(英フィナンシャル・タイムズ紙 2017年1月18日付)

【写真特集】トランプ氏を大統領とは認めない! 米首都などでデモ

米首都ワシントンでドナルド・トランプ氏の米大統領就任に抗議するデモ隊(2017年1月20日撮影)。(c)AFP/Jewel SAMAD〔AFPBB News

 人類は同族的だ。我々は社会的動物であり、文化的動物である。文化があるおかげで、人類は家族・親族の中だけでなく、想像上の共同体の中でも協力し合うことができる。そのような共同体のうち、家族(ファミリー)に最も近いのが、祖先を共有しているという意味合いのある「国家(ネイション)」だ。

 想像上の共同体を作り出す能力は人類の強みであり、最大の弱みの1つでもある。想像上の共同体は、その中の人々が何を共有しているかをはっきりさせる。

 だが、何かが人々を結びつけるということは、結びつけられた人々とそれ以外の人々とを分け隔てることでもある。

 今日、指導者たちがかつて見られたように専制政治を、下手をすれば戦争をも正当化するために、怒りに基づくナショナリズムを煽り立てている。

 人類の歴史の大部分において、戦争は異なる社会の間に自然に見られる関係だと捉えられてきた。戦いでの勝利は、少なくともエリートたちには、略奪と権力、そして威信をもたらした。戦争のために資源を動員することが、国家の中核的な役割の1つだったし、そうした動員を正当化することが、文化の中核的な役割の1つだった。

 繁栄を手に入れる方法にはもう1つ、交易というやり方がある。交易と略奪のバランスは複雑だ。どちらも、成果を上げるのに有効な文化に支えられた強力な制度を必要とするが、戦争では忠誠心を土台とする軍隊が必要になる一方、交易では司法を土台とする安全が必要になるからだ。

 恐らく、経済学の最大の貢献とは、相手を征服しようとするよりも相手と取引をしようとした方がお互いに得をするという考え方をもたらしたことにあるのだろう。そのうえ、取引の相手が裕福になればなるほど、お互いが豊かになる交易を行う機会も増える。従って、国家間で結ぶべき賢明な関係とは戦争ではなく協力する関係であり、孤立ではなく取引をする関係であることになる。