私はほとんど自炊をしない。だから近所にある飯屋で日々の食事が决まる。これは同居人もそうである。行きつけの飯屋を五つほど用意して日々をまわしている。そんな食生活である。
しかし、近所にふつうの定食を食べられる店がない。中華、牛丼、カレーはある。パンや麺類もある。インドカレーにナンをひたして食べられる店まである。なのに、ごはんに味噌汁、主菜に小鉢という、日本的フォーマットで出てくる店がない。
自分の住んでいるあたりの問題なのか、意外とそういう場所は多いのか、とにかくそんな日々を過ごしているから、私と同居人のあいだに、「近所に大戸屋さえあれば……!」という、祈りにも似た気持ちが生まれている。
もっとも、最後に大戸屋に行ったのは二人とも十年前で、私はむかし東京に住んでいたころ、立川駅近くの大戸屋に通っていた。そして同居人は河原町で働いていたころ、会社の昼休みに大戸屋に行くことが多かった。
対象が日常から消失し、記憶の中にのみ存在するようになったとき、プラスにせよマイナスにせよ、その評価は極端になるもので、近所に大戸屋のない生活を十年続けた結果、われわれのなかで、大戸屋はどんどんその輝きを増している。
価格と味のバランスが絶妙だった(気がする)。とろろ御飯がものすごくおいしかった(気がする)。大戸屋に行ったときはいつも幸福な気持ちで店を後にしていた(気がする)。大戸屋の話題になるたびに、われわれは「あの店はよかった」、「あの店があれば日々が輝くのに」、「あの店のない日々などカスにすぎない」とエスカレートしていき、いまや大戸屋は、伝承の世界にのみ存在する幻の名店のようになっている。
だから生活圏でなんらかの店が潰れるたび、われわれは「大戸屋になれ」と念じている。ひとつの店が消えるということは、別の店が入るということで、当然そこには大戸屋が入る可能性もあるわけだが、しかし願いが叶ったことはなく、たいていは、どうでもいいような店が入るのである。
このあいだ、またひとつ店がつぶれた。
しばらくして工事がはじまった。二階建の古いビルを壊し、新たな何かを作っていた。われわれはひたすらに、「大戸屋になれ……!」と念じていた。鉄骨の組まれた工事現場の前を通るたびに大戸屋のことを思い、『思考は現実化する』というタイトルだけ聞いたことのある本を参考に、大戸屋もまた現実化するのだという強固な信念にもとづいて、「来いっ、大戸屋っ、来いっ……!」と念じ続けていた。
結果、学習塾ができた。
こうしてわれわれの思いはまたしても裏切られたのであり、三十すぎの男にとって学習塾ほど生活に無縁のものもなく、しかも二階建のビルだというのに一階も二階も学習塾であり、われわれはその前を通るたび、「生徒募集中!」という無神経な文字をうらめしげに見つめ、私は今回も大戸屋という選択肢を与えられなかったことに落胆の色濃く、同居人は大戸屋のことを想って悲しみの色深く、ヤケになったのか、同居人はピカピカの学習塾を指さすと私にむかって吐き捨てたのだった。
「あんた通えば?」
誰が通うかよ。