望をお願いします。
夢
3 ■ばかばかしい戦争はもう絶対やっちゃいけないけど
空にロマンを追うのはかっこいいですね。
私が空がらみのことでやってみたいのは、パラグライダーかな。
今日もきれいな晴天ですが、青い空のように皆が笑顔でいられますように。
私は笑顔でいられない時期が長すぎたから、写真で自然な笑顔がまだ作れないけれど、でも最近世話人のおじさんによく言われます。
「あなたが来てから、交流室の雰囲気明るくなったよ」
と。
それで改めて思い知らされましたね。
自分が障害のことでどれだけひどい目に遭い続けていたかを。
そういうことで苦しむ人たちを一人でも減らして、ハンデがあっても笑顔で暮らせる社会を作ること、それが私の今の夢です。
2 ■いつも、拝見させて頂いて居ります。
日本の零戦は連合軍より優れて居たと聞きます!
でも、そんな兵器は要らないんですよね。
そういう物でなく、今の不景気に「これだ」と言う「機械」と言いますか!吹き飛ばす物が欲しいと想います。
日本軍は民の為、自分の命を掛けて戦われました。
私も自衛隊に満期まででは無いですが居ました。
そして、戦争は!もうやってはイケナイと強く想いました。
昨日、あるテレビを観まして、大好きなミュージシャンが!被爆地=原爆ドームの近くに住まれてました。
ご両親が、そこに(たまたま)居なかったのでと軽く流して言われてました。
しかし、私は感じました!
小学生が想い歌を作ろうとしたんです。
その方の母校でした。
想いは強かったと感じました。
だから、引き受けたんだと想わずに得られなかったです。
8月6日の慰霊祭はその方は出席して居りました
本当の想いを感じたかったと想わずに居られなかったです。
今の世の中!下らん争いが多いです。
私が小学生の時、朝はNHKのNEWS観て学校に行きました。
当時はイランとイラクの宗教戦争ばかりでした。
私の実家にも、1つ下の娘が、近隣だった為に危ないと日本に戻って来ました。
逢うとホッとしました。
言いたいのは、今の日本でも差別=同じ日本人でもある事です。
それは!ゴクわずかな者達なんです。
小さな島国なのに!どうして助け合わないだろうと悲しいです。
昔しは「村八分」と言う言葉がありました!
しかし「後のニ分は、一緒にやりましょーと言う意味だと祖父を通して、母や叔父、叔母から教わりました。」
私情を入れますと、何故、この平和な日本で下らない【差別や嫌がらせ】をするのでしょうー?
日本は、日本人(だけ)でここまで復興した訳では無いです!”
そういう方々を、私は知って居ります。
こういう事も知らない若い者が多いからです。
先人たちは!「ぜいたくは敵」と言って我慢に我慢をされたのです。
「今日もご飯が食べれる事に感謝して!」
【合掌】
1 ■機体に日の丸と稲妻のデザインが施された「雷電」二一型は格好良い
おっしゃる通り、今でもきちんと保存されている機体があって、空も飛ばせられるようですね。
そういう事が書かれた本を読んだ事があります。
実際に飛ばしている映像のDVDがありますが、デッキの調子が悪くて中はまだ観てません。
ドイツ軍機やイギリス軍機と比べると、見た目少々地味で野暮ったいのかな・・てな風にも思えるんですが、十機以上の敵機に囲まれながらも生還した話や、連合軍を畏れさせた機体の話なんかを知ると、凄かったんだなぁ(パイロットも)と、思いますよ。
19 ■時々は飛んでますか?
藤岡さんの数年後に、私も同じところでライセンスとりました。結局プロになるどころか趣味で乗る事もできず、ペーパーパイロット歴20年を迎えそうです。子育て卒業したら絶対空に戻りたい!私もそんな夢持ち続けてますよ。