今日は久々に、ただの日記。
オチは何もない。
最近、 ひょんなことで、「大きな夢を語る人物」に出会った。
彼はとても元気だった。とてもパワフルだった。
そしてその勢いのままに、とても大きな夢を語る人物だった。
凡人なら「できるわけがない」と簡単にあきらめてしまいそうな夢を、彼は平然と語っていた。
そんな彼を見ていたら、僕は少しだけ自分が小さく感じられた。
なぜなら今の僕には、彼ほど大きな夢を語ることができないからだ。
「何か夢はないか?」と聞かれたなら、全く出てこないわけではない。
しかし、どれも個人の快楽を追求するレベルのものばかりで、スケールがどうにも小さいのだ。
彼に比べて、あまりにちっぽけなのだ。
例えば
・日本中の主要都道府県に家を買いたいとか
・キャンピングカーで住所不定生活してみたいなーとか
・もっとたくさん服を買ってオシャレになりたいとか
・自分のバーかカフェのお店を持ちたいとか
そういう個人の快楽を追求するレベルの夢なら、いくらでも語れる。
でも昔の僕は、もう少し違ったように思う。
もっと社会全体のことや、この世界全体のこと、地球規模のこと、そういうことが視野に入っていた。
でもいつしか大人になるにつれて、今の僕はそういうものへの興味が減ってしまった。
いや、今でもそういうことに全く興味がないわけではない。
でも以前よりは、遥かに減ってしまった。
今はそういうのよりも、個人の快楽を追求するレベルのことばかりが頭に浮かんでしまう。
そのことが、すごく寂しく感じられるのだ。
すごく悔しく感じられるのだ。
とはいっても、別にそのことが「悪い」と感じているのではない。
別にちっぽけな夢しか語れない自分だって、そのこと自体にはとくに罪はない。
何を願うかは、個人の自由だ。
また、現時点の自分を否定するわけでもない。
今の自分がその程度なのであれば、それは仕方ないことだ。
受け入れるしかない。
そういう自分を否定し、うじうじしたって始まらない。
また、僕は知っている。
夢が浮かばないときとは、それは本当に無いから浮かばないのではなく、自分自身が「できない」と思い込んでいるから自然と選択肢から除外してしまっていて、だから発想に出てこないだけだということを。
だから、本当は僕にも夢があるんだ。もっと大きな夢が。
今はそれに気付けないだけで。
というわけで、このことはいったんポジティブな意味で棚上げすることにする。
今は僕自身の無意識が、そういう人間に変化できることを拒んでいる。
こういうときはいくら考えても、発想には出てこない。
だからいつの日か自分の本質が変わるまで、待つことにする。
ただその代わり、
「いつかどこかで、彼のような人間になろう。
絶対になろう。
なってやろう」
というこの想いだけは、忘れずにおこうと思う。
理想とは、こんなふうに視界の片隅に適度に入れておけば、きっといつか実現する。
そのことを僕は経験上、知っている。
だからその日がくるまで、僕は今感じているこの悔しさと悲しさを、胸の中にしまって置こうと思う。
うん、とくにオチはない。
ふと心に言葉が湧き上がったので、書いてみた。
それだけの記事。
よーーーし!!!!!
もっともっと成長すんぞ!!!!!!!!
今年は成長の年じゃ!!!!!!!!!!