「民主主義=選挙ではないので、選挙の結果選ばれた人間を万人が支持する必要はないし、もちろん抗議したり反論したりするのも自由。というか"それも”民主主義という制度が健全に機能するために欠かすことのできない要素です」というのは教科書レベルの話なんですけれども。
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選挙の結果選ばれた人物について(あるいはその人物の言動や主導する政策について)批判や抗議をすることが許容されないなら、それはただの独裁ですから。民主主義が独裁者を生むことはあっても民主主義という制度は独裁を容認するものではないし、まして個人の意思表明を縛るものでもない。
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選挙という行為はあくまでもその人物や政党に対して政治的実効性(「権力」と言い換えてもいいですが)を一時的に付託するための手続きに過ぎず"主権”が国民(市民)にあることは変わらない。故に国民(市民)は"主権者”としてその人物・政党に対し自由に意見表明できる。それが民主主義。
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逆に、民主主義においては「選挙で選ばれたのだからその人物を認めよう」というものだけではなく「選挙で選ばれた人物・政党であろうとも"私は”彼らを否定も批判もする」というものを含めた主権者の自由意思があってはじめて"選挙”という手続きとその結果が正当化されるのです。
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「選挙の結果選ばれた人物を否定も批判もしてはいけない」という主張それ自体が"民主主義における選挙の正当性”を損なう言動であることを理解せねばなりません。「選挙の結果選ばれた人物を否定も批判もしてはいけない」という状況下で行われた選挙では民主主義的公正制は担保されないんですよ。
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大統領だろうが首相だろうが国会議員だろうが村長だろうが、主権者は選挙の結果選ばれた人間を自身の意思と判断で否定も批判もできる。それが民主主義の根幹です。個人がそうした自由意志のもとで投票という行動を通じて政治的実効性の一時的な付託先を選ぶのが選挙。選挙はただの手段。
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そうでないなら選挙は最初からバイアスのかかった出来レースでしかなくなります。「選挙の結果選ばれた人物を否定も批判もしてはいけない」なら現職が圧倒的に有利ですからね。
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加えていっておくと、アメリカのあれは「大統領になったからといって貴方の好き放題にはさせませんよ」という主権者側からのプレッシャーなわけで政治的に見ても真っ当な手法ですよね。デモという行為を否定したい人たちはそれを絶対に認めないでしょうが。
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