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山本 一郎
1時間前

高齢化問題は、実は「30代と40代の問題」なんだぞ

これ、ほんとどうすんだ

 先日44歳になり、心技体揃った見事なおっさんへと成長した私ですが、いわゆるひとつの中年男性って置かれている立場が弱い割に責任重大なんですよ。上の世代はどうにかしないといけないし、下の世代により良い社会を引き継がないといけないし、稼いでいい暮らしをして、趣味にカネを使って文化を支え、老後に備えて蓄えなければならない。

 そして、高い税金を払い、保険料を納める。否応なく。なんでか? 社会を維持するためですね。それも、日本をここまでの先進国にしてくれた、功労者である高齢者の暮らしを維持する費用が馬鹿にならなくなってるんですよね。

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 だいたい月に2、3回、地方自治体や地方で活躍する企業の方とかに呼ばれて高齢化問題について講演することがあるんですが、だいたい7割がた客席を埋めているのは40代の働き盛りな男女と75歳以上のお年寄りなんですよ。50代から団塊の世代の方は、意外とお越しにならない印象です。理由は良く分かりません。

 実際、高齢者に向かって高齢化問題を話すなんて、まるで「お前ら早く死ね」って言っているみたいじゃないですか。まあ実際、高齢者が早く死ねば高齢化問題なんて無くなるわけですが。言われてみれば、環境問題も財政破綻も核戦争も人間がいなければ起きないことなんだから、みんな死ねばいいんだ。いや、死にたくない。しかし、時間は残酷だ。若いころは怪力で鳴らした住職も可愛いあの子も老けていく。誰だよ住職って。健康優良児で元気に土木作業をやってた人も、コンビニの前でタムロってしゃがんで弁当食べてる人も等しく老いて、でも地域に子供の数が増えなかったら過疎化や高齢化が進むのは当たり前ですね。高齢化を見て政府が悪い、社会が悪い、指導者が悪いと誰かのせいにしても、お先真っ暗な事実は1ミリも動きません。困ったものです。

未来が暗い話をすると喜ぶ高齢者が多い件について

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 でも、こちらが「少し言い過ぎたかな」ぐらいの暗くて衝撃的なお話をして、一番喜んでいただけるのは実は75歳以上、80代から90代のお爺さん、お婆さんがたです。「よく言ってくれた」と。貴方たちの町は無くなりますよ、若い人たちが地元を捨ててみんな都会にいってしまいますよというと、手を叩いて喜ぶ人もいます。マゾなんでしょうか。口々に「どうせ俺らは先に逝くから」と、あとはよろしくな精神を発揮される快活な方ほど、ストレスがなくて長生きされるのかもしれませんが。

 そして、だいたい講演が終わると宴会になるわけですよ。ビール片手に佇んでると、そこでお年寄りが集まってきて「俺たちもう用なしなのは分かってるけど、死にたくても死ねないんだよね。ハハハ」とか口々に仰います。そこまで言うならいますぐそこの窓から飛び降りればお寺も近いし簡単に成仏できるんじゃないかと言いたくなる気持ちをグッとこらえて「そんなこと無理でしょう。待っているご家族もいらっしゃるんじゃないですか」と返すことも多いんですが、ハッとするのはいまの団塊の世代の高齢化の現状と、70代中盤から80代90代の軌跡というのは根本的に異なるんじゃないかと思い当たるからです。

 家族の話をすると寂しそうな表情をされる高齢者が多いのは、とても印象的です。

 闘病の末に伴侶を失った、子供がいなかった、あるいは結婚して独立した、一緒に住んではいるけど日中は働きに出ていて独りぼっちだなどなど、人ひとりごとのドラマは万別です。だからこそ、私なんかは高齢者に「日本に、この社会に生まれてきてよかった」と思って最期を迎えてほしいと願うのです。私に「死ね」とか言われているうちが華ですよ。

愚痴は言いつつ意外とハッピーな高齢者の暮らし

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 つまり、高齢化問題だ、独居老人だという話をすると、みんな老老介護や寝たきり老人の想像をするんですけど、実際には高齢者は高齢者なりに人生を楽しんでいる部分もあるのでしょう。例えば、一人暮らしをしている高齢者に「お前ら幸福ですか?」というアンケートを取ってみると、実は男女平均で6.59点(10点満点、内閣府『2015年版高齢社会白書』)というまずまずハイアベレージな状況があります。何だよ、そこそこ楽しそうじゃねえか。

 ある社会福祉法人でやはり高齢者450人に「いま足りないものは何ですか」とアンケートを取ってみると、ダントツトップが「健康」で、次いで「金」「治安」「伴侶や親しい友人の健康」「災害のない安心感」などが続きます。たまに「愛人」(80代男性)とか「子供の産める年齢の女性」(80代男性)などと回答してくる馬鹿もいます。いい歳してつまらねえこと言ってねえで早く死ねと思ったりもしますが、裏を返せば病気さえしなければ日本の高齢者ライフは貧しいながらもまずまず恵まれた環境です。もちろん、生活上の不便や不安や愚痴はありながらものんびり暮らしているのでしょう。

 子供と同居して暮らしている世帯では、確かに世帯分類上は“家族あり”になっているものの、子供が日中働きに出ていたり、子供夫婦が介護に熱心でなかったり、子育てその他に忙殺されていると事実上高齢者が日中独居状態になってしまうことがあります。また、見落とされがちですが夫婦で長年暮らしているのに夫か妻に先立たれてしまい独居老人になるケースも多数あるわけです。夫婦で静かに暮らしていた家庭が、どちらかの逝去でフッと一人暮らしになってしまうことの辛さは、想像に余りあります。かつて「千の風になって」(英題:”Do not stand at my grave and weep”)が日本でも流行し、長らく共感を呼んだのも、人がこの世を生き抜くことと、去ることの宿命を、その出会いから苦難を経て半世紀近く経って受け入れることのむつかしさを感じさせます。

 私も家内に先立たれたら、不安と哀しみで死んじゃいそうです。統計でも、妻に死なれた夫の平均寿命はより短くなることが分かっていますが、逆に夫が亡くなったあと妻は意外と大丈夫だったりするんですよね。やっぱりおっさんは立場上弱い。弱すぎるよ。

団塊の世代をどうするんだ問題

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 そして、日本最大の人口ボリュームゾーン、団塊の世代がついにリタイアしました。長らくお疲れ様でした。しかし、老人は富を生み出しません。富を生まないのに医療だ介護だ年金だとカネを使っていては、現役世代は大変です。カネを食う老人が増えて珍しくもない状態になってしまうわけですよ。日本の古き良き社会秩序、老人を敬う心は、大量の年寄りを支える予算をどう賄うかという大問題に直面して風前の灯になってしまうのでありましょうか。

 実は、これらの世代を支える必要があるという高齢者問題は、支えられる高齢者の側ではなく、支えなければならない勤労世代の側にのしかかるものです。

 勤労世代である30代、40代こそ、高齢者を社会で支える架け橋であり、人柱であり、次の時代に社会を引き渡す重責を担っているわけです。つまり、頑張って働いて経済を回して税金を払い、老いた父親や母親を援け、自分は働き方改革が叫ばれる中でスキルを磨き、健康に気を配り、夫婦やパートナーと話し合って子供を儲け、教育し、次の時代へ日本を繋いでいく使命を負っています。ここが疲れ果てると日本は本当に終わってしまいます。

 2016年度の社会保障給付費は、予算ベースで年金56兆、医療37兆、福祉その他が23兆あまりで総額118兆円。これが我々納税者の税金の一部や天引きされる保険料などから賄われるわけですけど、これらのお金はだいたい高齢者の生活や医療、介護などに使われてしまいます。当たり前ですね、歳を取ってしまって自分では何もできないんですから。

 でも、これらの予算はだいたいが勤労世代が生み出した、法人税や所得税であり、また、将来の日本人が稼ぐであろうお金(富)を前借して作った借金です。そういったものの上に、高齢者の皆様の6.59点という「まあまあ満足」という生活が成り立っている、という雰囲気でしょうか。

 私も44歳、三児の父、高額納税者、親父お袋が絶賛要介護中という状態でありますので、正直「やってられねえよ」というより「これ、ほんとどうすんだ」と暗中に立ち尽くすような状態です。このままでほんと、日本は持つんですかね。

 「日本社会の衰退を抱きしめる」とき、戦後、昭和が生んだ高度成長から決別し、右肩上がりではない、別の社会思想の必要を強く感じます。減りゆく労働人口でも、制度や技術を駆使しながら、少しでも生産性を上げ経済成長して、右肩下がりでもやっていける社会を構築することです。

 もうバブル経済なんてそうそう来ないし、移民も受け入れる方向にいかないようなら、少ない子供たちのために私たち現役世代である30代40代がいろんなものを受け止めなければならないのでしょう。

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