国連と全世界から尊敬を受けていた韓国人

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2017年01月25日14時43分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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故李鍾郁博士(写真=中央フォト)
  「いつまでもあなたを忘れません」

  国連と全世界から尊敬を受けていた韓国人がいる。

  元「WHO(World Health Organization、世界保健機構)事務局長」であり、韓国人として初の国連機構トップになった故李鍾郁(イ・ジョンウク、1945-2006)博士がその人物だ。

  「Man of action」と呼ばれていた彼は、「考え」を「実践」に移した代表的な人物だ。

  李鍾郁博士は過去、南太平洋の島国サモアのハンセン病患者の村のある東洋人医師だった。その後、WHO本部予防ワクチン局で小児麻ひ発生率を顕著に下げた担当局長になり、2003年にWHO事務局長になった。

  実際、最初から崇高な思想を持っていたわけではない。「私が初めてWHOに就職したのは、給料や色々な条件が良かったからだ。崇高な思想を持って就職したわけではない」と明らかにしたこともある。

  だが、彼は自身のニックネームの通りに正しいと「考え」たことを「行動」に移した。李鍾郁博士は年間150日を出張に行った。30万キロメートルを飛行したが、エコノミークラスの座席に2人の随行員がいれば十分だった。

  WHO事務局長の就任と同時に彼が掲げた公約がある。

  「2005年までに300万人のエイズ患者に治療剤を提供する」ということだった。

  だが、予算確保が難しく、患者のほとんどが医療システムの脆弱なアフリカ加盟国にいたので不可能な公約だと職員から懸念の声も出た。

  それでも李鍾郁博士は行動をやめなかった。「果たして、正しいことであり、人類のために必要なことなのかについて悩むだけだ」という自身の信念の通りに動いた。

  憂慮した通りに300万人のうち200万人には治療剤を提供することができなかった。だが、彼は自身の失敗を違うアプローチから分析した。

  「少なくとも、失敗は、始めないよりはるかに大きな結果を残すものだ」という彼の言葉のように。

  失敗の結果は驚くべきものだった。エイズ治療剤を支給された100万人の患者がおり、アフリカのエイズに対して全世界から人々の関心が集まった。

  もちろん、危機もあった。彼は「どんな姿に変わるのか、率直に自信がない」「国家元首に会って接待を受けるうちに傲慢になり生意気になるかもしれない」と心配した。だが、彼は自らを絶えず警戒した。

  李鍾郁博士は常に偉い者になろうと思わず、結局、自身の信念通りに毅然として歩んでいった。

  彼がこの世を去って10年という歳月が流れたが、彼の精神は依然として生きているのみならず、広がり発展している。
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