スタジオパークからこんにちは かんさい熱視線「神戸から熊本へ 災害支援最前線」 2017.01.17


生字幕放送でお伝えしています真下⇒スタジオパークからこんにちはゲストは引き続き連続テレビ小説「べっぴんさん」でデザインを担当されていらっしゃいますアーティストの清川あさみさんです。
清川⇒よろしくお願いします。
ニュースの間にもいろいろお話をいただきました。
メッセージをいただいています。
イラストも描かれています。
毎日欠かさず「べっぴんさん」を見ています。
へこんだ日もうれしいときも朝のオープニングを見るとふんわり優しい気持ちになります。
きらきら手仕事の集大成の作品あさみさんの手からおなかのベビちゃんが呼びかけてくれていたんですね。
かわいいですね、イラストが。
今も日々だっこしている感じですか?昨夜もずっとほぼ徹夜みたいな。
今何か月ですか。
まだ3か月くらいですね。
本当にまだまだ夜中も何時間かおきに授乳があったりとか?はい。
今も見てくれているかな?でも楽しいでしょう。
楽しいですね。
毎日違うし、変わるし。
竹下⇒成長していきますものね。
本当におもしろいですね。
清川さんは、これまでも刺しゅうなど糸を使ったさまざまな作品を生み出していらっしゃいます。
ここからは新たな作品への挑戦を2つ、ご紹介いただきます。
最初のテーマです。
自分の○○を縫う。
○○に何が入るんでしょう?ということですが。
これは今まで私自身が持っていた本。
自分の本?また変わったものを。
ご自身の著書ということではなくて?お読みになった本ですね。
「わたしたちのおはなし」というシリーズなんですけれども。
刺しゅうがしてある!よく見ると刺しゅうがしてあって。
描いているわけではなくて。
直接縫っているんですね。
今までたくさん本を読んできたんですけれどもその中で自分が気にいった本にもう一度そのとき感じたいちばん印象に残っているページに針を刺して直接刺しゅうをしているシリーズなんです。
もう一度いろいろな物語が集まってまたもう1つの物語が生まれていくというそういうインスタレーションで作った作品なんですけれども。
ここに描かれているのは刺しゅうで?ドローイングのように、感覚的なもので。
描いていくというか?そうですね。
なぞっていくような、物語をなぞるように作っている作品なんですね。
下は文字?その小説は宮沢賢治なんですね?これは宮沢賢治なんですけれどもほかにも、太宰治とかいっぱい全部、すごいたくさんあるんですね。
出てきました。
でも紙だから破れたりしないんですか。
破れますよね。
それも計算のうえ?ちょっとそういう意味でもある意味、個性のような。
でもこうしたら読めなくなっちゃうじゃないですか?そうですね。
でもそれはインスタレーションでアート、全部一気に見せるようなものをやっていて。
植物というかお花のようなものですけれどもそれぞれの話の内容とデザインというのはどういう関係になっているんですか?わりと印象に残ったページでなんとなく物語に通ずるイメージで本当にイメージなんですけれども。

それを縫っていくという。
これはどういうふうに思って作られたんですか。
これもこのとき感じた…気持ちがそのまま出ている感じですね。
小説の作品としてはなんという作品ですか。
これは何でしたっけね…。
ああ、「痴人の愛」か。
そうですね「痴人の愛」ですね。
谷崎潤一郎ですね。
それぞれ全部違うんですよ。
いろいろな本があるんですけれども100冊ぐらいとかやっていて。
今度これも、また次の個展でお見せできるかなと。
独特の世界観というか表現というかそんな感じがいたしますけれども自分の本を縫う。
そう、書籍。
あっと驚くよ私のような凡人には。
ちょっとどきどきしますね。
本は私たちにとっては神聖なものというか汚してはいけないイメージがありますね。
それを変えて踏み込んで作品にしてしまうという。
自分たちが作られるのには物語もあるじゃないですか。
たくさん本を読んでその中のイメージがどんどん自分を作っていく。
そういう意味でいろいろな本を一気に並べてもう1つの物語ができていったらおもしろいなと思って。
それでインスタレーション前回の個展で発表して次も77冊くらい展示するので。
体力が、いりますね。
そうですね。
一気に開いているのを見るとおもしろいと思います。
そうでしょうね。
続いて、もう1つ。
縫わない糸のアート。
今度は縫わない?もう縫うこともやめる。
縫うこともやめる。
作品をお持ちいただきました。
これは何なんですか。
アクリル板ですね。
そうなんです。
糸でできているの?よく見ると糸が、一本一本アクリルに閉じ込められているんですね。
縦線が一本一本、糸なんですね。
平行にびっしり並んでいる。
それでアクリルに閉じこもっているんですね。
裏にこの色と反転した色の写真が敷かれていて見る角度によっては絵が変わるんですよね。
3Dみたいに。
テレビの映像を通じてはなかなか難しいんですが糸が染まっているのはよく分かりますね。
しかも、その奥にまた別の、別のというか、同じ写真というか図柄で。
それで、反転した色が違うものこれは「1:1」というシリーズの創作なんですけれどもこれ自体、私のインスタグラム今、みんな使っていると思いますけれども。
SNSですね。
インスタグラムの写真を使って作品にしているんですね。
だから真四角というか。
そうです、サイズが1対1で自分たちが見ている世界は実はたくさんのレイヤーでできているのではないかなと。
重ね合わせというか。
それをSNSのこの時代にみんなが使っている時代にそういう作品ができたらおもしろいなと思ってずっと考えていたんですけれどもこの技術をやるまでがとっても時間がかかって実験をとても繰り返して作ったんですけれども。
インスタグラムの写真をあえて作品にしようと思ったのはどうしてなんですか?SNSをみんなが使っている時代に自分たちの見ている世界を表現している写真の裏側にもいろいろなことが、あるんじゃないかなとは思うんですよね。
それを1枚の絵で表現するのはとても大変なのでそれをレイヤーで見せることができないかなとずっと考えていてこの技術は、日本だからこそ繊細な技術ができるんだなと分かってから一本一本、糸を閉じ込める方法をやってみようと思ってそれをやってみたらこんなふうに3Dみたいに見えるという、結構おもしろいなと思って。
確かにね。
最近始めました。
全然見え方が違います。
インスタグラムなどっていろいろな人に見てほしくて写真をアップしたりするわけですよね。
でもその一面だけではない、ということなんですね。
そうです。
実はそれはとても表面であって裏側にはたくさんのその人の心の裏側があったり状況もたくさんあるはずなんだけれどもその1枚を皆さんその日にアップするじゃないですか。
それの表と裏を1つにしたような作品を作りたいと思ってこの技術をずっと探していたら。
発明したのね。
そうですね。
こうやってお話を伺っていると一面的でもないしいろいろな角度からいろいろなものを使ってさまざまな人やものを見ていこうという重層的な視点というのかしら、そこをずっと貫いてらっしゃるのね。
そうですね。
やっぱりそこがとても自分らしいなと思いますね。
一面的で美しいものとかということだけでなく?そうではなく、その裏側とか見えないところにやっぱり自分は集中していきたいな作品にしていきたいなと思っています。
そこに本質みたいなものの一端があるというのがね。
興味深いところです。
貴重な作品をお持ちいただきました、ありがとうございました。
質問がきています。
作品「美女採集」というシリーズでいろいろな方を動植物になぞらえていらっしゃいましたけれどもご自身を例えるとしたら何なんでしょうか?考えたことあります?たまにくるんですけどねこの質問。
どうしましょう?採集家なので…自分がされたら?自分がされる側としたら。
アリ?コツコツ?小さいし、よく働くからアリかなと。
私は何でしょうね考えたことはないですけれど虫取りの少年みたいな部分もあるからなあ。
でもきょうはアリにしておこう。
毎日変わるけど。
毎日変わってもいいんですものね。
埼玉県の方です。
ご出産おめでとうございます。
お子様が生まれて清川さん自身の変化はありますか。
やる気が生まれるようになりました。
エネルギーが満ち満ちているのね。
頑張ろうって気持ちになりますよね、笑顔を見ていると。
メッセージを本当にたくさんいただいています。
東京都の方です。
去年10月に娘を出産しました。
「べっぴんさん」のオープニング清川さんの作品を見て娘に彩り豊かな人生を送ってもらいたいと思って「彩」と書いてあや、と名づけました。
すてき、きれい。
愛知県の方です。
2012年「おかあさんといっしょ」で放送されていたゆめいろワルツの世界観とても好きです。
清川あさみさんワールドをわが子と共有できることがうれしかったです。
「べっぴんさん」放送とほぼ同時に妊娠が発覚今はベビーキルトのおくるみを縫いながら番組を拝見しています。
いろいろな方の思いとともにぜひこれからもさまざまな作品で私たちを楽しませていただきたいと思います。
本日のゲストはアーティストの清川あさみさんでした。
ありがとうございました。
真下⇒続いてのコーナーです。
続いては「NHK54局からこんにちは」1995年1月17日阪神・淡路大震災が発生してきょうでちょうど22年。
各地で追悼の催しなども行われています。
当時、ちょうど私は神戸放送局にいました。
地震の経験もしています。
その後、さまざまな取材をしています。
今回もいろんな方にお話を伺うともう22年?とおっしゃっていました。
竹下さんは朗読などを語り継ぐ活動をされています。
いかがですか。
竹下⇒もう?というのがまずきますね気持ちの中では。
でも今の大学生も実際に経験していないけれどもこれから自分たちが語り継いでいく、その主体になるんだという気持ちを最近耳にしてこうやって体験がずっと伝えられていくんだなと思うとまた別の感慨がありますね。
語り継ぐというのは1つの大きな課題にもなっています。
神戸放送局では「あの日を胸に未来へ」と題しまして阪神・淡路大震災関連の番組、特集放送をしています。
その一部、神戸放送局のホームページからご覧いただくことができます。
竹下さんがナレーションを務めています。
させていただきました。
大学のキャンパスにある大きな時計。
かつては街のシンボルとして市民から親しまれていたものです。
震災で大きな被害を受けた明石市立天文科学館。
高さ54mの塔の内部は壊滅状態。
大時計は、地震発生時刻5時46分を指したまま止まり改修を機に撤去されました。
もう一度時計の針を前に進めたい。
移設先として手を挙げたのが大学でした。
時計が動いているということは価値があると考えています。
今、震災後に生まれた学生たちがその教訓を学んでいます。
これからは、どんどん知らない世代の私たちが下の子たちに伝えていかないといけない。
阪神・淡路大震災から22年。
大時計は、穏やかな未来を願い時を刻んでいきます。
真下⇒大時計、明石の天文台に掲げられていて本当にランドマークだったんですね。
兵庫県で暮らしている方は電車で通っても車で通ってもすぐに見ることができる印象深いものでした。
だからこそ5時46分で止めたくないという思いがあったんだと思います。
一方で、若い人たちがきっちりと伝えて。
あの日を忘れないということが次の世代の人たちに教訓であったり記憶であったりそれがきちんとバトンを渡す形になるというのか大事なことだと思います。
それを乗り越えて人は生きていくんだというそのこと自体大きなメッセージだと思います。
阪神・淡路大震災被災地は22年という時がたちました。
同じ二十何年というのは東日本大震災の被災地の皆さんも熊本の地震の地域の皆さんも時がたっていく、その意味では10年たったとき20年たったとき町の状態人の心の状態はこうなるんだということが語り継がれていく記録されていくそれは、このあとの皆さんの今は1つの道しるべになります。
これからご覧いただく番組は「かんさい熱視線最後の一人まで救う〜神戸から熊本へ災害ボランティア最前線〜」阪神・淡路大震災をきっかけに神戸で誕生した被災地NGO恊働センター。
熊本地震の被災地で直後から活動するメンバーに密着いたしました。
最後の1人まで救うという支援の心を見つめた番組です。
地域では今月13日に放送された番組です。
登坂⇒ここは神戸市兵庫区にある公園です。
22年前6434人の方々が亡くなった阪神・淡路大震災。
神戸を助けたいと全国からボランティアが集まりこの場所にテントを張って寝泊まりしながら被災者の支援を続けました。
彼らは、その後日本各地で起こる自然災害の現場に駆けつけ被災者を支えてきました。
そして今では災害支援のエキスパートとして被災地では欠かせない存在です。
どのように被災地を支えているのかその最前線を見つめます。
去年4月に起きた熊本地震。
14日、そして16日と2回にわたり最大震度7の揺れが街を襲いました。
翌日。
地震の知らせを受けて、いち早く動きだした人たちがいました。
神戸の災害支援団体被災地NGO恊働センターです。
事務所には現地の最新情報が入ってきます。
村井雅清さんです。
阪神・淡路大震災をきっかけにこの団体を立ち上げました。
当時、支援の経験もないボランティアにできることはただ、目の前の被災者に向き合い続けることだけでした。
あれから22年。
経験を積んだ彼らは、災害支援のエキスパート集団となりました。
4月15日、午後6時。
第一陣出発。
阪神大震災以来、38回目の災害救援活動が始まりました。
地震から4日後、4月18日。
第二陣として熊本に入ったのは2年前、村井さんから代表を引き継いだ頼政良太さんです。
地震の直後、メディアの報道は多くの方が亡くなった益城町に集中していました。
頼政さんたちが向かったのは益城町の隣・西原村です。
支援は情報が多い場所に集中しその周りには手薄になる地域が出てくることをこれまでの経験から分かっていたのです。
被災者一人一人の声に耳を傾ける。
神戸が育んできた支援の心です。
脚が悪く、避難所の床では横になることのできないこちらの女性。
4日間も車内での生活を続けていました。
長く続けばエコノミークラス症候群で亡くなる危険もある車中泊。
頼政さんたちは、すぐに崩れた家屋の中から女性のベッドを運び出し避難所へ向かいました。
頼政さんは、支援の網からこぼれ落ちた、この西原村に拠点を作ろうと決めました。
まず取り組んだのは地元と連携しての支援の体制作りです。
頼政さんは村役場や社会福祉協議会の職員そして、災害支援のエキスパートたちに声をかけ会議を開きました。
地震から1週間が過ぎても西原村ではボランティアを受け入れる体制ができていませんでした。
災害が起こると地元の社会福祉協議会がボランティアを受け入れる窓口災害ボランティアセンターを立ち上げますが多くは初めての経験です。
通常、ここで受け付けるのはがれきの片づけなどを行う一般的なボランティアです。
それに加え、支援の経験が豊富な頼政さんたちは大工や子どものケアさらに農業など一人一人のニーズに合わせて多様なボランティアを受け入れる体制も整えました。
5月の大型連休。
西原村のボランティアセンターには一日に700人を超えるボランティアが全国から支援に駆けつけました。
頼政さんは、各ボランティアを被災者の待つ現場につなげます。
この日は重機を扱うことのできるボランティアも支援に訪れました。
向かったのは、家屋が倒壊し1人が亡くなった現場です。
がれきの中から亡くなった父が大切にしていた仏壇を取り出してほしい。
残された家族の思いをかなえるため中の家財道具を傷つけないよう解体していきます。
1時間後。
取り出した仏壇は、かろうじて元の形をとどめていました。
阿蘇山の西側に位置する西原村は山あいにある46の小さな集落から成り立っています。
地震を引き起こしたのはその下を走る活断層。
およそ7割の住宅が全半壊の被害を受け復興には、長い時間がかかることが考えられました。
6月。
被災地をさらなる自然の猛威が襲いました。
地震で緩んだ地盤に連日降り注いだ記録的な大雨です。
各地で土砂崩れが発生し地震に耐えた家をのみ込みました。
途方に暮れる被災者の背中をそっと支える男性がいました。
被災地NGO恊働センターのスタッフ・鈴木隆太さん。
阪神・淡路大震災以降各地で被災地の復興支援に携わってきました。
地震発生直後から西原村へ入った鈴木さんの信念は支援を長く続けること。
その第一歩として自分の顔を覚えてもらおうと集落を一軒一軒、回っていました。
22年前6434人の方々が亡くなった阪神・淡路大震災。
未曽有の災害に直面した神戸を支えようと全国各地からボランティアが駆けつけました。
その数は半年で、およそ130万人。
ボランティア元年と呼ばれました。
このとき神戸に支援に入った若者の1人が鈴木隆太さんです。
その後被災地NGO恊働センターの立ち上げメンバーとして9年間、神戸で活動を続けました。
さらに2004年の中越地震では5年間、現地に住みながら支援をした、長期の復興支援のエキスパートです。
今は西原村に拠点を置いている鈴木さん。
1つの被災地に長く関わり続けるのは神戸のときから大切にしているある思いからです。
地震から3か月。
西原村の北部にある山あいの集落古閑地区です。
28世帯あった住宅は、地震とその後の大雨による土砂崩れで多くが倒壊。
ほとんどの人が、仮設住宅など集落を離れて暮らしています。
この地区に住む高本祐史さんです。
県内の農業高校で教師をしています。
地震で高本さんの家の前の土地は崩れてしまいました。
東京の大学に進学した高本さん。
愛するふるさとで暮らしたいと6年前に古閑へ戻ってきました。
集落に今後も住み続けるのか。
それともふるさとを離れるのか。
この日古閑地区を訪れた鈴木さんは揺れる住民、全員を集めて今後を話し合う集会を開きました。
皆さん、こんばんは。
ボランティアセンターのお手伝いをさせていただいております、鈴木と申します。
鈴木さんが、まず始めたのはなんと、住民たちに古閑のよいところを語り合ってもらうことでした。
毎年開いていた地区の夏祭りも自慢でした。
集落を出るのか、残るのか。
その前にまずふるさとへの思いを皆で共有することが大切だと鈴木さんは考えています。
語り合ううちに、1人の男性が集落への思いを話し始めました。
9月の終わり。
鈴木さんはある場所を訪ねていました。
かつて支援に入っていた新潟県長岡市です。
12年前の中越地震。
長岡市は、最大震度7の揺れに見舞われました。
西原村と同じように山あいに並んでいた集落は大きな被害を受け住民たちは、3年間の避難生活を余儀なくされました。
あの日から12年。
集落は元の姿を取り戻していました。
鈴木さんが訪ねたのは避難生活を乗り越えもう一度ふるさとへ帰ってきた人たちです。
中越からのメッセージを撮影し西原村へ届けようとしていました。
同じような環境で震災を経験した人々は当時、何を考えどうやって乗り越えたのか。
その声は西原村の人たちの支えになると鈴木さんは考えていました。
同じころ西原村の古閑地区です。
高本さんの自宅の取り壊しが始まっていました。
集落を出るのか同じ土地に家を再建するのか。
高本さんは、まだ決断できずにいました。
10月。
新潟から戻った鈴木さんは再び、古閑地区の集会に参加しました。
この日、住民たちがみずからアンケート調査を行いました。
集落に残るのか、出ていくのか。
みんなの意見を聞こうというものです。
震災から半年。
悩み続けていた住民たちに鈴木さんが新潟のビデオを流し始めました。
中越の人たちの一つ一つのことばが古閑の人たちの背中をそっと押します。
先月23日。
古閑地区では家屋の解体が進みかつて住宅のあった場所は今では、ほとんどがさら地になりました。
集落に残っているのは5軒だけです。
この日、集落の若者たちが総出で竹を切り出して作った灯籠を道や家の前に立てていました。
人がいなくなり夜暗くなった集落を明るくしたい。
若者たちの思いを聞いて鈴木さんが提案しました。
古閑地区では住民のおよそ4分の1が集落を離れることを考えています。
高本さんはもう一度ここに家を建てることを前向きに考え始めていました。
こう見ると、やっぱ小っさいっすね、家っていうのは。
ついた!離れ離れになった住民たちが一緒になって火をともしていきます。
いつかまた集落に生活の明かりが戻りますように。
神戸から新潟、そして熊本へ。
被災地を支え続けてきた鈴木隆太さんです。
いつ、どこで誰に起こるか分からない自然災害。
傷ついた人を、人が支える。
あの日神戸で生まれた支援の心は今の被災地を支え未来へと受け継がれていきます。
真下⇒「かんさい熱視線最後の一人まで救う〜神戸から熊本へ災害ボランティア最前線〜」でした。
スタジオパークからこんにちは最後に、きょうこのあとの総合テレビの番組の見どころをご紹介します。
注目は10時25分からのNHKスペシャル。
こちらも阪神・淡路大震災関連です。
「女たちの大震災〜最新医療が迫る体と心のリスク〜」脳卒中、血栓、不眠などありますけれども災害が起きたとき女性の体の心に何が起きるのか被災者の記録、最新医学て分析しました心身のむしばみ続けているそのリスク災害列島日本。
女性が抱えるリスクに科学の視点で迫り対策のヒントを探る番組です。
2017/01/17(火) 14:05〜14:54
NHK総合1・神戸
スタジオパークからこんにちは かんさい熱視線「神戸から熊本へ 災害支援最前線」[字]

熊本地震の被災地で直後から活動する阪神・淡路大震災をきっかけに誕生した災害支援団体に密着取材。“最後の一人まで救う”という神戸が生んだ支援の心を見つめる。

詳細情報
番組内容
かんさい熱視線「最後の一人まで救う〜神戸から熊本へ 災害支援最前線〜」
出演者
【出演】清川あさみ,被災地NGO協働センター代表…頼政良太,被災地NGO協働センタースタッフ…鈴木隆太,【司会】竹下景子,真下貴,【語り】杉浦圭子

ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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