松方弘樹さん、16歳で歌手を目指すも五木ひろしに圧倒され断念

2017年1月24日6時0分  スポーツ報知
  • 90年、インタビューに答えた松方弘樹さん

 スター俳優に上り詰めた松方だが、志願して俳優になったわけではない。16歳時に単身上京したのは「歌手になりたい」の一念から。しかし、作曲家・上原げんと氏のもとで修業するも半年で夢はついえる。少年・松山まさるの天才的な歌のうまさに圧倒されたからだ。後の五木ひろしのことだ。

 「華のある俳優」として一番勢いがあったのは京都に住んでいた30、40代のころ。父は時代劇俳優の中でも、最も迫力ある立ち回りで刀さばきを見せた近衛十四郎さん。偉大な父親を持つと、比較されたくない気持ちから、親の話題を避ける人が多いが、松方は違った。

 あれは20年以上も昔。松方と亜季子さんが離婚する前、長崎・雲仙普賢岳に夫婦そろっての取材会があった。元夫人は「息子は将来、パパみたいになりたいって言ってるのよね」と話していた。そんな時期もあった。太秦の東映撮影所で取材があれば、親子ほど年の離れた若い記者にも毎回、必ず「僕の父は近衛十四郎という昭和の剣劇スターだったんだけどね」と言い続けていた。父を心から愛し、リスペクトしていた。

 小2で始めた釣りに夢中になるのは、親子でさおを並べたへラブナ釣りが原点。松方の晩年と言えば、400キロ近い巨大マグロを釣り上げたことだ。獲物を釣り上げるために自ら編み出したのはエサの大きさ。10キロをこえるキハダマグロを使っていたという。

 漁師が3キロほどのカツオを使っているのを考えれば、いかに特別か分かるエピソード。そして松方は長年、釣り人生を楽しませてくれたお礼として“マグロ基金”を通じて「砂漠化した海に恩返しがしたい」とも、自著「松方弘樹の世界を釣った日々」で触れていた。やりたいことはたくさん残っていただけに、悔しい思いで生涯を終えただろう。

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