こんにちは。ご機嫌よう。
今日はこんな優雅な書き出しですが、中身は殺伐としてます。思い出話ですが、当時は本気で嫌でした。昔書いていたブログの話ですね。
本題に行きます、さっそく。
このブログにもたまに書いてますが、私は昔ブログをやってたんです。ある趣味に関するブログでした。そのブログで嫌な目にあったので、あくまで「思い出話」として話していきます。そうしないと、怒りがまた出てきてしまうからです。
ドロドロしている話が好きな方のみどうぞ。
ちなみに、今回は前編であり、次に完結させる……つもりです。
敬語もめんどくさくなってきたので、今日は常体で書きます。
ブログを始めるまで
以下、特定されるのを防ぐため、フェイクを入れることにする。特定されてしまうと、某巨大掲示板のスレッドで晒しあげを食らい、匿名で叩かれるからだ。叩かれたからといってどうというわけではないが、なんとなく嫌だなぁ。
私がそのブログを始めようと思ったのは、とあるブロガーさんとの出会いがきっかけだ。女の人だった。人のブログにコメントをするなんて初めてだったので、私は緊張で指を震わせながらキーボードをたたいた。
「ネットサーフィンしてたら、たまたまここにたどり着きました」なんて、良く言えば当り障りない、悪く言えばスパムのような書き出し。
彼女の記事は友達と岐阜に行った……という内容だった気がする。
だが、その書き方……文章に、私は心惹かれたのだった。
彼女は私のコメントに対して優しく返信してくださった。
その時初めて「自分もこんな人になって、ブログを書いて、みんなを勇気づけたい」と思った。私の心の中に「コトバを愛でる力」が芽生えた瞬間だった。
ブログを書こう、と思った。
『無料ブログ おすすめ』『無料ブログ どこ』『ブログ 書き方』なんて調べたが、結局livedoorブログで書くことにした。
というのも、彼女がlivedoorで書いていたから。それだけだ。それだけ彼女に影響を受けていた。
「無料ブログを始める」というボタンを押すか押さないか、私はずっと迷っていた。なぜかそのころ、ブログに対しては『恐ろしいもの』というイメージがあって、一度始めたら絶対にやめられない、なんて思い込んでいた。
今思えば、いろいろ検索していたのは、ボタンを押すまでの時間稼ぎのためだったのだと思う。未知が怖かったのだ。
結局その日は寝ることにした。
だが、どうも寝つきが悪い。彼女のブログが、文章が、頭の裏から剥がれない。ブログを始めなさいよ、怖くないよと私に誘いかけてくる。まだ夏の暑さをはらんだ生温い風が、開けっ放しの窓から侵入してきて、私の身体を包んでいく。
そんな寝付けない夜中の2時。犬の遠吠えが聞こえる。
とうとう私は、ブログを始めようと、電源をつけた。一昔前のデスクトップ型パソコン。ヴンと唸って、とっ散らかった4畳半の部屋に妖しい光がもたらされる。私は禁煙を破ったときのようにくらくらしながら、ボタンを押した。
アンテナサイト登録
ブログというものを書いてみると、とても楽しかった。アクセス解析をクリックして、「えっ、作ったばかりなのにこんなに人が来てる!」なんて喜んでみたり。後日、自分のパソコンからのアクセスがカウントされていたと気づき、落胆したのだが。
聞かれなくても口が動いてしまう。動いても誰にも怒られないのだから、こんなに良いことってないよね。
例のブロガーさんにコメントをした。彼女は本気で私の船出を祝ってくれた。顔は見えなかったが、その文章に喜びが表れていた。私も嬉しくなった。
……人が来ない。アクセス解析は常に一桁だった。
独り言を「言論の自由」とは呼ばないように、誰も来ないサイトに価値はない。
書くこと自体は楽しかったが、できれば誰かに見てほしい。
だが、思わぬ気づきがあった。私が書いている内容……彼女も同じだが……について、同じ趣味を持つ人たちのブログをまとめ、更新をお知らせしてくれるサービスがあるのだという。
これを「アンテナサイト」と呼ぶことにしよう。昔はこんなことさえ知らなかったのだから、慣れというのは恐ろしいものだ。
私はアンテナサイトに登録することにした。自分のサイトのURLを登録するとき、なぜか誇らしくなった。これからみんなに文章を読まれるのだと思ったら、背筋がぞくっとした。
私は1時間毎にアンテナサイトに出入りし、自分のサイトが載っていないか確認した。このときの2,3日は、今までのどんな時間よりも過ぎるのが遅かったろう。
そしてとうとう、記事が「新着記事」のてっぺんに載った。
趣味について言えば、かなり日本でもマイナーなほうだ。特定を防ぐため言えないが、とてもマイナーだ。そうだなぁ、「好きな岩塩の種類」とか「好きな高校地学の参考書」くらいにはマイナーな趣味だ。
それでも、アンテナサイトの力はすごかった。初っ端から煽るようなタイトルにしたおかげで、その日のアクセスは確か200くらいあったと思う。
勝手に、『ここの仲間入りだな』なんて思ってみたり。
そうして記事を書いていると、たまにコメントが来るようになった。記事に対する突っ込みのコメントや、相談のコメント、記事に勇気を与えられたという感謝のコメント。
その一つ一つを読みながら私は泣きそうになった。もちろん、画面の向こうの誰かが本当に感謝していたか、なんてわからない。だが、自分のコトバで誰かが何かを想った、それだけで十分だった。ペンは剣よりも強しなんて言うが、まさにその通りだったのだ。
そんな感じで、私は物書きとしての悦びに浸りきっていた。
アンテナサイトが、私の背中を大きく押してくれた。
たった今私は、自分の翼で、広い広いネットの空に羽ばたいたのだ。
初のdisコメント
ブロガー諸兄はご存じのとおり、ブログを書くとマイナスな意見をも目にする。世の中は感動と賞賛ばかりじゃあない。むしろ、批判や非難のような意見のほうが多い。それらを無視することはできない。道端の段差のように、あるいは敷地から飛び出す灌木の枝のように、何かをしていれば必ず当たってしまう。
私とてそれは例外ではなかった。かなりマイナーかつ、他人からの理解を得にくい趣味だったためか、disコメントが届いた。
『キチガイ』
心臓が深く波打った。嫌な打ち方をした……寿命が縮まった。
私はそのコメントに対し、何と返しただろうか。今となっては覚えていない。
ただ、目の前が真っ赤だった。後頭部を殴られたような気がした。
何と返したかは覚えていないが、深く心を抉られたのは確かだ。この時初めて、
言論を世に出す行為には強い風が付きまとう
ということを学んだ。
以前この記事でも書いたが、
身近な人のそういう態度は『あいつ最近何かあったのかな』と心配に転じますが、背景も人格もまるで知らない赤の他人からの呪詛の言葉は、かなり効きます。
キチガイなんて言われて無事な人はいない。どんなに慣れたって、好き か 嫌い で言えばそりゃ「嫌い」だろうし、できれば遭遇したくないものだ。
だが、ネットという広い空にはいろんな人が浮かんでいる。たまたま私の記事にぶつかって悪態をついた。その時出てしまった言葉が「キチガイ」だったのかもしれない。
私は彼を(彼女を)許すことにした。そうしないと怒りと悲しみで、この胸がつっかえて、この後一切の喜びが受け入れられない気がしたから。
それから、たまにそういうコメントも来たが、私は無表情で削除できるくらいには強くなっていた。やはり慣れというのは恐ろしいものだ。
対立
先ほど私の趣味がかなりマイナーだと述べた。簡単にいえばあるモノが「好き」なのだが、一点付け加えるなら「個人の思想に大きく影響され、しかも科学的に正しさを証明できないモノ」としよう。詳細は伏せておく。だが、この性質が厄介な問題を孕んでいた。
思想の軋轢が生まれるのはしょうがないとして、誰もそれを解消することができないのだ。事実、その「界隈」では、私がブログを始める数年前から、大規模な言い争いが何回か勃発しており、その度にたくさんの人がブログをやめていったらしい。
私は恐怖した。いずれ起こるであろう対立に対して、自分がどういうスタンスをとればいいのか、全くわからなかったのだから。
そして、この対立は、さらに悪いことに水面下にあった。すなわち、目に見える形……当時のレスだとかコメントだとかは、氷山の一角に過ぎないらしい。
みんながそんな中どうしていたか?
サブアカウントだ。
サブアカウント作成?
twitterの仕組みをご存じでない方もいらっしゃるだろうから、説明しておこう。
twitterは自分のアカウントを作って、そこでツイートすることができる。逆に言えば、アカウントを作らないと、誰かと交流することさえできない。
このアカウントは一人何個でも作ることができる。変な話だが、一人で複数のアカウントを作り、一人で会話し、「他人からは別人たちが会話しているように見せかける」なんてことも可能だ。
私は一つ作っていたのだが、さっきの問題……ブロガー同士の「対立」に恐れをなし、平均してみんな5個くらいのサブアカウントを持っていた。
自分の悪口を言われていないか監視するためだ。
これは当然、異常な話だ。
でも、考えてみると、明らかにブロガーの数に比べ、アカウント数が明らかに多い。「ブログをやってない人たち」を足しても、明らかに数が合わないのだ。
今日は4000文字行きそうなんで、ここらへんで切ろうかな。
嫌な思い出なので、あんまり長引かせたくないんだけど。