順番でいけば『デアデビル』シーズン2の感想を先に載せるべきなのですが、筆者が最近『ルーク・ケイジ』を見終わったばかりなので、感情的にタイムリーな記事が書けるかもと思い、こちらを先に書くことにしました。
ということで、今回は『デアデビル』『ジェシカ・ジョーンズ』と同じくマーベルとNetflixが組んだオリジナルドラマ『ルーク・ケイジ』シーズン1の感想をお届けします。
1.概要
『ルーク・ケイジ』は同名のコミックスなどを原作としたドラマで、マーベル・シネマテック・ユニバース(以下MCU)に含まれます。
ルークはある実験をきっかけに怪力と無敵の皮膚を手に入れた元受刑者(冤罪)で、『パワーマン』などとも呼ばれているヒーローです。
また、彼はブラックパンサーらと並び、アメコミにおける「黒人ヒーロー」の第一世代かつ代表の一人であり、歴史的意義の強いキャラクターであると同時に人気が高いです。
わりと有名な話ですが、コミックオタクであるニコラス・ケイジの芸名はこのルーク・ケイジから取られているらしいです。
2.感想と見所の解説
『デアデビル』『ジェシカ・ジョーンズ』の舞台だった「ヘルズ・キッチン」から場所を移し、今回は同じくニューヨークの街である「ハーレム」が舞台となります。
ハーレムは住民のほとんどが黒人(実際は、現在はここまでの偏りはないらしい)で、またその中から音楽・絵画・政治などにおける天才や偉人を数多く輩出してきた土地であり、「黒人の希望」の象徴となっている街です。
しかし、同時にヘルズ・キッチンに負けず劣らず治安の悪さで有名な危険地帯でもあり、至るところに組織犯罪の魔の手が伸びています。
ルーク・ケイジが戦う相手は犯罪者個人というよりはそんな街の「状況」です。
ルークはハーレムの出身ではありませんが、恩人の身に起きたあるできごとをきっかけに立ち上がり、「街を救う」活動に乗り出します。
構造は『デアデビル』と似通っているわけですが、「街」の特性と作中での扱われ方がまるで異なるので、『ルーク・ケイジ』は全く新しい別種の物語となっています。
マジで熱く、そしてブルージーです。
『ルーク・ケイジ』における「ハーレム」は、街全体の一体感が常に演出されています。
人種差別や貧困を起因とする「暗黒の歴史」や、そんなどん底から芸術に貢献するなどして勝ち取った「誇り」を皆が共有していて、それが空気にまで染み渡っているんですね。
「街が生きている」のは『デアデビル』でも同じですが、その点がもっと強固かつ切実にクローズアップされているといえます。
「ハーレム」という多様な顔を持つ一つの人格と、『アベンジャーズ』から続く「超人の存在が確認された世界」の時勢の二重構造を用いて、ルーク・ケイジという「流れ者」をどう感じ、どう扱うかが問われるのがこのドラマなのです。
しかもルークが基本的に顔出しということもあり、彼の行動と街の反応は「生活」の描写と密接しています。
「謎の超人」と「住民」によるライブ感のある「コール&レスポンス」が、どんどん変化し、やがて「ヒーロー」という認識へと繋がっていく……!
これは熱い……!!
街の一部であることはヴィランたちにもいえます。
本作では、暗黒街の一角コットンマウス、その従姉弟で政治家のマライア、武器の卸元ダイヤモンドバック、三者に関わっているシェイズと、メイン級のボスキャラが何人も登場します。
ルークへの個人的な恨みで動くダイヤモンドバック以外は、全員がハーレムになんらかの思いを抱いており、単なる悪役とはいえないドラマの参加者となっています。
『デアデビル』でそういう役割を担っていたのは厳密にはウィルソン・フィスクだけで、彼の周りにいる者たちは違いました。
ウェスリーはヘルズ・キッチンではなくそれを愛するフィスクを愛していたし、リランドはただのビジネス上のパートナーで、ウラジーミルはフィスクの価値観から見れば一時的に組んでいるだけの「街の敵」でした。
マダム・ガオとノブ・ヨシオカに至っては完全にファンタジーからやってきた規格外のスーパーアジア人でありました。
『ルーク・ケイジ』ではそのようなイビツな横の繋がりはあまりなく、やはりダイヤモンドバック以外のヴィランは、しっかりと街に帰属しているのです。
コットンマウスは「音楽」、マライアは「理想」を通して、ハーレムの文化や展望と結ばれており、シェイズも過去を匂わせています。
また、先述したような「街の悲惨な経緯と状況」が背景にあるので、彼らの悪事は必要悪とも呼べるかもしれない側面があり、そこがなんともいえないのです。
ルークが「だからといって犯罪に逃げていいわけじゃない」というようなことを言い切ってくれますが、それでも「憂い(ブルース)」がしみじみと残ります。
個人的にコットンマウスの人生には泣きましたもん……。
ストーリーやキャラクター以外に目を向けると、音楽が秀逸なのも本作の特徴です。
ノリのいいブラックミュージックが、同じくMCUの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』並みに最高のタイミングで使われており、最高の味付けとなっています。
『ルーク・ケイジ』がマーベル作品でもあり、ブラックスプロイテーションの系譜に当たる作品でもあることが、リメイク版『シャフト』(と含めていいなら『ジャンゴ』)くらいしかちゃんと見たことがない僕でも感覚的に理解でき、その魅力と意義を噛みしめることができました。
あと、日本人からすると話もBGMも「時代劇っぽいな」っていう変な楽しみ方もできたりします。
最後に、この作品のスゴいところは、街が主役でありながら、きちんとルークも主役であるところです。
決して狂言回しには収まらないルーク・ケイジという男の生き方もその目で確かめてください。
とにかく『ルーク・ケイジ』は最高です。
超オススメです。
画像引用元・権利者:Netflix/マーベル・スタジオ
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