やっさんのぶろぐ(映画、趣味、日記など)

個人日記、忘備録、反朝鮮人、島国に引っ越しました。

原則:「論文に対する責任を全うせずして著者としての功績を得るべからず」

2017-01-18 07:35:45 | Weblog
研究を知らない人で研究者に人格を求める人がいますが、少なくとも私は日本とアメリカの大学の教員で人格者を今まで見たことがありません。そもそも大学教員は上司部下もいない環境で大学以外の仕事をしたことのない人間の集団です。また研究をやる人は人格に注意している暇はありませんし、そのような環境で人格者がいようはずもありません。大学に限らず企業でも皆自分の昇給や生き残るために必死でそのためには何でも行うのが研究者の実体です。表面上にこにこしてきれい事を言い裏でえげつないことをするか、それを表に出すかだけの違いしかないというのが私の経験です。

アメリカの大学では研究室の予算が人件費に消えて装置が少ないためポスドクや学生は装置の取り合いでライバルを蹴落とすために装置を壊す人もおり、私自身同じアメリカ人に同じ装置を3度装置を壊されました。しかし大学ではこれらのアウトローのような人達を学生実験等で徹底的に鍛えノートの取り方から管理も学生時代から教えるために日本のようなデータ捏造等は極めて少ないといえます。日本ではノートの取り方や管理も規則で決まっていませんので、おじさんになってから論文のオーサ-シップや捏造について教育を受けているのが現実です。またおじさんたちはほとんど論文のオーサ-シップのことを知りません。このような人達は今までどのような研究をしてきたのか疑いたくなります。
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