対馬から盗まれた仏像 記録や焼け跡が略奪の根拠=韓国地裁
【大田聯合ニュース】長崎県対馬市の観音寺から盗まれ韓国に持ち込まれた同県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」について、像を保管する韓国政府に対し所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)に像を引き渡すよう命じる判決を出した韓国地裁は、仏像は「贈与や売買などの正常な方法ではなく盗難や略奪によって対馬の観音寺に運ばれ奉安された」として、浮石寺の所有権を認定した。
判決では、仏像の中から見つかった記録や観音寺の歴史、歴史書の記述のほか、仏像に残る焼けた跡などが浮石寺の所有権を認める主な根拠とされた。
観世音菩薩坐像=(聯合ニュース) |
1951年に仏像から見つかった像内納入品の中に、1330年ごろに瑞州(現在の瑞山)にある寺に奉安するため制作されたと読み取れる内容が記録されていた。仏像を補修したり他に移したりする場合は以前の納入品を取り出して、新たな記録を記して像内に入れるのが一般的だとされる。
判決では「そのような資料がない場合、盗難や略奪により仏像の状況が非正常的に変更されたと見なせる」との専門家の見解を引用し、浮石寺の所有を認める根拠とした。また、仏像制作当時に入れられた記録が1951年まで発見されず、仏像が他に移されたという記録も見つかっていないと説明した。
観音寺の歴史や西日本文化協会が発刊した図書「対馬の美術」の中の寄稿文も主な根拠とされた。
観音寺は1526年に建立されたため、仏像が1330年ごろに瑞山で制作された後、1526年より以前に日本に渡ったと推定できるとした上で、寄稿文にも倭寇(わこう)が正常ではない方法で持ち帰ったとの趣旨の記載があると指摘した。倭寇は14世紀に朝鮮半島の西海岸に頻繁に出没したとされる。
高麗王朝の歴史書「高麗史」や対馬の郷土研究誌「対馬の自然と文化」でも仏像が制作された時期より後に倭寇が現在の瑞山地域に侵入したと記されているとした。
また、仏像に焼けた跡があることなども略奪の根拠とした。
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