どうも、社蓄くんです。
我が家にはペットがいます。
真鯉です。
名前はコイタローです。
昔から日本では鯉は縁起が良い生き物で、立身出世の象徴でもあり、その生命力の強さから病人食としても親しまれてきました。
鯉釣りをしている知人が言うには、鯉は水から出しても数時間は生きているらしいです。
かなり汚れた河川でも生存できますし、何でも貪欲に食べるらしいです。
ジャンボタニシという生物が大量発生して困ったときは、コイを用水路や水田に放流することで、ジャンボタニシを減らすことが出来たと聞いたことがあります。
稲食い荒らす「ジャンボタニシ」農家に壊滅的ダメージ! 繁殖力強く大量発生 https://t.co/YhP3FmZvg3 @jcast_newsさんから
— 時事ニュースTweet (@newsawards) 2017年1月22日
コイタローは我が家に来てすぐに、キンギョ用の安いエサを食べ始めてくれました。
何でも食べてくれるペットは、飼育していて本当に楽ですね。
将来はニワトリやイヌもまた飼育してみたいなと思っています。
田舎でニワトリを育てて、卵を産ませたり、繁殖をさせるのが夢です。
ニワトリたちの糞などから肥料を作り、それで野菜や果物を育てるのもいいですね。
生活に必要最低限のものだけは外部から購入し、それ以外は自給自足の生活をするのが、将来の夢です。
世間から遠く離れた世界で、土や草、水、動物たちと共に生きるのが、社蓄くんの理想です。
結婚してなかったり、子供がいないと、『なんで生きているのかわからなくなった・・・』という心境に陥る人もいるかと思います。
生物というのは、生存する理由として、自分のDNAを残すというのが大きな目的のひとつとして本能に刻まれていると思うので、子孫を残さない(残せない)生き方と言うのは、その本能からくる欲求に抗わなければなりません。
仕事をしていても、仕事をしてお金を稼ぐ目的は何なのだろうか、自分が生きていくためであるとしても、それならば、必要最低限の収入で十分では?などと考えてしまいます。
毎日遅くまで働き、残業をして、死ぬような思いをして会社にコミットする生き方をする理由がわからなくなるのです。
会社で出世し、いろいろな責任を持ち、様々なことに挑戦し、部下から慕われることで会社の中での存在意義を感じ、人生に意味とやりがいを見出すことも可能だと思います。
ただ、会社という組織でひとりの社員というのは、ひとつの歯車にしか過ぎないと思います。
この社員がいなくなったら会社が倒産する、経営が立ち行かなくなる、ということは、めったに無いでしょう。
もちろん、個人経営に近い零細企業などは別だとは思いますが、そこそこの人数がいる企業で、ひとりの社員の存在意義なんてものは、それほど大きなものではないと思います。
社員からしたら、その会社の社員であるということの方が、大きな意義を持っているでしょうが、会社からしてみれば、ただの歯車のひとつに過ぎません。
極端な話、その社員が事故などで翌日から出勤できない状態になったとしても、会社は普通に回っていくと思います。
替えが利く存在の存在意義というのは、有るようで無いようなもの、だと私は思います。
それに対して、家族と言うのは替えが利くものではありません。
息子にとって父親と言うのは唯一無二の存在であり、母親にとっての息子も同様です。
つまり、家族を持つということは、唯一無二の存在であることを確立できる、手っ取り早い手段であり、とても素晴らしいことであると思います。
ただ、家族を持つということはなかなか大変なことではあります。
私は、いろいろな事情で、妻や子を持つことが出来そうにありません。
しかし、動物も家族の一員であると考えるならば、コイタローという家族を持っていることになります。
動物も生き物と言う意味では、人間と同じです。
コイタローには、家族として、出来る限りの愛情を注いで行きたいと思います。
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