2008年3月に起こった小島と芦原会館二代目館長芦原英典氏との共著であった「芦原英幸伝 我が父、その魂」において小島が行ったインタビュー内容の捏造発端とした一連の騒動。分かりやすいまとめはこちら。
2008年に芦原会館二代目館長・芦原英典の語りおろしという触れ込みの共著『芦原英幸伝 我が父、その魂』のあとがきで「英典氏の言葉を借りながら、生前の芦原英幸を知る私の『想い』を加味させて頂いたと述べ、これについて芦原会館側は「インタビュー内容は改竄されたものであり、同書に芦原会館は関わりがない」と声明を出したた事を発端にした騒動。これに対し小島は自身のブログ上で芦原会館との絶縁を宣言し、「芦原会館ほど陰湿で卑怯かつオタク的集団は初めてである」「芦原英幸の死が明確になってから、古参の弟子たちが殆ど組織を離れていった。芦原会館側は酷い理由で彼らを非難する。まるで犯罪者呼ばわりだ。しかし実態は全く違う。『芦原家』が我が身かわいさ故に、芦原英幸から直接技術を学んだ高弟たちを次々と粛清していった…これが真相である」「芦原英典氏に告ぐ! これ以上の恥をかきたくないのならば、早急に『公式謝罪』することを要求する。アナタの言葉は物書きのプロである私の尊厳と誇りをズタズタに切り裂いたのだ」「芦原会館は小島=松井章圭、極真会館を確実に敵に回し、正道会館にもケンカ売った」「謝罪がなければ、私を支持・擁護してくれる、また私の後見人・後援者が率いるあらゆる団体・組織が芦原会館の敵として過激な『私闘』に挑むだろう」「と主張した。ちなみにこの騒動の前までは小島は正道会館を度々批判した。その後、小島を批判した芦原会館加古川支部長の携帯電話番号をブログ上で公開し、「少年少女に猥褻行為を繰り返し、拒絶した児童・生徒に対しては、ネット上で誹謗中傷している」などの根拠のない中傷、「職場に『挨拶』させて頂きます。御家族にも『挨拶』させて頂いてからタイマン張りましょう。アナタの住所勤務先は既に調査済みです」などの脅迫を記載した。その後、「『筋』の通った謝罪がない限りは、腕力による闘争を選び芦原会館にも要求する」として自分と加古川支部長(当時白血病の治療中であった)、自分の息子と芦原英典、自らが主宰する武道サークルの会員と芦原会館支部長によるノールールの決闘を申し込んだ。ちなみに該当行為を行うと日本国では決闘罪にあたる犯罪行為である。さらに「芦原会館には芦原英幸の技術が継承されていない、自分は芦原英幸 から頸椎を極める裏サバキという技術を直伝された」と主張したが芦原会館サイドは否定している。