意表を突く文学論。大仰にいえば目からウロコが落ちた。
会社員を主人公にした小説(会社員小説)を題材に、会社員とは何か、会社とは何か、そもそも会社員小説の面白さはどこにあるのかを考える。
どこが意表を突くのか。意外なことに、これまで誰もそれについて論じたことがないから。会社員という存在はあまりに身近すぎてかえって「見えない人間」になってきた。文芸評論家はまず会社員について、会社員小説について論じなかった。著者にいわれてみてはじめてそうと気がついた。
そもそも日本の近代文学(純文学と呼ばれるもの)は会社員を描いてこなかった。夏目漱石が好んで描いたのは高等遊民だった。漱石の「坊っちゃん」は学校の先生が主人公だが、仕事はほとんど描かれず、漱石の関心は学校内の人間関係にあった。
高度経済成長期の「サラリーマン小説」の代表的作家、源氏鶏太も会社内の人間関係を描くことに集中した。梶山季之や城山三郎の登場によって「企業小説」という新しいジャンルが生まれるが、これは企業が主で、そこで働く人間は従になってしまう。人間より情報に傾きがちになる。
では「会社員小説」とは何か。定義はなかなか難しいが、ひとつ確かなことがある。会社員は、会社に帰属する人間であると同時にひとりの私人でもある。会社員の生活と同時にプライベートな生活も持っている。既婚者ならば家庭がある。企業外の生活がある。
会社・仕事と家庭・私生活が両立すれば問題ないが、現代社会ではしばしば両者は対立する。著者自身、大学を卒業し、小さな企業に就職したものの、会社生活になじめずノイローゼのような状態になったという(結局、辞める)。
そうした体験から会社員小説の核には、会社・仕事と家庭・私生活の対立、緊張があると考える。それを描くものが現代的な会社員小説であると。
そこから黒井千次、坂上弘、さらに若手の絲山秋子、長嶋有らが論じられてゆく。まったく新しい視点で実に面白い。カフカの「変身」まで登場するのに驚く。
(評論家 川本三郎)
[日本経済新聞朝刊2012年5月27日付]