ハネタク、理想の女性像は「大和なでしこ」神社仏閣巡りハマリ中
2016年リオデジャネイロ五輪カヌー・スラローム男子カナディアンシングルで羽根田卓也(29)=ミキハウス=は銅メダルを獲得した。カヌー競技ではアジア人初の五輪メダリストとなった大会後は、メディアへの露出が増え、知名度は全国区となった。“ハネタク”の愛称が定着しつつあるイケメンアスリートの素顔に迫った。
羽根田は日本だけではなく、アジアで初めてカヌー競技で五輪メダルを獲得した。爽やかなルックスと飾らないトークで、五輪後はメディアに引っ張りだこだ。
「予想外ではない。むしろ、こうじゃなきゃ困ります(笑い)。同じ質問をされても、うんざりするとかは全くない。カヌーを取り上げてもらうために、ずっとやってきましたから」
街を歩けばファンから声をかけられ、握手や写真をお願いされるようになった。そんな“劇的ビフォーアフター”を楽しんでいる。
「今までの人生と比べて『これだけ人に会うか』っていうぐらい、いろんな人に会った。こうなることをずっと夢見て頑張ってきた。『やっと実現できたな』という思いですね」
自分が有名になった、という満足感ではない。メダルを取ったことで、カヌー競技の認知度が上がったことに喜びを感じている。
「カヌー・スラロームの選手は常にジレンマがあった。こんなに素晴らしい、見ていて楽しい競技があるのに(リオ五輪前は)誰も知らないような状態だった。『一人でも多くの人に知ってもらえたらいいよね』という思いがずっとあった。変えるには『五輪のメダルしかない』と分かっていた。『五輪のメダルを取るか、腹を切るか』。それぐらいの重圧や不安は僕だけじゃなく、マイナー競技と言われる選手はみんな持っている」
2008年北京五輪は14位。12年ロンドン五輪はスラローム男子で日本人初の7位入賞。3度目の五輪で栄光をつかんだシーンを見て、初めてカヌーの良さを知った人も多かったという。
「つまらないからマイナー競技というわけではない。カヌーを見る環境や始められる環境が、日本にはない。競技人口も少ないことが重なって認知度が低いだけ。『本当に面白い競技だね。すごい競技だね』と、たくさんの方に見てもらえた」
愛知・杜若(とじゃく)高を卒業した後、カヌー大国のスロバキアに移った。
「自分がメダルを取っていうのも変ですけど、カヌーで取ることの難しさ、価値はすごい。僕がスロバキアに行ったときも、日本人がメダルを取れるとは誰も考えていなかった。日本でも、向こうに行っても笑われた。それぐらい想像できなかった。暗中模索の中でいろんな選択をして、ようやくたどり着いたという特別な思いがある」
今ではスロバキアで生活する上で言葉に不自由することはないが、当初は困難を極めた。
「コミュニケーションが取れずに苦労した。英語では壁ができてしまう。スロバキア語で話した方が反応も違うし、かわいがってもらえる。スロバキア人にとって日本人はなじみがないし、田舎に住んでいたのでアジア人もほとんどいなかった。街を歩いていても、指をさされて笑われることは頻繁にあった」
人気お笑いコンビ「サンドウィッチマン」の漫才が好きで、読む本は司馬遼太郎の「燃えよ剣」など歴史小説が多い。神社仏閣巡りにハマっているという意外な一面を持つ。
「なるべく、くたびれたボロボロの場所が好き。応仁の乱での刀傷があったり、平清盛が乗っていた牛車が展示してあったりする、エピソードを感じられるようなところがいい。子供の頃からお経を読んだり、仏様の名前を覚えるのが好きだった」
リオ五輪前はテレビ朝日系「マツコ&有吉の怒り新党」でメダル候補として紹介され、タレントのマツコ・デラックスから“ハネタク”とニックネームをつけてもらった。7月に30歳を迎えるイケメンは現在、独身だ。理想の女性像は?
「大和なでしこ、と言われるような女性がいいですね。スロバキア人は自分の気持ちに素直というか、あまり隠さない。どっちかというと僕は気持ちを隠す方が好き」
2月下旬から3月下旬まではオーストラリアで合宿を行う。五輪後、初めての大会は4月8日のジャパンカップと同9日の日本選手権(ともに富山)になる予定。凱旋試合で、これまでと比較にならない来場者が予想される。フィーバーを危惧する羽根田は、日本連盟に混乱や事故が起こらないようにお願いした。
「今までは(日本選手権でも)ほとんど関係者しかいなかった。一般の方と選手が一緒になって試合を見るアットホームな大会なので、このままではマズいんじゃないかと思う。たくさんの観客が来ることを予想していないような会場なので、こちら側の準備が整っていないという不安とジレンマはある」
日本選手権の後はスロバキアに戻り、欧州各地を転戦。9月には世界選手権(フランス)も控えている。2020年東京五輪では銅メダル以上が期待される。
「今回を下回る目標を掲げるのは消極的だと思う。一番いい結果を出せたら。自分としては3年は短いけど、他の方からすれば長い年数だと思う。カヌーが忘れられないように、定期的に取り上げていただいたらうれしい(笑い)。そのネタとなるように、自分が頑張って競技で成績を出していきたい」
東京五輪のコース設計については、コーチのミラン・クバン氏が日本連盟にアドバイスをしている。
「何とか僕に有利なコースをつくっていただければ(笑い)。でも、自分に有利な流れというのはなくて、その流れでどれだけ練習するかが一番のアドバンテージ。何よりお願いしたいのは『一日でも早くそのコースで練習させてください!』ということです」
日本のカヌー界を変えた男はとにかくナイスガイだ。2大会連続メダルで、再び歓喜の涙を流すシーンを見たい。(ペン・伊井 亮一、カメラ・馬場 秀則)
◆羽根田 卓也(はねだ・たくや)1987年7月17日、愛知県生まれ。29歳。9歳から競技を始める。愛知・杜若高を卒業後、スロバキアを拠点に活動。2016年W杯フランス大会3位で日本勢として初めてW杯で表彰台に上がる。175センチ、70キロ。