kmt総長が各方面からディスられて久しいが、中々今のW大学はひどい。低能未熟大学(本学某教授談)と双璧を為す私学の雄であるはずだが、どうにも「私学」である誇りなどホコリ程もないらしい。そもそも「教育再生実行会議」なんて御大層な国の会議の座長は本学の総長であって、国家のポチとして偉そうにしてるのだから笑いすぎて腹筋が死ぬレベルである。「W稲田からW○SEDAへ」なんてスローガンも失笑モノだがどうやら上層部に本学らしい教育哲学はないらしい。ともかく、箇条書きで批判していきたいと思う。
① 英語教育について
どうやら、高田馬場のロータリーによく学生を転がしている某大学は、「国際化」を推し進めたいらしい。邪魔くさい看板で学生の精力的な活動を邪魔するだけで何らいいことはないスローガンを喧伝し、「少人数教育」「英語教育の強化」を謳っている。一つ前置きしておけば、私は「留学推進」等の政策は一切否定しないし、留学生の受け入れも全く結構なことだと思う。ただ、どこかの英語塾・英会話学校で月に数万円お月謝を払えば受けられる程度の授業(あるいはそれよりも遥かに低いレベルの授業)を「メインコンテンツ」として必修、あるいは必選として学生に課す姿勢は甚だ疑問である。
ゼミの次に少人数の授業は間違いなく英語に関する授業であるが、その授業レベルが高いとはお世辞にも言えないように感じる。多くの「楽単」は高校時代までの英語の授業を焼きなおす程度でしかないし、大学らしく英文学でも読もうなんて言う殊勝な授業には学生は集まらない。あの程度の授業でWに入学できる程度の英語力を持つ学生の英語力が伸長するとは到底思えないのだが、どうやら本学は推進に躍起である。
わからんでもないが滑稽なのは、卒業要件としても認められるテスト名が「TOEFL」である政経はまだいいとして、「TOEIC」である教育である。専門教育の就学証明としての「単位」がビジネス用の「TOEIC」で貰えてしまうというのは甚だ滑稽である。(履修免除されるだけで単位が来るわけではないがまあ言い方として間違ってはいないだろう)
なるほど、質の高い英語の授業も本学には多いし、学びたい学生が学べる環境は間違いなく有る。ただ、単なる「就職予備校」あるいは「英会話学校」に成り下がろうとする本学の姿勢は中々に疑問である。恐らくグローバル化対応にはもっと別に道があるはずなのだ。
② その他授業について
-解消されない大規模講義問題(所謂マスプロ問題)
Wは学生数/教員数の比であればかなり努力している大学であることは確かである。さらにその比率も年々低下し、少人数を対象とした教育環境も整備されつつある。大変結構であるが、私個人の感想からすればまだまだ生ぬるい。この点に関しては学費問題なども絡むから一概には言えないが、引き続き努力を続けていってほしい点である。個人的には学内奨学金をより充実させる代わりに学費値上げも検討して良いのではないかと考えているが、如何とも言えない。社学以外はまあ、喫緊の課題とはいえないレベルまでなんとかなっているはずである。
-「教養」偏重のカリキュラムと学びたくても学べない環境
この点に関しては、完全に私的視点なのでなんとも言えないが、教員が専門だけを語る場があまりにも少ないように感じる。様々な授業である学問分野を網羅するように求められた結果、概説書一冊読めば得られてしまう程度の浅い知識しか得られない授業が多い。学びたい学生にとって授業を受けるメリットは、その教員に研究状況について質問する程度に成り下がってしまっている。無論、概論的な授業も必要であろうし、専門への入り口としてそうした授業も必要であろうが、「興味」から「専門」への橋渡しとなるニッチな授業が不足しているようにも感じるのだ。
更に、ゼミの兼業ができない学部・学科が依然あったり、必修・英語・第二外国語などに阻害されて取りたい授業が取れない問題など様々な問題が残されている。せっかく素晴らしい指導者を多く雇用しているのだ。彼らの力をもっと活かしていけるようにカリキュラムを見直していく必要もあるだろう。
③ 教職研・4文字学部の乱立
ー4文字学部の乱立
教職研をやり玉にあげるのは置いておいてまず4文字学部からいこう。社学、人科は4文字じゃないだろいいかげんにしろという批判は置いておいても文化構想学部、創造理工学部、先進理工学部、基幹理工学部、国際教養学部と「4文字学部」と暗に批判される学部は実に多い。(政経も4文字だがあれはまあいいだろう)学部名を見て何をやっているのかわからないのはいいとして、内部で見ていても何をやっているのか全くわからないのだから非常に質が悪い。理工3学部は分けた意味がわからないから「理工学部」に戻して学科ごとの入試を行えばいいと思ったりもするが、その程度なので理工3学部は置いておこう。
「この学部に入れば学びたいことが何でも学べます!」というウリ文句で近年急成長中の各4文字学部であるが、実態は全くもって「何も学べません!」という状況に成り下がっている。受験料が儲かって儲かってしょうがないので大学としてはウハウハであろうが、大変に見栄えが悪いのでぜひともやめて欲しい。
「何も学べない原因」を上げていこう。まず分野に対して指導教官が少なすぎる。大規模講義の連発で浅はか・眠いの概論系授業ばかり受けさせられているのを見ると可哀想以外の感情がない。言うまでもなく学生のやる気も向上せず、「レポート出さなくても単位来た」「今週3日も学校来てる私超偉い」的になってしまう始末である。
次に、少し学ぼうと思っても「他学部」の壁に阻まれ先に進みきれない。僅かな指導教官の専門に興味分野があれば結構だが、だいたい他学部のもっと深く研究されている教授にぶち当たる場合が多い。そもそも、概論系ばかりで学問の上っ面をなぞる講義ばかりだから「興味」すら沸かずウェイゼミに走る学生も多い。全くもって無駄である。
私個人の意見であるが、少なくとも社学・国教の2学部は「教養」学部とでもすればいいのではないかと思う。(所沢は少し遠すぎるので割愛)東大式の2年間の教養課程の後、他学部のすべてのゼミにGPA・審査次第では編入可能という方針にすればいいのではないか。無論入試も東大式に1類・2類・3類と分けて行ってもいい。他学部の科目も含めすべての科目を履修可能としてもいいだろう。恐らく入試も白熱するであろうし、今のように分けの分からない4文字学部を乱立させるより遥かにマシである。
また、文・文構はやはりわけず、「文学部」でいいだろう。講義もかぶれば興味分野も互いに重複することも多い2学部。キャンパスも一緒、学生も普段どちらの学部であるか全く意識していない始末である。入試を二回行えばいいだけの話であるし、受験料を搾取できれば大学側も満足であろう。さっさと統合すべきだ。
ー教職研の話
少し毛色が違うが、教職研についてもなかなか議論がある。そもそも教員の質が高くないという話はあるが、何より問題はすでに諸外国で失敗している政策を国が取り入れようとして「実験校」をやらされているという点である。教職研という何を学べるかもわからない院に進学して、学部から更に2年(あるいは1年)と学費をかけて公立中学の教員にでもなろうものならたまらない。「職業につくコスト」と「就業のベネフィット」は常に需給曲線と同様の理論で語られるものであり、教員養成課程の高度化がすなわち教員の質向上に繋がるかといえば大間違いもいいところである。
教職研に関して諸議論あるのは知っているし、他方、さして多くを知っているわけでもないからこれ以上批判というより否定をする気はないが、この一事について、恐らく大学当局は無頓着・無思考であることは確実でありこの姿勢は批判されてしかるべきである。
④ 反省なき入試制度
選択式の「丸暗記」入試が批判されて久しい。特に2011年度の社会科学部世界史などひどすぎてあいた口がふさがらないが、カルト的で非本質的・非学問的なくだらない問題を一般入試では問い続けている現状である。
無論、以前と比べて推薦入試・AO入試による合格者割合も増加し、入試制度の多様化が進んでいることも事実である。そもそも上記2入試が本当に「選抜」として機能しているかの議論は置いておいて、とりあえず一般入試に変化の兆しは見られない。(最近頭のテカリが増してきたkmtが「学力型AO」と言い始めたのを小耳に挟んだ。宗教法人福◯諭吉教の附属大学のAOよりは「勉強のできる」学生を取りたいらしい。)
以前、「選択式も悪く無い」という話を以下のポストでしたが、やはり記述式もあってほしいと個人的には思う。
個人的なプランとして、合格者定員のうちの2割を記述式入試で、8割を従来型入試で選抜してもいいのではないかと考えている。恐らく、T大やH大やらを志望する変態は記述式を受けるだろうし、W大を第一志望としなさる御大は従来型に挑むだろうが今までのような基地外入試一択のような現状は解消されるであろう。ともかく、付け焼き刃的な発想ではあったが、一般入試も多様化されるべきであろうし、五流事務には少し難しいかもしれないが是非ご努力頂きたく思う。
⑤ 五流事務と学生不在の学校経営
「中退一流・留年二流・卒業三流」とは学内で有名な言葉であるが、この後にジョークのように続く「事務五流」というフレーズがある。その頑迷さ、手際の悪さで天下に名高い無能高給取りを抱える本学であるが、この点は猛省すべきである。
なんせ学部生が4万人もいるマンモス大学である。様々なルールのもとにシステムを効率よく動かし、履修を円滑に行ったり、学生生活をサポートしたりしなくてはならないこともよく分かる。しかし、担当の専任教授が頭を下げても「例外」を一切容れようとしない所や、授業に関する教授や受講する側の学生を全く考えない教室・備品配分等批判する点には事欠かない。
また、何より批判すべきなのは「謝らない」点であろう。事務といえど人が運営する部署である。不手際もあるだろうし、それはわかる。ただ彼ら、決して謝らない。学生の側のほうに若干でも悪い点があれば絶対に謝らない。「申し訳ありません」と一言言えればいいはずなのにそれすら言えないと見える。在野の精神であるはずなのに国家ばりの官僚制度を敷いているのはかなり意味不明である。
さて、最後にこの点が最大最悪の問題点であり、本稿で最も声を大にして唱えたいことである。それは、あらゆる場所において「学生不在」の学校経営を行っている点だ。
学園紛争の余波であるのだが、未だ本学に「学生自治会」は存在しないし、自治をしようと試みる組織は全部左翼に乗っ取られ、すぐ「あべせーけんはやめろー!」とか全く関係ないことを言い始める始末である。学校は学生を信用してないんだなと感じることは節々にあるし、学生の声など聞こうともしない。
確かに第14週(確か)に授業アンケートが配られ、少なくとも授業に関しては学生の意見を取り入れようとする姿勢が見られるかと思えば、その内容たるや惨憺たる様相であり、あの程度で「学生の声を」とは我々も舐められたものである。紙の無駄だから即刻やめるべきだと常々思うし、ま◯るすとーんの方が遥かにマシな授業フィードバックを行っている。
その他、施設改善に関する要望や学生生活支援に関する要望など、話を聞こうとされたことは殆ど無い。探せば意見「できる」ところは在るのかもしれないが、普通に学生生活を送っていればまず聞かれないだろうと思う。ともかく、学生不在の学校行経営はそろそろやめればいいのに...と常々思う次第である。
恐らく本学は大規模化しすぎたのだと思う。全15週きっちり授業!出席は毎回取るよ!早慶戦あっても学校やるぞい!早稲田祭翌日休講?そんなわけ無いじゃん1限からこいや等々まだまだ不満はあるがそれもこれも、恐らく学生が多すぎるのが最大の元凶であろう。それが学閥最強の某塾とえんじ色の宗教法人の現状の差であるように思う。
少なくとも専門研究の場として、本学は改善の余地も多いと思う。ここでギャーギャー喚いてるだけで改善できたら世話はないし、改革には大きなコストと労力を要するだろう。しかし、本学にはそれをできるだけの可能性があると信じている。もう馬鹿にしないから是非より良い方向に向かって、向こう100年、200年と、伝統ある学びの場を継承していって欲しいと切に願う。私学の雄はやはり、「私学」として進取の精神・学の独立を堅持し、高度かつ社会全体に有用な世界に冠たる高等教育機関であるべきである。
以前少しだけ本学をディスった記事
P.S.
鎌田大総長先生へ
早稲田大学早稲田キャンパス16号館の早急な建て替えを教育学部学生及び教職員一同心待ちにしております。何卒よろしくお願い申し上げます。