彼女は済州島出身の田舎者で…
平成2年、呉さんは『スカートの風』を出版した。日韓の文化・習慣の行き違いについて、韓国人ホステスの例などを通じて述べた本である。反響は大きく、3ヶ月ほどで10万部を超えるベストセラーとなった。これを機に、あちこちから講演や原稿執筆の依頼が殺到するようになった。
ある時、東京の日本語学校の先生たちの集まりで、一時間ほど講演をして欲しいという依頼を受けた。その場には主催者側が、東大の博士課程に在学中だという韓国人男性を呼んでいた。呉さんの話が終わって、質問の時間になると、その韓国人が立ち上がって、つかつかと前に出てマイクを握った。
みなさん、私は、いままで何も言わずに黙って聞いてきたけど、彼女がどういう人だか知っているのですか。彼女は韓国の軍隊出身なのですよ。
確かに呉さんは高校を出てから、きびきびした女性軍人に憧れ、10倍以上の狭き門をくぐって、教育期間を含めて4年間軍隊に在籍し、その間大学にも行った。しかし、それと呉さんの講演と何の関係があるのか、日本人聴衆はまったく分からなかったろう。この男性が言いたかったのは、軍隊に行くような女はまともではない、ということであった。さらにこう続けた。
彼女は済州島出身の田舎者で、日本に来ても歌舞伎町のホステスたちと仲良くしているような人間だ。そんな人間が話すことを、あなた方は韓国の代表的な意見であるかのように聞いたり、質問したりして、盛り上がっているというのは、いったいどういうことですか?
「紺屋の白袴」
その時、後ろに座っていた一人の日本人が「失礼なことをいうな。おまえ出て行け!」と怒鳴った。韓国人男性は「そっちこそ失礼ではないか、人がせっかく説明してあげているのに怒鳴って」と、怒鳴られた理由がまるで分かっていない。
そこで彼は、自分を紹介しますと言って、私は東大の博士課程にいて、有名な○○先生のもとで、これこれの研究をしている、と自慢げにとうとうと述べ立て始めた。これが韓国であれば、一にも二にも彼の輝かしい学歴がその主張の正しさを保証し、だれもが彼の意見を尊重する所だ。
しかし日本ではそうはならない。高学歴だからと言って、その人の言うことが正しいとは誰も思わないし、そもそも「学者馬鹿」などという言葉すらある。会場の日本人たちからは口々に彼への反発の声があがる。しかし、彼はなぜ日本人たちが自分に反発しているのか、まるで分からない。
異文化摩擦の絵に描いたような事例である。呉さんには、その行き違いが手に取るように分かった。そもそも彼の師事する東大の○○先生は著名な人類学者で、呉さんの『スカートの風』には大変に感動した、立派な本だと誉めて、韓国専門の先生方や学生の前で話をさせてもらった事があったのである。
この男性は博士課程で文化人類学を研究しながら、自分自身では日韓の文化の違いをまるで理解せずに、韓国流そのままで振る舞って、日本人聴衆の反発をかっていたのである。まさに「紺屋の白袴」とはこの事だ。