第45代米大統領の就任を祝う舞踏会が首都ワシントンで開かれ、男性グループのピアノ・ガイズが「ファイト・ソング/アメージング・グレース」などを個性的に演奏した。使用したグランドピアノはヤマハだ。静岡県掛川市の工場で生産された。
「米国製品を買え。米国人を雇え」--。トランプ新大統領が就任演説で明らかにした政策の2大原則である。だが忠実に従えばピアノ・ガイズの演奏ばかりか米国民の消費生活も、選択肢が狭まり、豊かさが失われることになりかねない。
戦後の自由化を主導
企業は自らの判断で世界中の場所から最適と思う拠点を決める。消費者は多様な選択肢の中から好みの品やサービスを購入する。国はそれぞれの強みを生かした産業で経済発展を遂げ、得意な製品を貿易でやりとりし合う。それが結果的に、全体の繁栄をもたらす。
少なくともそう信じて、妨げとなる関税や規制を減らし、市場がより効率的に機能するよう、第二次世界大戦後の世界は取り組んできた。
先導したのは米国だ。
「経済復興、そして平和そのものが、世界貿易の増大にかかっている」。68年前の就任演説で語ったトルーマン大統領のことばである。台頭する共産主義と闘う上でも、自由世界が貿易を通じて経済発展を続けることが肝心だった。国内産業を保護するため米国が関税を大幅に引き上げ、世界の貿易縮小をもたらしたことが、大戦につながったという失敗への反省にも立っている。
現在160以上の国・地域が加盟する世界貿易機関(WTO)の前身となった関税貿易一般協定(GATT)は、トルーマン時代に発足したものだ。
一方、欧州で進む域内限定の貿易自由化を恐れ、世界全体で自由化を進めようと提唱したのはケネディ大統領だった。大統領の名を冠するGATTのケネディ・ラウンドは画期的な関税引き下げをもたらした。
トランプ新政権が推進しようとしている米国第一主義は、そうした戦後、米国主導で構築された秩序や枠組みを破壊する力になりはしないか。懸念せずにはいられない。
自由貿易を通じて共に繁栄しようという従来の発想と、他国=悪、自国=善ととらえ、「(他国からの)保護が、(我々の)偉大な繁栄と強さにつながる」(トランプ氏就任演説)という考え方は全く逆だ。
トランプ氏が言うように、どの国であっても、政府が自国の利益を最重視するのは当然のことである。しかし、トランプ氏の手法に危うさを感じるのは、他国や民間企業に負担や懲罰を科すことと引き換えに、自国の利益を実現しようとしているためだ。
米国内で雇用を増やせ、とフォード・モーターやトヨタ自動車など個別企業に圧力をかける。発効からすでに20年以上が経過した、カナダ、メキシコとの北米自由貿易協定(NAFTA)を見直すと表明し、相手が交渉に応じなければ一方的に離脱すると宣言する。事実の精査や相手の主張に耳を傾けることなどしようとしない。
新大統領には、こうした自己都合と圧力による米国第一主義を見直すよう求めたい。世界経済にとっても、米国経済にとっても重大な損失となるだけだからだ。
金融危機の再来招くな
関税なのか、トランプ氏の言う「国境税」なのかはわからないが、輸入制限措置は、相手国による報復を招く。新興国や途上国への投資の減少も、世界全体の成長の鈍化につながりかねない。
保護主義貿易の他にも懸念すべきことがある。金融危機の再来だ。
リーマン・ショック後に登場したオバマ政権は、再びマネーの暴走が世界経済を深刻な不況に陥れる失敗を犯さないよう、金融業界に対する規制を抜本的に強化した。
トランプ氏はその規制を骨抜きにする考えのようだ。監督当局の人事や法律の改正により、金融機関は一段とリスクを取れるようになる。国際通貨基金(IMF)によると、すでに世界の負債総額(政府、国民、金融以外の企業の合計)は金融危機前の水準を超えて史上最高となっており、不安定化しているのである。
世界経済の大混乱につながる危機を再び起こしてもらっては困る。最も辛酸をなめさせられるのはトランプ氏を支持した低所得者層、そして大国の資本に翻弄(ほんろう)される新興国や途上国なのだ。
「世界の人口の半数以上が困窮に近い暮らしを送っている。(中略)彼らの貧困は、彼ら自身のみならず、より富める地域にとっても足かせや脅威となっている」。再び、68年前のトルーマン大統領による就任演説に戻りたい。
米国、そして先進国は、持てる技術を貧困国の発展のために使うべきだと呼びかけた。米国が繁栄し、強くあり続ける必要性も唱えたが、それは、「すべての人類の自由と幸福」につながる貢献をするためだという論理だった。
そういう志に満ちた国家に回帰してこそ、米国は再び偉大になったといえるのではないか。