記事の冒頭ですが、頭を下げさせていただきます。
タイトルだけを冷静に見ると、ただの変態です。
上の題から得られる第一印象は、間違いなく頭のおかしな人です。
これから順を追って話を進めていきますので、どうか釈明の余地をください。
突然ですが、皆さんは服を脱いで走ったことはありますか?
自分はあります。
とはいっても、法に触れるような話や変態的な話題が展開される訳ではありませんので、ご安心ください。
インパクトの問題で、どうしても「服を脱いで走った」という部分に目が行きがちですが、自分が書きたいのはその前にある「どうしたらいいのか分からなかった」という気持ちの方です。
自分が服を脱いで走るようになったのは16歳からで、その年の夏から遊ぶようになったグループの集まりに参加し始めたのがきっかけです。
うーん、何かもっと良い言い方はないですかね。
これではそのグループが、怪しい集団のように聞こえてしまいます。
あの、違います。そういった集会ではありません。
その集まりについては以前書いたことがありますので、読んでいただけたら幸いです。
いつも通り前置きが長くなってしまいましたが、とにかく服と一緒に自分の殻を脱いで走ったのがその時期なのです。
あの日の小田急線の車内で声を掛けられて始まった関係、今でこそツーカー同盟で1ミリも気を使うことなく毒を吐きあってますが、遊び始めた頃は自分が一番新入りだったこともあり、周囲の目に気を配りながら過ごしていました。
ですので、当時、自分の生活を脅かしていた問題を彼らに打ち明けることはありませんでした。
正直、もうダメかもしれないと思う時期も何度かありましたが、その事実を仲間に伝える事によって、殆ど消えかけていた自尊心が完全に無くなってしまうことと、やっと見つけた居場所を失うことになるのかもしれない可能性が怖くて仕方がなかったのです。
そんな鬱々とした生活を送っていたある日、自分達はとある人気のない公園で、水風船当てバトルをして遊んでいました。
振り返ると、若さゆえの衝動なのか、あの頃はよく制服を着たまま川や用水路に飛び込んだり、公園の蛇口やペットボトルを使い、水をかけ合ってずぶ濡れになったり、急な勾配の斜面を勢いよく転がっていったり、段差が高いところから下に飛び降りたりしていました。
何であんなことばかりしていたのでしょうか……。
一体、何がしたかったのでしょうか……。
全くもって奇怪な行動です。
それにより制服やシャツが汚れて枚数が足りなくなったり、ローファーが川に流されたり、数え切れない怪我や足の捻挫、肩の打撲など毎回喜ばしくない結果が待っていたのですが、それでも何かに取り憑かれたように楽しんでやっていました。
そんなわけで、その日ももれなく水浸しになりながら水風船を投げ合っていました。
そこはある程度広い公園だったので、手持ちの弾が減り状況が不利になった自分は身を隠そうと、公園を囲うように生えている茂みの奥へ進みました。
身を低くしてその場所にすっぽりと収まった自分は、物音を立てないように注意し、地面にうつ伏せになりました。
そこで耳をすますと、先ほど逃げてきた広場でやり合う声は聞こえましたが、それがこちらに向かってくる様子はありません。
なので、走り疲れていた自分は、そのスペースで少し休むことにしました。
地面に近づけた顔に寄ってくる虫を払いながら、しばらくの間じっと伏せていたのですが、誰もやってきません。
広場の方からは笑い声が聞こえるのですが、その場所だけ違う領域のように静かでした。
そうして隠れている内に、すごい勢いで心が不安になってきました。
もう、どうしようもなく不安で不安で堪らないのです。
急にイライラしたり、悲しくなったり、不安になる。
あの時期、あまり眠れなかったせいか、自分は感情のバランスが上手く取れていませんでした。
迫り来る憂いに動かされ、目の前にあった草をカサカサと鳴らしましたが、反応はありません。
自分はここにいるのに、誰もこない。
日も暮れそうな中、びしょ濡れのシャツが肌に張り付いて不快でした。
(脱ごう)
直感で、そう決めました。
皮膚に吸い付く気持ちの悪い感情は、脱ぎ捨てよう。
自分は急いでシャツを脱ぎ、ベルトを外してズボンを下げ、VネックのTシャツも地面に投げました(靴下、及び靴とトランクスはキープしてます)。
そうしてから手持ちの水風船を全て抱え、皆の声がする方へ「ワァァァー」と叫びながら突撃していきました。
広場に姿を現したその見た目が予想外だったのか、自分の方を向いた皆の動きが止まります。しかし自分はそんな状況などお構いなしに水風船を投げまくり、ほぼ全裸で仲間の元に向いました。
「やべー、やべーのが来た」
皆は自分に応戦しようとせず、手に水風船を持ちながら蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。
何というか、その光景を目にして、心のつかえが取れたような、スゥーッとモヤモヤが晴れていくような、そんな気分になりました。
気持ちが良い。
心底、気持ちが良い。
距離をとった仲間から水風船の一斉射撃を食らっても、まるで怯まずに全速力で追いかける自分。
間近に迫る九割全裸男から逃れようと、必死に逃げる仲間。
お風呂に入っている時も、ご飯を食べている時も、遊んでいる時も、ずっと存在を主張していた胸のしこりが、生まれたままに近い姿で無心に走り狂っている瞬間だけは、顔を見せませんでした。
それは、自分が今まで覚えたことのない開放感でした。
その日を境に、自分は仲間内で脱ぐ人になりました。
何かあったら、脱ぐ。
とにかく、脱ぐ。
脱いで、とことん追いかける。
片手で上着を剥いでいる間に、もう一方の手でズボンのボタンを外せるようになった頃、仲間内で気を使うことは無くなっていました。
自分は脱ぐことで、たくさんの悪意を解放したのだと思います。
己の中にあるドロドロを、脱いで走って、ばら撒いたのです。
あの頃、自分が何か大きな存在に試されているのではないかと錯覚するほど、色々な場所に引き金が用意されていました。
考え直すと不思議で、怖くなります。
大して仲の良くない知り合いが突然くれた、サバイバルナイフ。
新聞配達の配達区間にたまたまあった、どうしても許せなかった奴の家。
仲間に合わせて買ったジッポライター。燃料が切れないよう、常備していたオイル。
ジッポとオイルを手にした途端、後ろに積んでいる新聞の意味が変わりました。
深夜2時40分。
毎日、決まった時間にそいつの家を眺めていた自分は、誰かに背中を押されるのを待っていたのでしょうか?
深夜2時40分。
通りは、いつも、嫌になるほど静かでした。
自分が引いたのは、引き金ではなく、ベルトのバックル。
ズボンを下げて、仲間を追いかけるためのひと引きです。
前回の記事の「もしも」の世界。
ここでの「もしも」は考えたくもない「もしも」
何度、想像しても、幸せになれない「もしも」
トリガーは、いらない。
九割全裸で走りきる解放感を知れば、トリガーは引かない。
自分が出来ることは何だろうと、ずっと昔から考えています。
自分がしてきた経験は、誰か、今、真っ只中でもがいている誰かの助けにならないだろうかと。
力が欲しいと、最近考えるようになりました。
肉体的な力ではなく、思いを実行できる力。
筋トレで体を大きくしましたが、外用ペルソナが強化されただけです。
そうではなく、もっと本質的な強さ。
ありがたく、自分はこうして生きてこれました。
今、とても幸せです。
自分はもう、大丈夫。
じゃあ、これから自分が出来ることは何だろう。
誰かに笑われ、顔を殴られ、体毛を燃やされているあなたに対してできることは何か。
「存在価値がないから死ね」
「ほら、早く死ねって」
記憶にこびりついている情景のように、屋上でせかされているあなたに、自分は何ができるのだろう。
今は、自分たち家族が生きていけるお金しかない。
自分は今、書くことしかできない。
自分が見てきたもの、経験してきたことを書く。
でも、それがあなたの助けになるかなんて分からない。
全くの的外れだってことも、大いにある。
自分は自分の経験でしか、ものが分からない。
でも、自分がそこにいた時、「オレもそうだったけど、何だかんだで大丈夫だったよ」って言ってくれる人が欲しかった。
「今はこんな状況かもしれないけど、永遠には続かない」って誰かにしつこく言って欲しかった。
そして、誰かの笑える文章がたくさん読みたかった。
誰が読んでくれるか分からない、読んでくれていないかもしれない。
でも、発信し続けることは出来る。
自分の考えていることが、あなたの考えに合わない可能性も高いと思う。
でも、発信し続けることは出来る。
自分は、やっぱり自分の経験してきたことでしか、ものが分からない。
ネットは21世紀の産物なんだ。
繋がりは無限のはずだ。
だから、どんなタイミングで誰が見るかなんて分からない。
心から思う。
一人でいい、一人でいいから、渦中にいるあなたに届いて欲しい。
トリガーは引かないで。
誰かが、何かが、誘惑してきても、引き金だけは絶対に引かないで。
パンツさえ履いていれば、いつだって、どこでだって全速力で走れる。
追いかける仲間がいなくたって、とにかく走れる。
パンイチで走ることを推奨しているんじゃない、法に触れることじゃなければ、誰かを傷つけることじゃなければ、何だってして欲しいと心から思っている。
あなたの命に変わるものはない。
いつだって、あなたの命が一番大事だ。
最優先なんだ。
これからもここで書き続けます。
同じ題材の話を、くだらない話を、頭の中の話を。
「良いことばかりではないけど、最終的にプラスマイナス、プラスだよ」という小説を書き続けていきます。
誰かのタイミングに合うかどうか全く分からないけど、とにかくそれを信じて発信していきます。
感情が入りすぎて読みづらくなってしまった文を、お詫びします。
読んでくださった方、ありがとうございました。
(どんなに小さくてもいい。そこに光が見えるなら、それに向かって言葉を出し続ける)