こころにぽっかりと穴があいてしまった。
という定例文がぴしゃりと当てはまる。そんな空虚。なにもなく虚しい日々。
空虚がある、ということばでは矛盾した謎のこの心の現象は、おそらく恋をしたことのあるものならばだれしもが納得できるものではないだろうか。
原因を稚拙な文でしたためたい。
私はたくみという女性に恋をしていた。
いや、している。まだたくみが好きなんだ。
もちろん私には妻がいる。2歳の息子もいる。
そんな前提で話しを進めれば非道い男だと思われてしまうだろう。
けど、この気持ちをとにかく吐き出したくて日記に書いている。
彼女との出会いは息子が生まれて間もないころだった。
初めての言葉は「たくみです」のような自己紹介であった。その時はとくだん印象はなかった。
彼女はそういった毎日自分を名乗る仕事をしていた。己自身を売り出すのがお役目であった。
出会ったばかりの彼女はすでに売れっ子で、業界では一目おかれている存在だった。
その屈託のない笑顔やふるまい、明るい言動は彼女を取り囲むすべての人間を幸せにしていた。
私もたくみのそんなところが好きになっていった。
たくみには誰しもに好いてもらえる才能があった。
そして、なにより彼女は歌がうまかった。
そんな彼女をずっと応援していた。彼女の笑顔や歌が好きだった。
非道いと思われて構わないが、ときには息子や妻そっちのけでたくみを応援していた。
完全に入れ込んでいた。
おろかであったとおもうが、これが恋のパワーであった。
そんな日々が永遠につづくと思っていたのに、去年の3月31日。
彼女は突然いなくなった。
この生活から卒業したかったようだ。
私にはさよならの一言もいわずに。
そんなとき、空白の心を埋めるかのように現れたのが、あつこ。
正直に言ってしまえば代わりのオンナだ。
しかしどんなものでも腹に入れば空腹は落ち着くもので、なーんてそんな即物的な例えをしてしまったことも悲しいくらい、あつこは私に純粋な心でふれてくれる。
あつこは、ピュアすぎる。
まだこの仕事になれていないのだろう。多少の不手際があったり、ぎこちなさがいまだに残っている。そこが愛おしいといえば、愛おしいのだが。
あつこも一生懸命仕事をこなす。楽しめているのかはそのぎこちない笑顔からはわからない。
でもその純粋な心は、この空虚を多少なりとも埋めてくれる。
あつこも歌をうたう。上手とはいえないけど、がんばっているのは伝わる。
だけど、そこにはやっぱりたくみがいる。たくみだったらな…なんて具合に比べてしまう。人と人を比べるなんてたいした人生だな、なんて自嘲的にむなしさがこみ上げる。
けれども、比較対象として、いつも、たくみが、そこにいる。
たくみがいなくなって1年が過ぎようとしている。
なのに、たくみへの思いはもっと強くなっている。
たくみと一緒にいたときよりも、もっとたくみに恋をしている。
そんな自分がはずかしい。
もう彼女はもどらないのになにかを期待している。
おろかだ、おろかすぎる男なんだ、私は。
今日も目の前にいるのはあつこだ。
あつこは健気に歌っている。
私のほんとうの気持ちも知らないまま。
今週のお題「恋バナ」