書籍『下流老人』感想 読めば老後破産の恐ろしさが嫌でもわかる - ポジ熊の人生記
前作『下流老人』を読んで感想を書いてから100日と少々が経過。この書籍の内容は僕の心に時間をかけてスーっと溶け込んでいき、身の回りでは見えにくい貧困問題を見えやすくしてくれた良書でした。
その続編である『続・下流老人』これも多くの知見を与えてくれるに違いない!と思って読んでみたら見込み通りの「読んでよかった」な本であったためここに皆様に紹介する次第でございます。
「自分が貧困化した老人になりたくない」と考えている人には、できれば読んでほしい。
「そんなに貧しい老人は多くないでしょ?」な人は必読。
「貧困は自己責任であって、努力不足だよ」な人には超必読です。
まずは高齢者の貧困をデータで俯瞰します。
データで見る高齢者の貧困の現状
2016年6月調査時点
生活保護世帯 162万5922世帯
うち65歳以上の高齢者世帯 83万2525世帯
全体の約51%を占める。
生活保護の半数以上が高齢者世帯という現状をまずは知っておきましょう。
さらに厚生労働省による2014年7月末日の被保護者調査によると、65歳以上の高齢の生活保護受給者(合計約92万人)のうち、年金が「なし」の人は約48万人で約52%を占める。
2013年度末次点で高齢者が受け取っている老齢年金(国民年金・厚生年金)の月額分布で最も人数が多いのは6~7万円の間で約460万人です。これは国民年金の満額需給の月額と一致するそうです。
上記データのほかにも書籍では高齢者の貧困が徐々に進行していることを示し、その要因などについて分析しています。このデータを知って本当に良かったと思います。というのも今までは「高齢者はため込むだけため込んで貧困とは無縁だろう」という根拠のない思い込みが自分の考えを支配していました。これからは世代間に関係なく貧困というのは蔓延しているのだな、という考えを前提に世の中に思いを馳せることが(少しでも)できそうです。
高齢者労働の実例
書籍では5名の高齢者がそれぞれの事情により、定年退職した後も働かなくてはいけないという実情を抱えている具体事例が示されています。これは全体のごく一部の例を示したにすぎませんが、5つのケースはそれぞれで背景が違うので、引き合いに出す...といえば語弊はあるかもしれませんが高齢者になっても働かざるを得ないケースとして取り上げるには解りやすいと言えましょう。詳細は書籍を読んでいただくとして概要のみを箇条書きにすれば
- 年金だけでは暮らせず、80歳近くになっても働く
- 50代で会社をリストラされ、コンビニで働く
- 親の介護費・医療費を支払うために働く
- 40歳近い子供と孫を養うために働く
- 地方に暮らしながら月5万円で生活する
このようになります。見出しを俯瞰しただけでダウナーになりますよね。親の病気や子供、さらには孫までが付随して老後の資産の減耗に加速をかけるわけですから、何がどのように影響して下流老人化するかなど、予想もつかないことを如実に表しています。
高齢者が働く理由
平成28年高齢社会白書によると、平成27年時点で60~64歳の雇用者は438万人、65歳以上の雇用者は458万人。
平成28年版高齢社会白書(全体版)(PDF形式) - 内閣府
「社会保障が整備されていない国ほど、高齢者の就業率が上昇する傾向にある」ということを知っておいてほしい。
『続・下流老人』より引用
内閣府「平成25年度高齢期に向けた『備え』に関する意識調査」によると、高齢者が就労を継続する理由として最多が「生活費を得たいから(76.7%)」です。
平成25年度 高齢期に向けた「備え」に関する意識調査結果(概要版)PDF形式 - 内閣府
書籍では国際比較も参考にして詳らかな分析をしていますので確認願います。
高齢者が就労を継続する理由が「やりがいを求めて、という人が大半だ」というのは誤った認識であることがここではわかります。
日本は社会保障が弱すぎるから高齢者が働き続けるしかない社会になってしまっているんです。これをどれほどの人が認識できているのか。「一億総活躍社会」という言葉が詭弁に聞こえてしまう。
下流老人にならない方法は「ない」
衝撃的ですけど、筆者である藤田孝典氏はこのように申します。
慶應義塾大学の教授と考察した貧困対策においては、消費税を上げて増税分を社会保障に充てるはずが、そのほとんどを国債の返済に回してしまったために社会保障が脆弱となってしまったことを示唆しています。ここも必見の箇所です。
その後、「下流老人にならない方法はない」については、誰しもがそのような可能性を孕む社会になってしまっていると述べているのです。つまり、
国自体を変えなければ「下流老人」貧困の撲滅はありえない
このようにおっしゃっている。これには深く頷かされました。なんでもかんでも自己責任、勝者はひたすらに強くなり、弱者はいつまでたっても這い上がれない、こんな世界が当たり前であってはいけないんですよね。考えてみればこれは道理なのですけど、今の世の中はマスコミの情報発信を含めて気づきにくいと言えます。
筆者のもとには前作を上梓してから多くの人が「下流老人にならないためには、どうしたら良いのですか?」という言が多数寄せられたそうですよ。しかし、藤田さんは結論付けています。下流老人にならない方法などない!と。誰しもが下流老人になる可能性を秘めています。実例を踏まえて...どんなに貯蓄があろうと年金のフローが厚かろうと、降りかかったアクシデントにより下流化している人は実際に存在するのです。個々で自己責任においてできる対策、これは確かに重要かもしれませんが、
肝心なのは社会保障を厚くして誰しもが安心できる老後を作ることである
そのようにおっしゃっているんです。
結語
僕は中間層に位置します、下流でも上流でもありません。休日には買い物へ行ったり町へ繰り出して余暇を過ごすなど平均的でとても幸せな生活です。
このような生活を送っていて、貧困というのは見えていると思いますか?見えないんですよ。町を闊歩しているのは老若男女問わずお洒落な外套に身を包んでいる「恵まれた人々」です。こんなところにいて何も考えずしては貧困が見えるわけがありません。これをもってして「貧乏な人なんているのだろうか?」というのは想像力の欠如以前に知識の欠如です。冒頭で述べた統計データが、現状を物語っています。
テレビで流れる風景もそうですね、身なりの良い、映りの良い人ばかりを選定して映し出している。ボロすら纏えぬ困窮者の貧困などは好んで取り上げません。ここに「貧困の可視化が進んでいない世間の目やメディアの報道の在り方」問題があると思います。
藤田孝典氏も申した通り「下流老人にならない方法」などはないのです。自分で備えられる対策には限度がある、例えば個々人で数億の蓄財をすることなどは現実的ではないしパイは限られているんですから、何らかのアクシデントで下流化するリスクは絶対不可避なわけです。そうしたなかででは根本的にどう解決していけば良いのかというと厚い社会保障を始めとした国の施策。これが肝心なんですよ。増税抵抗の強い国日本ですが、所得の高いものと低いものに一律消費税を上げて掛けたとしても結果的には全体に分配される仕組みになってるんです。だから消費税を上げてでもしっかりとした社会保障を構築していかないと立ち行かない窮状に立たされているんです。
話は戻りますがこうした国政を作っていくに際しては我々選挙権を持った一人一人が意識を変えて社会保障の手厚い、分断社会をつくらない国を作っていくような人に投票する必要があります。が、中間層以上は世間の上澄みばかりを見てそれをほとんどの事象だととらえてしまい、「この国はなんだかんだ上手くいってる」なんて錯覚してしまうんですよ。マスコミの煌びやかな報道然りです。これでは駄目です、貧困が可視化されていない。それどころか「我々の生活が向上しないのは貧乏人が足を引っ張っているせいだ」などとスティグマまで生んでいる始末です。目も当てられない。
こんな悲惨な、貧困層も中間層も汲々とした世間に一石を投じたいと考えてここにテキストを連ねている一人の人間がいることを知ってもらいたい、そして多くの人がこの『続・下流老人』を読んで自らのバイアスを取り払い、多数の幸福の思いを馳せて情報発信や投票行動に従来にない視点を持って取り組んでもらいたい。
みなさん、いいですか、貧困はあなたの見えない陰に確実にあります。
この書籍は「自分はこうならないようにしよう」なんて安易な、誰かと比較して利己的になるための補助の書籍ではないんですよ。この国の窮状を高齢者を筆頭にして訴え、一人でも多くの人の意識に訴えようという筆者の熱い思いが凝縮されたものなんです。これを踏まえてどうかあなたも今日から読み進めてください。