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2017年1月20日

2017年1月20日 (金)

私は今日ヒトに対して、いろいろとぶっちゃけ話をした。

もちろん、中核派とか、その他の人間関係はぼかしたけど。

そこでも実感を得たけど、人間、理不尽に思って恐怖に思うことはあるけれども、その恐怖と、中核派がスグに言う怒りとは、スグには結びつかんねん。

しかし、大勢のヒトが恐怖を実感しているのは確かや。

その恐怖を、江戸幕府は"士農工商・えた・ひにん"として規定したし、日本政府が"士農工商・えた・ひにん"をなくしているということは、
ウラを返せば、日本政府は"士農工商・えた・ひにん"の概念を利用しようとしとるということやな。


私が中核派の指導者ならば、というか、私が世界の指導者ならば、大勢のヒトが実感している恐怖に、きちんと向き合おうとすると思うなあ。


てか、私の経験を物語とか映画にしたら、とも言われた。

私は、人生をかけて、世界になかった物語を紡ぎ出しとるっちゅうねん。


けど、中核派の丸めた、つまるところ権力に迎合した主張と、権力の思想とが一致・共闘して、私の存在を隠蔽しとるねん。

祐天寺に行きました

祐天寺に行きました
突然思い立って。

日本では中核派の主張が政治的にいちばんスジがいいとは思うけれども、革命に至るには足りなさ過ぎる。

やっぱ路線論を大々的に言うなんて、"水は低きに流れる"の最たるモノと思う。

新しく興味を持ってくれた人に向かって、マルクスの時代から言われて、失敗を繰り返してきた思想を"路線"として押し付けて、その人の悩みを解決するには、

「団結したら勝てるんだ!」

では、大勢逃げてく。


だから、日本政府に失望する人々は大勢いても、日本政府に失望する人々のココロを掴んで来れんかったと思うとる。

いや、そうはいっても、中核派内部で自分の戦いをしているヒトがいるだろう、という反論もあるやろし、それには"路線"の押し付けとは違う側面も感じる。

それでも、地区としてリアルに闘争をせねばという考えがあったり、中央としては、この戦いはパッと見"路線"に合っているから押し出す、という判断もあると思う。

人間も組織も、ひとつのイデオロギーだけで動いているわけではない、という側面もまたある。


ただとにかく、"路線"といったときに、私は鉄道の路線を思いついたけど、中核派の実態を見たら、どうも川の流れのように、"水は低きに流れる"の集合体として"路線"が語られて、個々の思いが無視されている側面のほうが割合的に多いと感じる。


その"路線"を、低いものではなく、古代ローマの水道のごとく高いものに引き上げるには、高いところに立って支える努力が必要やし、
それはマルクス主義とか時代認識とかを一方的に押し付けるのではなくて、個々の思いを誰もがちゃんと聞いて、その思いをすぐには解決できんかもやけど、こうして実現していこう、と討論することが、大勢を引きつける方法と思う。

そうやって個々の思いを持ち寄って解決しようとする努力を繰り返すことが、共鳴を起こして単振動を起こして、日本政府を転覆できるチカラになると考える。


勉強は、上から与えられるモノではなくて、自分が闘って得ていくものや。

上に立つ人間こそそれを理解し実践せなアカン。

"路線"を、低いものではなく、古代ローマの水道のごとく高いものに引き上げる、高いところに立って支える努力って、そういうものと考える。

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