2017年1月22日日曜日

「熱」

「自分が関わった仕事が、世間でどのような評価を得ているか。」
それを気にしない仕事人は居ません。

49話を作ったスタッフさんたちの殆どは、まほプリの評判を知っているでしょう。(※注)

それでもここまでソウルフルな音と映像を作って見せてきたという事実は、
どう解釈すべきだろうと考えてみました。




少なくとも確実にいえることは、

作品を投げなかった。
あきらめなかった。
「よい終わり方をしたい」という熱意があった。
監督に力を貸そうとする意思があった。

というところだと思います。



※世間的評判とは当然、ウチが基準ではありません。
「世間」を語るならウチよりもこれの方がよほどアテになるでしょう。


2年前より随分マシ。
ただ、去年の評価があまりにも高すぎるので
比べてしまうとかなり残念というのが、
これを見る限りでの冷静な見立てかなと。

ただしこれは評価の割合だけでなく
評価している人数にも着目すべきです。
今年はレビュアーが少なすぎます。

語ろうとする人が少ないというのは
悪い評価とはまた別の意味で
深刻な事だと思います。

※  ※  ※

私は1話の頃から変わらず、この49話を見てさえ、
三塚さんがこの作品を通して何を伝えたいのか
キャラクターを通じて何を描きたいのかは読み取れませんでした。

それは、本来作品を作るうえでは絶対に欠かせない軸のようなものなのですが、
それを持たずに作ろうとしてしまったんだろうなと受け取るほかありません。

自発的ではなく、誰かに言われたとおりの仕事をしようとする意志を
感じたのもそういうところに理由があると思います。


しかしそれでも、役者さんと絵描きさんほかスタッフさんを使って
この気迫あふれる映像を作ったのは、
三塚さん(と大塚監督)の技量であり、情熱であるはずです。



本当に、本当に不満が山ほどあって、一度堰を切ったらとまらないほど溜まっているのですが、
それでもこの心意気にまではケチを付けたくないと思いました。

(これまでに言いたい事は大体言い切ってるという事もありますが。)




不満の言葉はまとめてあったんですが、封印しようかなと思います。
三塚さんの分は。

あとは、もう少し頭冷やしてから決めます。



※  ※  ※

神業職人たちにここまでの仕事をさせるという事は、
三塚さんの人柄は愛されているのかな・・・なんて想像してみました。

だって、自分が仕事を振られる立場だったら、
たとえお給料をもらえても嫌いな人のために全力なんか出せないですもん。

13 件のコメント:

  1. 相対性論者2017年1月22日 21:51

    両者の人となりを知らない僕がヘタなことは言えません。
    よって人望があるかどうかは分かりませんが、
    交友関係はあったそうですし、かつて同じ立場を経験した人なら
    相談に乗ったり、グチを聞いたり、「手伝うから言えよ」とか、請われたら断らないでしょう。
    あとは「視聴者(子供たち)のためなんだからね!」かもしれません。

    あるスレでみらいの中の人のツイッターの一文が紹介されていたのですが、

    (子供たちに)がんばれ!と言われたら、がんばるしかない

    旨の書き込みをしてらっしゃいます。(括弧内は僕の想像です)
    全文読むと満身創痍感が察せられて(個人的な感想です)頭が下がります。
    とうに心が折れてるだろうに、添え木だけで戦っているようで・・・(あくまで個人的感想です)

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  2. はじめまして。なんとなく辿り着いた者です。
    この記事と、49話の記事しかまだ読んでませんが。
    まほプリ、今は嫌いじゃないですが、始まった当初は「なんじゃこりゃ?」でしたね。
    そういう疑問を明文化してるサイトさんなのかな?と勝手に解釈させて頂いてます。

    絵と声優さんのがんばりだけで持ったアニメ、なんでしょうか…?
    そういう作品、前にも出会ったような気がしますが…なんだったっけかなw
    がんばったスタッフ、キャストは報われたのでしょうか…?

    正直最初の私ははーちゃん(ヨチヨチ期)だけが希望でした。
    そんなはーちゃんも大きくなって、それでもはーちゃんでいてくれてよかったなと思います。
    はーちゃんがいなかったら、見切ったプリキュアその2になってたかもしれません。
    (その1は意外にもスイートです)

    確かに積み重ね、ないですね。
    繋がってる感じ、しないですね。
    いや、みらいが友達人気ある描写はありましたけど
    なぜリコは特別なのかわからないまま既成事実みたいになりましたね…w

    とりあえず既成事実だと割り切れば49話はすごかった、と言っていいと思います。
    (実際みらいの呪文連呼のとこは泣きそうになりましたし)

    あんまり深く考察とかしたことない人なのでよくわかりませんが
    まほプリに足りなかったものとは?
    ここにいたらその答えを得られるでしょうか。
    まぁ今となってはそれ自体は(自分にとっての)重要度はさほどではないのですが
    ふとこのサイトが目に留まったので、ちょっとだけお邪魔させて頂きました。

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  3. >それでもここまでソウルフルな音と映像を作って見せてきたという事実は、
    >どう解釈すべきだろうと

     単純に考えるならば
    ○監督が人心掌握術に長けていた。またはスタッフから慕われていた
    ○スタッフにオタク気質の人が多く、世間の評判や上司に関係なく
    自分のやりたいことに情熱を注いだ

     といったところでしょうか。
    ただ単に責任感だけであの気合の入った画は作れないでしょうから、
    通常の精神状態ではなかったんじゃないかと思います。

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    1.  大事なことを忘れていました。それは本来の視聴者である、子どもの評判です。
      我われ成人に評判が悪かったとしても、子どもの評判が良ければ、
      スタッフの気合が入ったのにもうなずけます。

       私はあまり人気の有無を詳しく調べたりしないので、実際のところは分かりませんが。

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  4. このアニメに関しては最初からあの49話を目指した作りをしていましたよ

    とゆうかはっきり言ってていお氏がこの魔法つかいプリキュアと言うアニメをズレた点で観てしまい大損をしながら最後まで来てしまった感があります
    大きな理由を挙げると「このアニメの最大の特徴はみらいとリコの友情物語でありそれに注力していること」を理解できなかったこと前作のプリンセスプリキュアの印象が焼き付いて柔軟に作品を楽しむ気概が無くなっていた事の2つです
    何れにせよこのアニメ自体に指して問題は無く、楽しめなかったのは観ていたていお氏自身の問題です 全体的に無駄に上から目線で自分の好みに合う展開以外すべて否定する典型的なお子様思考ですね

    49話は今までの集大成であり「魔法つかいプリキュアはこれが描きたかったのだ」とゆうスタッフの思いがこれでもかと感じ取れる秀逸な出来ですが、ていお氏はこのアニメを楽しめた人間が観た時の感動の半分も味わってないと思います
    ポット出でこの49話が出来上がる訳ないじゃないですか そこに至るための積み上げはちゃんとあったんですよ あなたは完全に無視して前作との比較や見当違いの考察ばかりしてましたけどね
    それでロクな見識も無い状態でスタッフどころかキャストにまで妄想染みた憶測や文句垂れるあなたに呆れ果てる 

    この1年随分と勿体無いことしましたね 
    これからはまずそのアニメがどういったタイプで攻めてくるかを見極めてそれに応じた楽しみ方と分析をして見たらどうです?
    それが出来なければ好き嫌いする子どもと同じですよ 少なくともプリキュアの同人をこれからも出し続けるなら無理してでもその作品の熱くなれる部分を探さないと出来上がるのは薄っぺらいモノだけ そんな同人誰が買うのでしょうか...

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    1. >「このアニメの最大の特徴はみらいとリコの友情物語でありそれに注力していること」
      もしそうだとしたら、私も理解できなかったことになります。
      もちろん、そういった特徴を全く感じなかったわけではありません。
      でも、弁解をさせてもらうと、他の要素(魔法、二つの世界、敵など)に気を取られて、
      それが最大の特徴とまでは感じなかったんですよね。

       いっそのこと、みらいが「他の皆に嫌われても、リコ(とはーちゃん)さえいてくれればいいよ」
      というような状況になればわかりやすいのですが、子供向けでは難しいかな。


       ところで、この作品にとって避けられない特徴として、魔法・魔法つかいがありますよね。
      HNCさんはこれについてどう思われましたか?私はもっと「ハチャメチャ大混乱!」な
      話がたくさんあれば良かったなあ、と思いました。

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    2. 楽しめる人には楽しめるんでしょう。HNCさんは楽しめる人だった。素直に羨ましいです。
      ていおさんを始め、今作に苦言を呈している人の多くはロジックとしての納得がいかない、という人が多いので、どうしようもないのが辛いところですが。
      ようは、気になっている細かい矛盾点などに全て目を瞑れば楽しめる、という事ですから。
      (そして気になっている人にしてみれば、目をつぶるのが非常に難しい)

      みらいとリコの友情物語、なるほどそれだけでしたら49話の再会シーンにもある程度納得行きます。
      友情というより恋人のようでしたが……恋愛物語のほうがしっくりきません?
      めめたあさんも仰っていますが、『リコさえいてくれればいいよ』、これは愛よ。

      ちなみに私は、そう(友情物語として)見ようとしても、キャラクターに一貫性があるか、キャラクターのバックホーンはどうか、如何に意見を交わし、絆を深めたか、そういった点も気にします。なので結局楽しめませんね。
      友情なんて例年のどのプリキュアでも育まれて来ましたからね。
      ノリちぐはぐ、性格真逆、だけど友情。ハートキャッチやスイート、初代も、みんなそうですね。

      ところで、クライマックスには作品のテーマ、メッセージ性を表現して欲しいと思っているのですが。
      (これは子供向けのアニメですからね)
      はて、あの再会シーンは何を伝えたかったんでしょう。見ている子供に何を考えさせたかったのでしょう。
      感動させたかった以上の意図が私には感じられません。

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    3. うーん僕は「みらいとリコの友情物語」としてあの物語を見ようと試みた事がありますが
      それでもしっかりそれらが描けていたかというと疑問を感じましたし、実際そう見ることも難しかったです。
      ですがまほプリの物語を見て「2人の友情がしっかり描かれている」と感じられた人なら
      とても満足の行く内容だったと思いますし、それを踏まえての49話はまさに今年1年の集大成になったろうと思います。
      皮肉とかでは決してないですが、そう見られたというのならそれはとても羨ましいです。

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    4. 今年春のプリキュア新聞24面で鷲尾Pが
      「今後についてはまだ決まっていません。スタッフにとってはそれが楽しみだったりするんです」
      と、語っていますね。
      これを素直に受け取るなら、

      >このアニメに関しては最初からあの49話を目指した作りをしていましたよ

      「それは違う」と言うことになりますね。

      また、仮にそうであったなら「私の目には」、
      やっておくべき仕込が大分不足していたように感じた。
      「私が学んできた、ごく少ない知識とセオリーで考えたら」
      そう言わざるを得なかった。という話です。

      そして知識豊富で見識の広そうなあなたは「不足していない」と感じる事が出来た。


      その違いは否定しあっても詮無き事です。
      人の感情は意見交換で変わるものではないし、そうするべきものでもないのですから。


      また、この1年間が無駄だったなんてとんでもない話です。
      とてもとても学ぶ事が多く有意義な視聴体験でした。

      これがなければ、私が尊敬する監督さんがどれだけすごい仕事をしているのか
      に気づく事は出来なかったのですから。

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  5. それって監督のやりたいことをていおさん個人が読み取れなかったというだけの話なんじゃないですか?
    別にそれ自体は作品の合う合わないがあるからかまわないと思うけど、
    周りの人間(少なくとも最終回スタッフ)は「やりたいこと」を共有できていたから良いものを作った。
    それ以上の理由を邪推するのはスタッフへの侮辱になると思います。

    普段からこのブログを読んでますがこの記事はあんまりにも行き過ぎてると思ったので。

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    1. >それ以上の理由を邪推するのはスタッフへの侮辱になると思います。

      私はこの部分に関しては、職人さんたちへの敬意を表するつもりで書きました。

      「自分だったらどう思うだろう」という考えを発表する事が、
      たとえ当人たちから見て的外れだと思う物であったとしても
      侮辱になるとは、私は、思いません。

      もっとも、今作に対してはこれまでにかなり棘のある言葉を使ってきていますから
      「どのように受け取られるか」については今後は一層慎重に表現を選ぶ事にします。

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  6. いえ、やはりひどい侮辱だと思いますよ。
    実を言えば自分もまほプリをあまり楽しめなかったクチで、言葉に棘があるとはいえていおさんの「なぜ面白いのか、つまらないのか」を言語化できる才能は尊敬しているところです。
    でも、今回の話って「もしも自分がスタッフなら(作品自体を好きではないのに)熱量を込められるモチベーションがあるのは監督を慕っているから」という推量ですよね。
    あなたは無意識かどうか知りませんけど「スタッフはまほプリという作品自体を愛していないだろう」と言ったんですよ。
    それは、作品を世に送り出すのが仕事のクリエイターに対して、少なくとも今回のように良い仕事をした職人に対して、一番言ってはいけないことです。
    私なら絶対に言われたくない。というお話です。

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    1. 誤解の原因はそこでしたか。
      しかしわかりませんね。

      >(作品自体を好きではないのに)

      その言葉は何処から出たのでしょう?

      冒頭で「評判の程は分かっているでしょう」という話はしましたが、
      そこから「スタッフの皆さんが作品をどう思っているか」
      なんて話がどうして出来ましょうか。


      それとも、「もし私がスタッフの立場だったら」という言葉を
      「ていおブログを描いている本人」がそのまま「現場スタッフになったら」と読み取ったのでしょうか?

      しかしそうだとしても、
      それが「スタッフは作品自体を好きではない」なんて理屈の前提になるはずもありませんし・・


      >無意識かどうか知りませんけど「スタッフはまほプリという作品自体を愛していないだろう」と言ったんですよ。

      これも、どの言葉でそのように解釈したのか分かりません。

      『49話を作ったスタッフさんたちの殆どは、まほプリの評判を知っているでしょう。』
      ▲これでしょうか?

      だとするなら、
      「世間の評判(去年に比べると良くない)を知ったとしても、
      それが作品への愛が無くなる理由にはなりませんよね。
      まして、2年前よりもよほど肯定的に語ってくれる人たちも居るのですから。」
      とお答えします。

      ※  ※  ※

      ともかく予想外の解釈でした。
      ・・誤解のない表現に書き換えます。と言いたい所でしたが、
      今のところどこをどう直せばよいか良く分かりません。

      思いついたら直すかもしれません。

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なんでもいいからHNを名乗って頂けます様お願いします。

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