蹴球探訪
奇跡の初優勝見えた レスター・岡崎が激白「試合後はいつも悔しい」(4月27日)
【大相撲】稀勢の横綱昇進が正式決定 10秒口上「かんじゃった」2017年1月26日 紙面から
大関稀勢の里(30)=本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦=の第72代横綱昇進が25日午前、正式に決定した。日本相撲協会が東京都墨田区の両国国技館で大相撲春場所(3月12日初日・エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議後に臨時理事会を開き、全会一致で決めた。1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりの日本出身横綱が誕生した。相撲協会は春日野理事(元関脇栃乃和歌)と高田川審判委員(元関脇安芸乃島)を使者として東京都内のホテルに派遣し、昇進を伝達した。 「横綱の名」と声を張り上げた稀勢の里がほんの一瞬、詰まった。こらえて「に恥じぬよう、精進致します」と述べ上げた。中盤の9日目でつまずいたが引きずらず、自己最多の14勝1敗で初優勝と綱をつかんだ初場所を再現するような、わずか10秒の見せ場だった。「ちょっとかんじゃいましたね。すいません」と、笑顔で横綱人生のスタートを切った。 24日に予告していた通り、四字熟語を取り入れないシンプルな口上だった。2011年九州場所後、大関昇進の時と同じ「精進」を使った。中学卒で角界に飛び込み、先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)の猛稽古を足場にたどり着いた相撲界の頂点。だからこそ「精進」にこだわった。 亡き師匠の話になると、口元を引き締めて天国に語りかけるように上を見た。「先代師匠と出会わなければ今の自分はないと思ってる。感謝しかない」 新入幕から73場所と、昭和以降、史上最も遅い横綱昇進。「あと一番、足りないという場所が何度も続いた」と振り返る通り、昨年は春、夏、名古屋の3場所連続を含む4度の優勝次点。九州場所では現役で唯一、優勝経験のない大関となった。試練の時間でも「自分を信じて」積み重ねた稽古が、初場所でようやく、土俵上での落ち着きとして結実した。 19年ぶりに誕生した日本出身横綱として、背負う看板の重さは計り知れない。3横綱と比べ、優れている点を問われて「どうでしょう、体重?」と笑いを取ってから「前に出る力というのは、相撲界に15歳で入った時から常に言われ続けてきて、それを磨いて十両、幕内、大関、横綱に上がっていきましたから。信じてやるしかない」ときっぱり。口上同様、飾らない相撲で重責を果たす覚悟だ。 次の目標は「来場所、優勝」。土俵に立てば、結果がすべて。言葉はいらない。第72代横綱稀勢の里が、新時代の先頭に立つ。(志村拓) PR情報
|