理由としては、頭の良くない大学のゼミの歓迎会での飲み会や授業最終回後に飲み会と色々とあったからである、
自分は、飲み会に普段参加しないし誘われる類の人間でも無いので続けて色々と参加するのは初めてのようなものであった。
そこで、感じたのはこれに加えてセックスでも出来たら何もウェブでのフェミバトルも政治や経済関係の記事なども見る必要がないということだ。
大学で楽しそうな見てくれの良い輩は何も考えてい無さそう楽しそうだ。
これは普段から様々なイベントがあり、恋愛の自由市場においても勝者であるからだろう。
ごく一瞬だけ、色々とイベントが偶然にも重なり彼らの疑似体験をしたが、顔が良ければ心底楽しそうだ。
結局、自分が原発や基地の問題やらを気にしているのは自分の容姿が醜いからなのだろう。
見てくれが良い輩のジェンダーやらというのは所詮は戯言でしかない。
飲み会やらが沢山あって、セックスが出来たらどんなに楽しいことか。
ミシェルウエルベックも知識というのは、穏やかな愛があればカスみたいなものだと言っていた気がするが意味が良くわかった。
食堂の彼らがもっているものを心のそこから希求し、どうにもならなくて泣くしか無い。
容姿が良くなりたい。