いろんな方々のおかげで今の生活がある。
公的書類から性別欄がどんどんなくなり、本来受けるはずだった苦しみはどれだけ軽減されたのだろうか。
医療機関など理解のある一部のところでは、戸籍とは異なる性別を記載してくれるところもあった。
性同一性障害に悩む人たちのグループを紹介してもらい、そこでは傷のなめあいなどもあった。
(言い方は悪いけど、年齢・元の容姿の面で多くの人よりわたしはまだ希望があると少し気持ちが楽になったりもした)
性同一性障害の診断をもらえたのも、国内での手術ができる今も、性別変更の手続きができるようになったのも、そういった活動をしてくれたいろんな方がいたおかげだと思う。
今、同じように性の問題で苦しんでいる人たちにも、早く、少しでも心が穏やかな生活を送れるように祈っている。
今もどんどんジェンダーフリーが進んでいる。
今後は同性間での結婚も認められたりするのかな。
同性、なんていう言い方すらなくなるかもしれない。
でも内心は、もうやめてくれと思っている。
だけどわたしははじめから「男女2つの性で分けられた世界で女性として暮らしたかった」のだ。
昔あれほど憎かった「男は男らしくを求められる世界」と同じ「女は女らしくを求められる世界」に今は幸せを感じるのだ。
性はグラデーションじゃなくてよい。
なんて複雑な
なるほど、たまたま心の性と体の性が違ったってだけで、 男女の性差自体は否定してないのね
“らしさ”に頼らないとジェンダーアイデンティティーを保てないのに、その“らしさ”を否定しようとするジェンダーフリーの流れは自分を否定される気がして怖い。 カムすると男と...