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名優、高倉健さんをしのぶ

母心 俳優 高倉健

 

2012/4/20

 刀を握り、背中一面に彫り物を背負った任侠映画のポスターを見て、「あの子はまた、あかぎれを切らしとる」と、踵(かかと)からわずかにのぞいた肌色の絆創膏(ばんそうこう)を見つけたのは、世界中でたったひとり、母だけでした。

 それなりの収入を得られるようになって、兄に贈った腕時計。家に帰ったときに値段を聞かれ、「150万円くらいかなぁ…」と答えると、母は不機嫌そうにポツリと言いました。

 「あんたは、増長しとる」

■送られてきた見合い写真

89年公開の「あ・うん」の撮影中、母は91歳で逝った(「あ・うん」の1シーン (C)東宝)

 縁あった女性と別れて独り身になってからは毎年、履歴書付きの見合い写真が送られてきました。元教師だった母が選ぶ見合いの相手は、やはり教育関係者が多かったようです。

 「家に帰っても誰も迎えてくれる人がいない。あんたが不憫だ」という母に、「お母さんが思っているより、俺はずぅ~っとモテるんだよ」と答えると、「ばか」と言われました。

 ブラシの部分がすり減って、柄だけになってしまった歯ブラシを最後まで使っていた母。

 子どもたちがつけっぱなしにしてしまう家中の電気を「もったいない!」と、消して回っていた母。

 「辛抱ばい」

 私はこの一言に支えられ、南極、北極、灼熱(しゃくねつ)の砂漠から厳寒の冬山を駆け抜けてきました。

 不条理ばかりのこの業界で、道を踏み外さなかったのも間違いなく「おふくろを悲しませたくない」の一心。母は、私にとっての規範であり、法律でした。

 父が亡くなったとき、「片腕もがれたごとある」と、悲しんでいた母。

 1989年の東宝映画「あ・うん」の撮影中、母は91歳で逝きました。

 おかあさん…。

読者からのコメント
松山富士夫 50代男性 兵庫県
 身に沁みるメッセージです。時より涙が出てくるのはなぜだろうと思います。私(人)の根幹にあるもが沸々と湧き上がるのでしょうか。今一度、私(人)らしく生きたいと思います。ありがとうございます。
眠りの小五郎 50代男性 千葉県
 私が生まれたのは佐賀県の片田舎。5歳の時に京都へ引っ越した後も、毎年夏休みには帰省していました。小学生のある夏。親戚の家に泊めてもらった時、その家の女の子が泣いていました。飼育していた牛が売られていったのです。その時、子供心にも思いました。人間の食料になるために生まれて来る命があることを。愛情を持って、可愛がって育てても、悲しい別れがあることを。その後、人は生かされている、思い上がってはいけないということを学びました。毎日のように親と子の悲しい事件がニュースになります。高倉様とお母様のお話を若い人に読んでいただきたいです。そして、みんなで考えましょう。
いのぜい 60代男性 神奈川県
 私の兄貴分のような「健さん」が母を思う心は全く私と同じだ。そういえば最近「母」を思う気持ちが湧き上がってきた、と感じていた。子供たちに、また、話しておかなければならないな、と思っていた。それは、末っ子に産まれた私が、子供の頃よく目にゴミが入ってしまい、母のところに行くと、母は自分の舌で私の目の中のゴミを取ってくれた、ということだ。今考えると、母は私に愛情を注いでくれていたのだな、としみじみと思う。ある意味、上の7人の兄貴よりも私が母の愛情を独り占めしていたのかな、とも思う。健さんのコラムを見て同じように感じた。
ハル 30代女性 神奈川県
 高倉健様の2回目のメッセージ「母心」を読ませていただき、ありがとうございます。2歳児の母親です。「母心」のメッセージは母への思い、そして母になった今、私の思いをいろいろ考えさせます。決して豊かでなかった母親の時代、「今使わなくても学べることは学んでおいて、きっと無駄にならないわ」と言いながらいろいろやらされた幼少期の記憶がよみがえり、今になってその大事さを実感しております。物あふれる今の時代、子供の教育は私にとって課題になっています。心に残してくれた母親のメッセージ、今後子供にも伝えようと考えております。そして「母心」のメッセージも心のメモ帳に刻んでおきます。
千晶 30代女性 北海道
 「南極のペンギン」でもお母様への想いが綴られていますが、親と子のお互いの真っ直ぐな愛と言うものが文面からひしひしと伝わって来て、憧れにも似た気持ちになります。自分は自分の親からの愛に健さんの様にちゃんと気づき、応えられて居るのか?と考えされられました。子は親を選べませんし、親の離婚などで他の家庭に憧れる事もありましたが、形は違ってもそれぞれの家庭で掛け替えのない愛のやり取りがあるのだと健さんに教えて頂いた気がします。ありがとうございます。
健 50代男性 神奈川県
 私は色々な方々から健さんの礼節を重んじる言動を見聞きして男の作法(生き様)の先輩と思っております。今回若い友人のお母様の親としての教えに健さんが共感したのも健さんが自分の人生の考え方に共鳴したと思います。
世田谷ボーイ達 70代以上男性 東京都
 大俳優高倉健さんがグッと身近に感じられた瞬間です。特に母親に抱かれている写真は心に残る。ご友人の母が秋になると子豚を飼育させ、春になると売り払って貯金通帳を3人に渡す。毎年繰り返す話。ご本人の経験ではなく、ご友人の経験談ですよね?しかし読み進むうちに高倉健さんの経験談かと錯覚してしまうほどの感動を覚えます。何故かな?どちらも父親が出てこない。二人の妹がいた。この点が共通点です。この共通項がなお更共感を呼ぶ。但し4人の子供をかかえ・・・と有るのでチョット違うかな?
こたろう 50代男性 山口県
 高倉健さんといえば。やくざ映画がほとんどと思ってもいましたが、やはりこの震災のショックが一枚の少女の写真から頑張って生きて行くんだと言うことがわかります。山口県は、あまり自然災害がない所ですが友人のお父さんが東北に行って見て東北の人たちに会って激励しようと思ったそうですがあまりにもひどい状態なので、ものもいえなっかたそうです。東北の方々頑張ってください!!
神戸の健さん 60代男性 兵庫県
 高校時代初めて昭和残侠伝シリーズを映画館で観て以来、自分を犠牲にして人の為に命をすてる!とてもじゃないが自分には出来ない、そんな姿に憧れ続けた私も今年還暦を迎えました。「一枚の写真」「母心」を読みました、そして何故これ程までに高倉健に憧れていたのかがわかりました、健さんは“人を想う無類の優さ”を誰よりも強く持っていた。東映時代、それ以降の作品、全ては高倉健という役者ではなく高倉健という人間でなければ決して演じられなかった、人を感動させるその原点は母を想う優しさだったんですね!健さん私は死ぬまで高倉健の一番のファンです。
isunosemotare 60代女性 大阪府
 56歳で運転免許を取り、念願の長距離ドライブを楽しむ私です。昨年、鹿児島知覧特攻平和会館へ走り、先日長野の戦没画学生の美術館「無言館」へ走りました。昔にあって今に無いもの、今にあって昔に無かったもの・・・・。 色々考えさせられます。 価値観多様・生き方多様・情報過多など、時代の進歩のお陰で素晴らしい事もありますが、社会にも家庭にも規範・法律がなくなった感があり、人が人になりかねていると感じる。 健さんの映画好きです。 昔の映画や映画館は。私たちにとって大変なご馳走で、過酷な現場の撮影や手の込んだセットが作られ撮影されたのだとアレコレ想いを馳せ面白かった。現代の映画は何か「消費されている」を感じます。
福島庸一 60代男性 兵庫県
 今、邦画界で「あの人が出演してるから、映画観に行こう」って言える「あの人」は高倉健さん一人ではないでしょうか。結構年を重ねるにつれブクブク太っている役者さんいますが、我らが「健さん」はズ゛ーッと体型を維持、鍛練されています・・何時でも必要な時に「ダッシュ」出来る様に・・・。「花田秀次郎」も「末広勝治」も「島勇作」も「田島耕作」も8月25日からの「倉島英二」も皆合わせて「高倉 健さん」です。そんな「健さん」と「高倉健」を何年間か描き続けた福山小夜さんの事、一生懸命想いながら日々過ごしたいと想いを新たに・・・「あなたへ」の期待を膨らませている。
ovawoof 60代男性 香川県
 高倉健さんの原点を見た感じがします。今の日本の教育に欠けているのはこういうことだとつくづく感じます。厳しさと優しさ、もったいないの精神を生活の中で伝えていく。 今の親も先生も表面だけを取り繕い、子供に何か不利なことがあれば巨大なクレーマーとなり、自分の責任はそっちのけで相手の弱点と思われる部分を責めたてる。子供はそれを見て、権利ばかりを主張する人となっていく。これからの時代、宇宙船 地球号は100億人の人を乗せてどこに行くのやら。もったいない精神がこれから力を発揮していくことになるでしょう。それをどう教えていくのか、それはやはり生活の中で教えていくしかない。 いいメッセージです。
JIJI88 70代男性 滋賀県
 「母心」――。初めて健さんのブログを読ませていただきました。貴兄の私的なことは、全く知らず、興味もなかった。私の記憶には、銀幕上での、力強い健さんしか無かった。母を独り占めした病弱な幼時、他の兄弟に対する負い目の様なものを持ったこと、母に対する感謝と愛にあふれた姿に触れて、又、一段深く、健さんファンになりました。<幼時の私自身の境遇にダブらせています> 恩返しは、元気に母の歳を越えて生きることと思います。活躍を祈念します。
みち60代女性 愛知県
 しみじみと読ませていただきました。30代の若さで亡くなった母は病弱でした。その母をこれまた病弱な兄に独占されていた私には「母親の印象が薄い」思いがずっとぬぐいきれませんでした。しかし、一文を拝見しその思いから逃れたような気がしました。あの状況なりにそれぞれの子に対する母の思いはあったのだろう、と。感謝です。
mimi 50代女性 福岡県
 高倉健はこの母あっての彼だったのですね。素晴らしい。

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