蹴球探訪
奇跡の初優勝見えた レスター・岡崎が激白「試合後はいつも悔しい」(4月27日)
【大相撲】大関稀勢の里が初優勝 淡々とした受け答えも頬に一筋の涙2017年1月22日 紙面から
◇初場所<14日目>(21日・両国国技館) 涙の初優勝−。1敗で単独トップの大関稀勢の里(30)=田子ノ浦=は、平幕の逸ノ城(23)=湊=と対戦。寄り切りで1敗を死守すると、2敗で追う横綱白鵬(31)=宮城野=が平幕の貴ノ岩(26)=貴乃花=に寄り切りで敗れ、悲願の初賜杯を手にした。新大関から31場所の初優勝は、琴奨菊を抜いて昭和以降では最も遅い記録。19年ぶりの日本出身力士の横綱を確実のものとするため、千秋楽で白鵬を撃破する。 ◇ 万感の涙が一筋、右目からこぼれて頬を伝った。大関昇進後、史上最長となる31場所目でたどり着いた初優勝。「感謝しかない」。素朴なひと言の直後、こみ上げるものを抑えきれなかった。 鋭い出足で逸ノ城を圧倒すると、左のおっつけからもろ差しに持ち込み寄り切って圧勝。支度部屋に戻ると、心はすでに白鵬との決戦モードに突入していた。「集中するだけ」と繰り返し、早々と報道陣やテレビに背を向け、自分だけの世界に入り込んだ。 そして結びの一番で白鵬に土。決着を告げる館内の大歓声にも、微動だにしない。付け人から「横綱が負けました」と告げられ、みるみる目が潤んでいった。 大関昇進を決めた2011年九州場所直前、中学卒で角界に飛び込んだ自身を鍛えた先代鳴戸親方(元横綱隆の里)が、59歳で急逝。田子ノ浦部屋(東京都江戸川区)では昨夏から写真が飾られ、まな弟子を見守る。「怖いとかはない」とはぐらかした大関。稽古場で“再会”する喜びが、相撲への原動力だった。 15年近い土俵生活で唯一、休場したのが14年初場所の千秋楽。綱とり場所だった。敗れた14日目、右足親指の痛みで土俵上に座り込むほどだったが、弱音は口にしない。最終的には、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)の決断で休場。それでも、場所後のパーティーに顔を出し「今回だめだったけど、次は頑張ります」と決意を周囲に示し自らを追い込み続けた。 現在の部屋は、力士7人の小所帯。取組が重なると、若い衆が朝稽古の土俵にいない日もある。今場所も大関自身がほうきを手に1人、土俵を丁寧にならす姿があった。 そんな相撲への真摯(しんし)な姿勢が実った悲願の初V。実は優勝を飾った際に部屋で“儀式”が用意されていた。稽古場の壁にある先代鳴戸親方の写真を、上がり座敷に移動。大関が部屋に戻った際にまず報告できるよう、入り口に向かってテーブルにそっと置かれる予定だった。 ただ、田子ノ浦親方は「場所が残っているのに報告しても先代は喜ばない」と一時凍結。表情を引き締めた稀勢の里も「あしたしっかり締めてから、味わいたい」と、堂々の14勝で“儀式”に向かうつもりだ。千秋楽結びの一番。白鵬を撃破して祝福の歓声を浴び、文句なしの横綱昇進を実現させる。 (志村拓) PR情報
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