グローバル化は米国のヨーマンリー(一般庶民)から活力源を吸い取っている――カフェイン抜き、低脂肪乳多めのモカ・フラペチーノを一度に1杯ずつ。トランプ米大統領がこんなふうに感じていることに驚く人がいたとすれば、その人は昨年11月の選挙にあまり注意を払っていなかった。
それでも、20日の大統領就任演説はトランプ氏と敵対する人々をショック状態に陥れたようだ。ふたを開けてみたら、同氏は実際、一連のことを本気で言っていたのだ。
トランプ氏は自身の主義として「米国第一」について語り、自身の政策として「保護」、モットーとして「バイ・アメリカン(米国製品を買う)」について語った。21日には、トランプ氏の大統領就任に抗議する「女性大行進」のために、米国全土や世界中の都市に何百万人もの人が集まった。
トランプ氏は自分の世界観が持つ重大な意味を受け入れている。実際、同氏にはこの世界観を行動に移す勝算がかなりある。
■非支配階級に向けた演説
トランプ氏の弁舌に人にショックを与える力があるということが、同氏の正しさを裏付ける、ある種の証拠だ。同氏の選挙運動は「支配階級の米国」の目に見えない物事に関するものだった。その手始めが「非支配階級の米国」だ。人の目に見えないこと、名も知られていないこと、発言力がないことが、演説全体のテーマだった。「1つずつ工場が閉鎖され、我が国を去っていった」。トランプ氏はこう述べた。「取り残された何百万という米国の労働者たちが顧みられることはなかった」
産業空洞化に関する話のように聞こえるが、支配者のおごりについての一文にも聞こえる。演説のクライマックスは「この言葉を聞いてほしい。あなた方の声が無視されることは、もう二度とない」というセリフだ。トランプ氏はこうして、支配階級のための新たなアイデンティティーを提案した。排除された人々の情け深い擁護者でも大胆な産業リーダーでもなく、常識的な礼節を重んじる思慮深い守護者でさえもない。餌をがつがつ食うブタとしてのアイデンティティーだ。
ほぼすべての新聞記者は、トランプ氏の発言は低俗で恥ずべきものだったと確信している。これは早計な判断だ。マーケティングの口上が共通語になっており、3億2400万人の大半がその才を持った米国において、トランプ氏は今まさに、過去にどんな米国人がどんな商品について展開したものよりも、はるかに効果的なマーケティングキャンペーンを成し遂げたのだ。
演説に注意を払えば、とりとめのないわめき声のようにはさほど聞こえなくなり、真剣な統治プログラムのように思えるはずだ。「この米国の修羅場は、ここで、たった今終わる」というフレーズは、多くの人にスラム街の暴力への言及と受け止められた。実際、もし米国の大統領が一世代前に使っていたら、まさにそれを意味していただろう。だが、トランプ氏の演説内でこの言葉が使われた位置からすると、同氏は都市の郊外や小さな街を襲う、主にヘロインとその他のオピオイド(医療用麻薬)が関係した薬物過剰摂取の波に触れていた可能性のほうが高い。
史上最も恐ろしい米国麻薬危機はこれである――年間5万人が薬物で命を落としており、銃や自動車による死者数を上回っている。1970年代にはミュージシャンのカーティス・メイフィールドがスラム街での麻薬と犯罪について歌った。1980年代には2人の大統領が「麻薬撲滅戦争」を仕掛けた。今日の薬物過剰摂取は政府からも大衆文化からも注目されない。トランプ氏は、薬物で最も大きな打撃を受けているニューハンプシャー州とウェストバージニア州で効果的な選挙運動を展開した。