『シン・ゴジラ』など、多くの邦画で辣腕を振るう作曲家
鷺巣詩郎「庵野さんと僕の間には余計なものがない」
2017.01.27 FRI
さぎす・しろう
1957年東京生まれ、家業のピー・プロダクションを高校在学中からアシスト。アイドル歌謡からクラシック、フュージョン、ドラマや映画の劇伴まで幅広く活動。庵野秀明とは1990年の『ふしぎの海のナディア』からの付き合い。90年代からヨーロッパでも活動を開始。SHIRO'S SONGBOOKと銘打ったリーダー作をコンスタントに発表する。今回のコンサートを機に高橋洋子の新譜を発表。往年のエヴァの曲及び『シン・ゴジラ』の曲を特別に高橋洋子が歌い上げるアレンジとしたマキシシングルを発表予定。『シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽』は3 月22 日(水)、23日(木)、それぞれBunkamuraオーチャードホールで昼夜2回公演。東京フィルハーモニー交響楽団に合唱は新国立劇場合唱団、指揮は天野正道。チケット一般発売はセブンイレブン、Bunkamuraオーチャードホール、イープラス、チケットぴあで、2017 年2 月4 日(土) 10 時より。映画使用テイクをそのまま編成した『シン・ゴジラ劇伴音楽集』は3月22日(水)発売。『シン・ゴジラ』と、誰もが聞いたことのある“往年のエヴァンゲリオン名曲”から楽曲を抜粋し、作曲・鷺巣詩郎自らのリアレンジを実施した作品も同日発売
アイドル曲から歌謡曲、クラシック音楽とのクロスオーバー、『笑っていいとも!』の楽曲やアニメ、映画のサウンドトラックなど、手掛けた楽曲は膨大。代表作の『新世紀エヴァンゲリオン』はテレビシリーズに劇場版、新作が待たれる新劇場版まで、20年にわたって曲を作り続けている。で、昨年はエヴァと同じ庵野秀明による『シン・ゴジラ』の音楽も担当。見た人は度肝を抜かれ、かつ相当にアガったと思われるが、“エヴァのあの曲”も使われていた。2016年の暮れ、活動拠点のフランスから帰国した音楽家の鷺巣詩郎さんを捕まえたのである。1957年東京生まれ、家業のピー・プロダクションを高校在学中からアシスト。アイドル歌謡からクラシック、フュージョン、ドラマや映画の劇伴まで幅広く活動。庵野秀明とは1990年の『ふしぎの海のナディア』からの付き合い。90年代からヨーロッパでも活動を開始。SHIRO'S SONGBOOKと銘打ったリーダー作をコンスタントに発表する。今回のコンサートを機に高橋洋子の新譜を発表。往年のエヴァの曲及び『シン・ゴジラ』の曲を特別に高橋洋子が歌い上げるアレンジとしたマキシシングルを発表予定。『シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽』は3 月22 日(水)、23日(木)、それぞれBunkamuraオーチャードホールで昼夜2回公演。東京フィルハーモニー交響楽団に合唱は新国立劇場合唱団、指揮は天野正道。チケット一般発売はセブンイレブン、Bunkamuraオーチャードホール、イープラス、チケットぴあで、2017 年2 月4 日(土) 10 時より。映画使用テイクをそのまま編成した『シン・ゴジラ劇伴音楽集』は3月22日(水)発売。『シン・ゴジラ』と、誰もが聞いたことのある“往年のエヴァンゲリオン名曲”から楽曲を抜粋し、作曲・鷺巣詩郎自らのリアレンジを実施した作品も同日発売
『シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽』というファンサービス
この時期の鷺巣さん、NHK紅白歌合戦テーマ曲の追い込みでお疲れ。で、「相当お尻に火がついているような状態です」と言う。ただそれは紅白ではなく、3月開催の『シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽』と題したコンサートの話。総監督という立場で演奏曲を決め、音楽的な構成を考え、アレンジをして譜面を書く。自身、キーボードの演奏者としてステージにも立つ。『シン・ゴジラ』は、2016年の作品なのでともかく、エヴァの楽曲がコンサートで演奏されるのは、テレビシリーズが放送終了した1997年以来、20年ぶりのことになる。
「エグゼクティヴプロデューサーは庵野秀明総監督です。まず僕が一人で構成を考え、それを監督に投げて感想や希望を聞くんですが、二人とも揺るがないのは“コンサートはファンサービスに徹するべき”という根幹です」
今回、フルオーケストラに加え、合唱パート、リズムセクション、ボーカリスト、MCにスタッフ総勢で、1公演あたり延べ250人ほどの人間がステージに立つ。そのチームワークを固めることがパフォーマンスの質を上げることにつながり、ひいては根源的で最大のファンサービスを生み出すことになるのではないかと考えている。情報も厳格に統制しながら必要と効果に応じて露出させてきた。
「今回は年末に出演者の方を一斉に発表しました。キャスティングを見ていただければ、どういうことをやるか、ある程度エヴァとゴジラに通じている方なら内容の20%ほどは察しがつくかもしれません。それは最大限の事前サービスです(笑)。庵野さんのこれまでの作品もそうですが、無駄な情報って一切出さないでしょ? その代わり出したものにはきちんと意味がある」
音楽面の総監督と言いつつ、やはりサービスの人なのである。ちなみに、すでに公開された出演者の中に、ゲストシンガーの高橋洋子、ゲスト指揮者の和田薫の名前がある。ピンとこない人は検索してみてほしい。どんな曲が演奏されるかということの大いなるヒントになっているだろう。
このコンサートが企画されたのは、昨年7月29日に『シン・ゴジラ』が公開され、大ヒットして以降の話なのだが、鷺巣さんによると、実はここに大きな秘密があるという。
「この規模のコンサートは、少なくとも1年以上前からスタートしないと実現は不可能です。エヴァは97年に“終劇”を迎えて、1回幕を閉じました。それで前回のコンサートが行われたんですが、その後2007年に新劇場版が始まって、それ以降はずーっと映画を作り続けてる。常になにがしかの作業に追われている(笑)。つまり、“1年前にコンサートを立ち上げる”なんてことは物理的に不可能なんです。それが今回実現したのは、実は1度、コンサートをやる予定があったから。2011年にエヴァ単体での交響楽のコンサートが企画されていたんです。それが難しくなった…」
東日本大震災が発生したから。「エヴァのコンサートに向けては腰が半分上がっていた」のだそうだ。そうした基礎のうえに、昨年の『シン・ゴジラ』の大ヒットが重なった、という理由がひとつ。もうひとつは、『ゴジラ対エヴァンゲリオン』という、映画のプロモーション展開。庵野秀明つながりで実現した企画で、特設サイトが作られ、怪獣絵師として知られる開田裕治やカラーの前田真宏、村上隆、安野モヨコなどの「ゴジラ対エヴァンゲリオン」のアートワークが寄せられたのだ。
「実際ゴジラとエヴァが戦ってるビジュアルを見たときに、たまらなくワクワクした人って多かったと思うんです。でも映画やアニメにすることは不可能でしょ。その架空のプロモーションをもし一歩進めて現実化するとしたら、両者を戦わせることのできる唯一のお祭りは、コンサートじゃないか! っていう話になったんです」
それを少しでも楽しく思い出に残るものにすべく、鷺巣さん、今、めちゃくちゃ知恵を絞っているのだ。
音楽ビジネスは「プレッシャー」という概念より古い
鷺巣詩郎と庵野秀明は27年来の付き合い。この何年かは何かしらエヴァがらみの仕事に常に関わってきた。そんな2015年の元旦。まさに元日の午前中、それぞれの夫婦4人でおせちをつついていたときに、『シン・ゴジラ』の話を受けた。
「庵野さんの奥様が“あのこと、お話しになったら?”って促されて。重い話だと思いましたよ。庵野秀明が大きな特撮実写作品を撮るという重み。日本の一枚看板でもある最大の映画スタジオの最大のスターの作品に関わる重み。あとは、うちの父親が円谷英二の愛弟子でもあったので」
知られた話だが鷺巣さんのお父さんは、うしおそうじ。円谷英二に師事し、『マグマ大使』『宇宙猿人ゴリ』『快傑ライオン丸』『電人ザボーガー』などを世に送り出してきた「ピー・プロダクション」の創始者なのであった。ちなみに今は鷺巣さんがこの会社の経営者でもある。
ともあれ、世間的な重さと個人的な重さがないまぜになって走馬灯のようにぐるぐると回ったけれど、鷺巣さんは受けると即答した。あのー、そういう色々な意味で重い仕事、プレッシャーとかは…?
「感じないです。“頼まれて曲を書く”という音楽の仕事のシステムって、すごく歴史のあるものです。エンターテインメントビジネスとしては演劇と並んで最古。むしろメディアが後から登場しています。だから、“あいつがあの仕事を受けた”って喧伝されることで感じるプレッシャーのほうが概念としては新しいんですよね。請け負って曲を書き、人前で演奏をするビジネスはずっと昔からある。非常に強固に構築されたシステムのなかで、僕は音楽家としてやるべきことを粛々とやるだけなので…だからプレッシャーとかは関係のない話なんだと思いますね」
それは、ポジ・ネガ両面とも作用しない話らしい。つまり、重い話だからと萎縮もしなければ武者震いもしないのだ。仕事が第三者に評価されるか否かは関係なく、発注者が満足してくれるかどうか。
「僕と庵野さんの関係で幸せだなと思うのは、間に余計なものが挟まってないことに尽きます。仲介する人とかセッティングする人がいなくて夫婦の食事の席で仕事を依頼されるような関係(笑)。これはかなり重要なんです。今だと仕事をするのに、メールに何十人もCCが入ってるでしょ? そうするとボールが重く大きくなりすぎて投げ合えなくなる。僕たちの仕事は、ずーっとキャッチボールなんです。お互いに自分でコントロールできるボールをやり取りするだけ。やりたいことが明確なので、それに集中しますから、お互いどんどん口数が少なくなって、こちらは庵野さんの想いを聞き逃すまいと言葉に集中するし、僕は音楽家なので言葉よりも音楽を投げかけていく」
それでもどんどんボツにはなる。特徴的なのは「このシーンにはこんな曲が合うだろう」とは考えないこと。考えるのは「監督はこのシーンにこんな曲を合わせたいのではないのか」ということ。10曲投げて2曲残れば、「無」から「線」ができる。ある1曲が、意図しないシーンに使われれば、それも作り手の意識を汲み取るヒントになる。作って投げてボツになったり、意外な使われ方をしたり。作業は苦ではないのか尋ねたら、こんなことを言うとイヤミかもしれないけど…と前置きした鷺巣さん、微笑。
作り続けていくことから生まれる新たなきっかけ。
「滝つぼの下で水を汲むようなものです。どんどん生まれる曲をどれだけ受け止められるか。ストックもあまりしません。企画と出合って一期一会で生まれるものがベストなので。僕は解き放たれて作るのが断然楽しい。そこから監督の意図が基準となって、じゃあこれはどうだ! ってオルタネイティブな提案もできるようになって別の次元が開ける。それは僕にとっても監督にとっても、周りのスタッフにとっても面白いと思いますよ」そうした仕事の手法が世間に伝わり、次々同様のオファーが。それでこそのクリエイターなのだと鷺巣さんは言う。
「僕の父親が“溢れ出て止まらない人”でした。悩んでるところを見たことがない。クリエイターとは端からそういうもので、汲めど尽きせぬような状態じゃなければ、名乗っちゃいけない気がします。僕ね、子どもの頃からマンガ描いたり、父親の作る番組の脚本を勝手に書いて“これどう?”って両親に見せてたんです。音楽もその延長線上。それを仕事にしたときに、辛いことはこれまで全然なくて! もちろん運みたいなものもあると思います、庵野監督とか筒美京平さんと巡り合うことで、自分の名刺代わりになる作品をどんどん作ることができたし、クリエイターにとって名刺代わりって名刺以上に大事だと思うんですが…」
取材に先がけて渡しておいた質問を諳んじて続けてくれた。
「ターニングポイントっていう問いがありましたよね? 僕がオギャーと生まれた時には、もう自宅にアニメーターはいるし、隣の建物は特撮スタジオだし、庭には羽をつけた白馬がつながれていて、劇用車のパトカーが置かれていて、だから“生まれたときがターニングポイント”って言うしかないんですよね(笑)」
おお、なんとカッコいいのだろうか。
武田篤典(steam)=取材・文