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インタビュー

いよいよ最終回を迎える『真田丸』!
真田幸村の人生を生き抜いた堺雅人さんにお話を伺いました。

 

実務者として、トラブルを収める

「大坂の陣」編では、それまで2番手、3番手だった信繁の立ち位置が変わっていくだろうと思っていました。物語を引っ張っていくリーダーになるんだろうなと考えていたんです。俳優としても、がんばって現場を引っ張っていかなきゃと意気込んでいました。ところが、例えば大坂城にいくことを決意するシーンでは、いろんな人の声が聞こえてきて、それが信繁を動かすんですね。それは父・昌幸や、上司である三成や、仕えていた秀吉など、信繁がこれまでに出会い、影響を受けたさまざまな人々の声です。信繁は、そうした声に突き動かされるように行動していく。結局、信繁はその人生のなかで、自分で決めたことなんて、ほとんどなかったのかもしれない。目の前の「外側」の人に引っ張られるのか、「内側」から押し出されるのかの違いだけで、いつも彼は何か外部の力によって動かされるんです。それは演じていて、とても面白いところでしたね。

第1回「船出」の冒頭の戦闘シーンを撮影した時は、まだどう演じればいいのか漠然としていて、遠くにぼやけて見える家康っぽい何かに向かって、ただ真っ直ぐに馬を走らせたんです。けれども一年間演じたことで、同じ突撃でも、家康に至るまでの道筋が具体的になった気がします。真っ直ぐだったコースはジグザグになり、遠くに置いていた視点が、随分近くになりました。多分演技として格好いいのは、最初に撮った、遠くを見据えて真っ直ぐ進む信繁です。そこには情緒や、詩的な思いなど、劇的な要素が入り込むから。けれども、僕が気に入っているのは、やっぱり最終回の信繁ですね。具体的で、リアルで、現実的な、実務者の顔です。最終回で家康と対峙するシーンでは馬上筒で相手を狙うのですが、演技がどうであるかよりも、間合いは適切であるか、方向は間違いないかなど、現実的なことだけに意識を集中しました。つまり、家康を一撃で仕留めるにはどうすればいいのかと。

大坂冬の陣、夏の陣における幸村の立場って、例えばトラブルが起きた時の市役所の課長さんが近いのではないでしょうか。任された現場で不測の事態が起きたんだけど、上はなにも決められず、連絡も途絶え、刻一刻と状況が悪くなるなか、現場の最高責任者として決断をする……台本を読みながら、そんなシチュエーションをなんとなくイメージしました。冬の陣で「真田左衛門佐幸村」と名乗りを上げるところも、自分の所属……例えば「〇〇土木課の〇〇です。この先は通れません、止まってください!」というような感じのセリフなのではないかと思ったり。

第1回「船出」の冒頭の戦闘シーンを撮影した時は、まだどう演じればいいのか漠然としていて、遠くにぼやけて見える家康っぽい何かに向かって、ただ真っ直ぐに馬を走らせたんです。けれども一年間演じたことで、同じ突撃でも、家康に至るまでの道筋が具体的になった気がします。真っ直ぐだったコースはジグザグになり、遠くに置いていた視点が、随分近くになりました。多分演技として格好いいのは、最初に撮った、遠くを見据えて真っ直ぐ進む信繁です。そこには情緒や、詩的な思いなど、劇的な要素が入り込むから。けれども、僕が気に入っているのは、やっぱり最終回の信繁ですね。具体的で、リアルで、現実的な、実務者の顔です。最終回で家康と対峙するシーンでは馬上筒で相手を狙うのですが、演技がどうであるかよりも、間合いは適切であるか、方向は間違いないかなど、現実的なことだけに意識を集中しました。つまり、家康を一撃で仕留めるにはどうすればいいのかと。

実際、幸村もそうだったのではないかと思っています。ひたすら目の前のトラブルを収めることしか考えていなかった。他のことを考える余裕など、なかったのではないでしょうか。

魅力的な登場人物に囲まれて

『真田丸』をご覧いただいた皆さんに、物語に登場する信繁以外の魅力的な人物たちについてもたくさん話題にしていただいたことは、とてもうれしかったです。大坂五人衆でいえば、人気のある後藤又兵衛だけではなく、毛利勝永、明石全登、長宗我部盛親なども登場後に検索ワードが上昇し、相当盛り上がったそうですね。信繁本人がこれを知ったら、一番喜ぶのではないでしょうか。まわりの人々の良さを引き立てる力が、信繁にはあったのかもしれません。

また『真田丸』では、女性たちもすごく印象的ですね。男や物語にとって「都合のいい女」というのは、一人もいなかったんじゃないかと思います。人間らしく、きれいごとだけでは済まない女性たちばかり。もっとも、信繁のようにモテる人生がいいかどうかは、よく考えた方がいいと思います。九度山では春、たか、そして、きりという3人の女性に囲まれて、大変な目に遭いましたから(笑)。

全50回を振り返り、一番好きなシーンをあえて挙げるとするならば、ちょっとマニアックになってしまいますが、第14回「大坂」で、元徳川家重臣・石川数正を説得するシーンです。叔父・信尹に調略され、長年仕えた徳川を出奔してしまったことを後悔する数正に対し、「先が読めないのは皆が同じ。だから必死に生きている。とにかく先に進みましょう」と語りかけるシーン。この場面は、数正を説得しているようでいて、同時に上田合戦で愛妻・梅を失ってしまい、負ってしまった自分の心の傷も癒やしている気がしたんですよね。相当難易度の高いシーンだなと思いながら演じていたのですが、石川数正役の伊藤正之さんのお芝居もあって、印象深いシーンになりました。撮り終わった後に、皆で「よくわからないけど、良いシーンになりましたね」と話をしたことを覚えています。

皆で作り上げた『真田丸』

大坂夏の陣から間もなく書かれた軍記物では、「幸村」の名前が使われています。役柄を演じ、「信繁」は本名、「幸村」は戦うためのコードネーム、芸名のようなものではないかと勝手に思いました。

おもしろいなと思うのは、現実がどうであったかということよりも、「幸村」が、民衆が求めた、フィクションの名前だったということです。そこにあるのは政治的な意図ではなく、「こうあってほしい」という、お客さんの理想なんですね。軍記物は読み聞かせの文学のようなところがあり、フィクションの要素も含まれていますから。史実がどうであれ、虚構側から求められた名前が「幸村」だったというのは、すごく面白いと感じています。江戸時代中期になると、兄・信之が藩祖となった松代藩でも「幸村という弟がいたようだ」と、「信繁」ではなく「幸村」の名前を使っているんですって。

大坂冬の陣の合戦ロケの際に、長野県上田市をはじめ、群馬県東吾妻町、千葉県大多喜町の有志の皆さんが、エキストラとして参加してくださいました。大多喜町は本多忠勝が居城とした街ですからいいですが、真田愛にあふれた上田市と東吾妻町の皆さんも徳川方としての参加でした(笑)。でも喜んでいただいたらしく、助監督に「笑顔で死なないでください!」と注意されていました。皆で作り上げた『真田丸』だと思っています。最後までお楽しみいただけたら、うれしいです。

大坂冬の陣の合戦ロケの際に、長野県上田市をはじめ、群馬県東吾妻町、千葉県大多喜町の有志の皆さんが、エキストラとして参加してくださいました。大多喜町は本多忠勝が居城とした街ですからいいですが、真田愛にあふれた上田市と東吾妻町の皆さんも徳川方としての参加でした(笑)。でも喜んでいただいたらしく、助監督に「笑顔で死なないでください!」と注意されていました。皆で作り上げた『真田丸』だと思っています。最後までお楽しみいただけたら、うれしいです。

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