米TPP離脱より難しいNAFTA再交渉
米国のドナルド・トランプ大統領にとって、既に消滅寸前になっていた環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱は、国際貿易関係の見直しと雇用維持という公約の中では最も手のつけやすいものだったかもしれない。中国との対決や北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉といった公約は、それほど簡単には実現できないだろう。
NAFTAなど既存の貿易ルールの大転換は、米国の製品・サービスの3大輸出先であるカナダ、中国、メキシコへの輸出に依存している米国企業に打撃を与える恐れがある。しかも世界の貿易は、第2次世界大戦後に積み重ねられてきた規則に縛られており、ドミノ効果で予期せぬ結果をもたらすことなく、条件を変更するのは難しい。そのため、既存の貿易相手国から経済的譲歩を引き出そうとするトランプ政権の取り組みは込み入ったものになりそうだ。
米国の貿易政策の歴史に詳しいダートマス大学のダグラス・アーウィン教授はトランプ政権の当局者について、「必要なことを現実的にみているとは思えない」と述べ、貿易ルールの変更には「非常に複雑で時間が掛かる。米経済に大きな混乱を招かないことを確認する必要がある」との見方を示した。
トランプ氏が23日、TPPから正式に離脱するための大統領令に署名したことから、オバマ前政権が既に議会承認を断念していた同協定は葬り去られた。トランプ氏は大統領選でTPPについて、米国がまとめた各種貿易協定が自国の製造業を犠牲にして低賃金の途上国に利益をもたらしていることを示す象徴だと批判していた。
‘トランプ氏は地雷原の真ん中に立っているようなものだ。どの方向に足を踏み出しても連鎖反応を引き起こす。’
大統領に就任したトランプ氏にとって次のステップは、カナダとメキシコの首脳と会談し、NAFTAの再交渉を開始することのようだ。自由貿易を支持するピーターソン国際経済研究所(PIIE)のゲリー・ハフバウアー上級研究員(通商問題担当)は「NAFTAがトランプ政権の優先事項であることは明らかで、同政権の試金石になりそうだ」とし、「ひな型を得るにはしばらく時間が掛かるだろう。トランプ政権はその後に、他国との貿易交渉にそれを当てはめていくのだろう」と予想した。
トランプ氏と同氏の顧問らは、NAFTAの再交渉では、自動車などの原産地規則の強化や、為替操作国への制裁導入を求める意向を示唆している。また、メキシコの付加価値税など、米国の製造業に不利となっている輸入品への課税の見直しも望んでいる。
しかしいずれも、米国内だけでなく北米各国で議論を呼ぶ可能性がある。自動車の原産地規則はTPP交渉でメキシコと日本が激しく対立した問題だった。為替操作国への制裁は、米議会内で意見が分かれている。また法律専門家によれば、輸入品への課税見直しは、世界貿易機関(WTO)との衝突を招く恐れがある。
仮にNAFTA再交渉がすんなり進んだとしても、2018年の米中間選挙前に新NAFTAの全容が明らかになることはないだろう。
法律専門家らによれば、トランプ氏は新NAFTAをひな型にして、既存の韓国との2国間貿易協定の再交渉や、日本、ベトナムなどアジア諸国、さらには英国などとの間で新たな2国間交渉を働き掛ける可能性がある。
トランプ氏は、国際貿易政策や中国の経済問題に精通したチームを編成しつつある。ウィルバー・ロス次期商務長官は、24日に上院商業科学運輸委員会から指名承認を受けた。米通商代表部(USTR)代表に指名された著名弁護士ロバート・ライトハイザー氏は、共和、民主両党から歓迎されている。
日本や韓国など米国の同盟国にも打撃
一部のアナリストは、トランプ政権の強硬姿勢により、中国など主要対米輸出国との交渉で相応の経済的譲歩が得られ、新協定の締結に結びつく可能性があると指摘する。しかし、米大統領選で貿易協定への反発が強かったことを考えれば、トランプ新政権が目指す協定も政治的な反発に見舞われるかもしれない。
トランプ氏は、米国の雇用を維持するために、NAFTAなど既存の貿易協定を破棄して貿易障壁を築き、多国間の貿易協定ではなく2国間協定を優先する戦略を打ち出している。トランプ氏が米国の雇用を奪っていると非難してきた中国とメキシコとの貿易交渉が、新政権の貿易政策転換が実効性のあるものかどうかを占う試金石となるだろう。両国と米国との貿易は合わせて1兆ドルを超え、米国の輸出入に占める比率は30%に達する。
トランプ氏は、中国が鉄鋼に対する輸出補助金などの慣行をやめなければ、中国製品に45%の関税を課すと警告している。そうした関税の一律引き上げはWTO違反になる恐れがあり、中国などからの報復措置を招く可能性がある。トランプ氏はまた、中国を為替操作国に認定すると公約している。しかし中国は最近、人民元の行き過ぎた下落を阻止しようと努めており、米国は中国が自国通貨安を誘導しているとの主張を正当化しづらくなるかもしれない。
トランプ政権が中国製品に対する関税を引き上げれば、中国との貿易戦争を引き起こしかねない。そうなれば、中国で事業を展開している米国企業に影響を及ぼし、中国の輸出製品に多くの部品を供給している日本や韓国など米国の同盟国にも打撃を与えるだろう。
また米国がNAFTAを解体してしまえば、メキシコおよびカナダとの貿易はWTOのルールに戻る。その場合、NAFTAの下で0%だった自動車の関税は2.5%にすることが許されるだけだ。
元USTR次席代表補で、フォーダム大学法学部非常勤教授のマット・ゴールド氏は、「トランプ氏は地雷原の真ん中に立っているようなものだ」とし、「どの方向に足を踏み出しても連鎖反応を引き起こす」と述べた。