世界日報…じゃない産経新聞のコラム産経抄(1982~1995年)のデムパを適当に引用しぐさ。
・1982年7月31日
産経抄は「いまの日本人にはかつての『軍国主義を美化』したり『侵略政策を是認』したりする気なぞ全くない。アジア各国の人びとに味わわせた苦難と悲惨を心から反省し、二度とふたたび過去の過ちを繰り返さぬことを固く心に誓っている」と書いていた。一方、「しかしそのことと、自国の欠点ばかりをことさらに取り上げ、口をきわめて祖国の過去をののしることは全く別のことである」という。その後、1999年7月15日の産経抄では、江戸しぐさが登場。「いまこの時代に、道を行く人で傘をかしげるものは少ない」「日本人はいつからか礼節をどこかへ置き忘れてしまった」というが、江戸っ子大虐殺(自国の欠点)には触れないようにしている。
・1983年12月31日
「『1984』の社会には『2足す2が4といえる自由』がなく、ビッグ・ブラザー(独裁者)の党権力によって『4ではなく5だ』といわされる」。「1984年まできょう一日、私たちが守るべきものははっきりしている」という産経は「5だ」と言い続けている。サムシング・グレートがあなたを見ている。
・1984年8月15日
「子供たちの歴史教科書のほとんどは」「東京裁判史観から脱けられない人たちによって書かれている」…。東京裁判史観キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
・1987年8月24日
「過去の戦争における加害者として、日本と日本人が深く反省しなければならないことは多い。しかし真実は何か、まだ定かではないこともある」「いわゆる“南京大虐殺”と呼ばれる事件は、その一つではないか」などと言い出し、トンデモ本「阿羅健一氏の新書『聞き書/南京事件』」を紹介。阿羅しぐさ。
・1989年4月5日
「日本がアジア近隣にかけた迷惑は大きく、反省すべきことは多い」「しかしあの戦争によって、アジア諸国の独立や民族の解放もすすんだもう一面の存在があるが、それを記述する教科書はほとんどない。それは戦争の不当な肯定や美化ではなく、歴史の皮肉と真実をバランスよく教えることのはず」などとし、教科書にデムパを載せようとする。“バランス”は高橋史朗氏がよく使う語である。
・1990年10月24日
「第三次あるいは第四次宗教ブームといわれて久しいが、現代の若者たちは占いやおみくじを好み、お化けやオカルトを信じるものが多いそうだ」…。もちろん産経はオカルト。
・1991年11月27日
「いい加減に自虐の“日本ダメ論”から抜ける時なのである」。「最も反日的なのが日本人自身」…。反日!出た!反日出た!得意技! 反日出た!反日!これ!反日出たよ~~!
・1991年12月12日
「山本七平氏はベンダサンその人であったかどうか。恐らく同一人物だったはずだが、そんなことはどうでもいい」…。山本七平氏(トンデモ)自体がどうでもいい。
・1992年2月17日
慰安婦問題は「臭いものだからフタをしたのは当然」で「日本だけがおぞましい恥部をひきずっていたと教えるのは歴史をゆがめている」らしい。これが産経しぐさ。
・1992年2月18日
「戦争を賛美したり、日本軍の行為を是認したりするものでは断じてない。恥ずべく、おぞましかったのは何も日本だけなのではない」。産経しぐさ。
・1992年8月10日
「“鎮魂の夏”にはアジアに与えた戦争の惨禍への反省が不可欠だが、それは東京裁判史観の足かせから自由なものでなくてはならない」…。これも産経しぐさ。
・1993年1月29日
「宮沢りえちゃんは、宮沢りえさんに成長していた」。えっ。
・1993年7月3日
教科書では「日本が犯した大陸への侵略やアジア近隣の人びとに与えた被害や罪禍は、あくまでも厳しく、きちんと教えなければならない」としつつも“バランス”が大事だとし、「あの戦争は、結果としてアジア」の「独立と解放をうながす一面を持った」ことも書くべきだという。バランスしぐさ。
・1993年8月12日
「中国やアジアにはまぎれもない侵略を犯した」…「侵略が正当化されはしないが、“歴史の影”を見ないのはバランスを欠く」。「極東軍事裁判の戦争史観からぬけない限り“歴史の真実”は見えてこない」…。ここでもバランスしぐさ。
・1993年8月18日
「追悼の辞」で「これでもか、これでもかと、自らみじめで暗黒な反日的状況に追いこむ」…。妄想乙。
・1994年10月25日
「『戦後民主主義』を一言でいえば、自国の歴史を汚辱にまみれた過去とみるイデオロギーである。戦前戦中のことは何もかも日本だけが悪うございましたとする自虐の暗黒史観である」…。はぁ。
・1994年12月9日
「戦後民主主義の破綻が表れた一例が」「『いじめ自殺事件』ではなかったか」…。えっ。
・1995年9月28日
「沖縄でおきた米兵の少女暴行事件の波紋は、なお収まらない」…「ここぞとばかり反米感情をあおり立てるマスコミも出てきた。こうなると新たな、ゆゆしき事態を心配しないわけにはいかなくなる」。産経は「親米反日」であり、2001年の女性暴行事件では「被害者の側にも何か誤解されるようなことがなかったかどうか、今後の防犯のためにも検証したほうがいい」(2001年7月4日)などと書いてしまう。
おまけ:
曽野綾子氏は『狸の幸福 夜明けの新聞の匂い』(1996年、新潮社)で「私たちは、『南京虐殺事件』に関する記述には誤りが多いとして全国の中学1年生とその親427人が、文部大臣を相手取り教科書是正を求めている訴訟があることなど、ほとんど知らされないのである」…「第1回口頭弁論が10月30日に行われたことを、朝日、毎日、読売、日経、東京の中央紙は全く報道しなかった。極く小さく触れたのは産経と世界日報だけである」(p.190)と書いている。あっ…(察し)。