ひと連なりになったLDK。黄色い壁の上階はワークスペース。キッチンの目につくところには食器、調理器具などを一切置かない。
通信社記者、テレビキャスターを経て、経済通の国際ジャーナリストに。現在『マネーの羅針盤』などのキャスター、明治大学国際日本学部教授を務める他、雑誌への寄稿多数。
博報堂コピーライター、ザ・ボディショップ・ジャパン代表取締役を経て、レナ・ジャポン・インスティチュート代表取締役。夫婦ともに上智大学を卒業。
明らかに空気が違う。それは新幹線を降りた瞬間から感じ取ることができる。
駅前から車で10分ほど走り、見渡すかぎり続く林の中へ分け入ると、ますます肌に触れる風が澄んでくる。木々から漂う香気が鼻をくすぐる。
「空気、水、目に映る自然……都心にはないものが、ここにはたっぷりとある。こういう環境でこそ、生活の質が確保できるというものです」
軽井沢に住む、ジャーナリストの蟹瀬誠一氏はそう話す。
建てたのは2007年。それ以前は、日本で広まる「持ち家信仰」の信奉者とはならず、都内各所の賃貸物件に住んできた。
「ライフスタイルは刻々と変わるのに、ひとたび家を持ってしまうと、いろいろなことが限定されてしまうようで嫌だった」
ところが、50代になって考えが変化する。
「本当の豊かさを享受できる軽井沢なら、『自分の住む場所』と定めてもいい気がした」
軽井沢に住む先輩諸氏の意見を聞き物件の目星をつけ、令子夫人と候補地を見に行った。
そこには、見事なコブシの木が生えていた。当時は更地だが、もともと大きな邸宅の庭として使われていた場所であり、樹木の佇まいが美しかった。
「すぐ気に入りました。木が呼んでいる、そう感じましたね」
と、自然をこよなく愛する令子さん。ここにしようと即断した。すぐに購入し、住居を建てることとなる。
軽井沢は単なるリゾートではない。明治の頃から開発されてきた長い歴史があり、そこで生活を送る人たちが多数いて、独自の文化とコミュニティーが根づく。だからこそ、ここに別荘ではなく、住むための家を建てたくなったと蟹瀬氏は言う。
リビングとつながるロフトがふたりの書斎。右が誠一さん、左が令子さんのスペース。
左:キッチンとダイニング、庭のバーベキュー卓を、「女性のライン」として一直線に並べた。右:書見スペースにはペーパーバックのミステリーが。就寝時はこれらを読んでクールダウン。
左上:令子さんの意向を全面的に取り入れたキッチン。器の一大コレクションが整然と収まる。右上:色合いにひと目惚れしてオークションで競り落としたリヤドロが、専用棚とともに鎮座。左:初めてふたりで暮らした家で使っていたのと同型の真鍮(ちゅう)ドアノブ。探しだして取りつけ。