今日は17時ごろにすこぶるお腹が空いた。
仕事に注ぐべき集中力が、
お腹を鳴らさないための気力に使われてしまったので、
めんたい子は夜食を買いに行くことにした。
ちょうど先輩と後輩も夜食が食べたいということで、
みんなの分を代表して、
財布をわきにはさみ、小走りで買いに行った。
冷たい米が食べたい、という先輩のリクエストにより、
ねぎとろ巻パック2本と、太巻きパック1本を購入。
まずは年長から好きなものを選ばせる。
ねぎとろ巻パック3本なら迷わずに済むものの、
何を選んだら後輩たちのためになるのか、
試されているかのような選択肢に
先輩はしばし迷っていた。
その時、めんたい子は
おもむろに別の人から話かけられ
気をそらした瞬間、
太巻きを誤って地上へ落としてしまった。
パックからこぼれ落ちた無残な姿の太巻き。
あちゃ~
しかし、めんたい子はその人の質問に答えなければならない。
あとで拾おう。
めんたい子はその場をいったん後にした。
そして数分後、
席に戻ってめんたい子が見たのは、
その太巻きを食べる先輩の姿だった。
床に落ちた太巻き、食ったんすか!?!?
めんたい子は絶叫した。
「やっぱだめかな!?」
と
まだなお無邪気な顔で食べ続ける。
後輩二人に床に落ちたもんは食わせらんねぇ、と
江戸っ子気質がみなぎったのか
体を張る先輩。(実は病み上がり)
めんたい子は、アリタリアに似た感情を
先輩に覚えるのであった。
さて、
めんたい子はというと、
軽い潔癖症を患っている。
基本的に公共の場において、
男女兼用のトイレには絶対に入れない。
上がった便座を見るだけで白目をむくし、
流すレバーもトイレットペーパーで包んで触るし、
手洗いの蛇口をひねるときも備え付けの紙で触る。
(手を洗う行為は正当だが、蛇口には手を洗う前の汚れがついている)
こんなめんたい子がどうしても乗り越えられない壁、
それは
イタリアのトイレだ。
今書き出そうとしたところで
ウッ…と目をそむけたくなるくらいなのだが
いつか読者の方がイタリアで直面する困難のために
太巻き先輩のように身を削って語りたい。
イタリアの一般的なスタイルはこんな感じだ。
(画像検索したけど画像を直視することができなかったため
イラストに起こしたいと思う)
垂れ流すほうの便器と、
ウォシュレットのアナログ版であるビデだ。
温座機能はないため冬は飛び上がるくらい冷たいが、
垂れ流すほうはいつも通り垂れ流していただいて結構だ。
問題はビデだ。これは一見何をするものなのか見当がつかない。
めんたい子も、これがビデである、という知識はあったものの、
はじめての旅行でホテルでそれを目にしたとき
さすがに理解ができなかった。
便座から離れているし、
たどりついたところで、ビデの蛇口は下向きになっている。
どのように直射してくれるのか。
イタリア人曰く、
直接手で水を取って、おしりをゴシゴシする、とのことだ。
太巻きショックのはるか数億倍の衝撃に目がくらんだ。
そして日本ですら鬼門の
イタリアの、公共の、トイレ。
もう本当に、
めんたい子のイタリア偏愛レベルと同じくらいの数値で、
イタリアのトイレレベルは
ジーザスクライシスだ。
封印してきた記憶が今一瞬ひょっこり顔を出したので
一瞬で言い切るが、汚い!意味わかんない!ホントやだ!
そんなめんたい子には、
文字通り、一生の汚点がある。
短期留学をしていたとき、
教室の近くにあるトイレには2つ便器があった。
絵にあらわすとこうだ。
どちらも座るスタイルだが、
個室Aには、便座らしきものがあった。
ただ、先進国とは思えないほど超絶な汚なさであった。
一方個室Bには、便座らしきものはなく陶器がむき出しになっていた。
おそらく個室Bは日本でいう和式、なんだろう、
でもその推理に自信が持てないのは、
巨大なまでの便器幅である。
大人が余裕で2人は座れるくらいの巨大な幅だった。
よくテレビの特集でやっている
アメリカあたりの巨漢のためだと思えるくらいの
便器幅だ。
仮に、和式だとしても、またがなければならない。
しかしめんたい子の足でまたぐことは不可能だった。
ということは、座るのか。
イタリアではいろんなスタイルがあるもんだな。
めんたい子は、後ろに倒れないようにちょこんと淵に座った。
それからめんたい子は
留学中のあいだ、ずっと座っていた。
数年が経ち、定期的にイタリアを訪れているときのことだ。
ある日トイレから出てきためんたい子の
潔癖具合に気付いたイタリア人の友人は、
「トイレ大丈夫だった?」
と聞いてきた。
「ほんと毎回汚くていやだけど、
がんばって淵拭いて座ってるよ」
と心情を吐露した。
すると友人は、太巻きショックよりも数兆倍の威力で
「あそこに座ってんの!?どんだけあんた汚いの!?」
とまるで汚物を見るかの目で
めんたい子を軽蔑した。
え・・・・?
だって、めんたい子、ずっとこうやってきたよ・・・?
もうこれ以上は自粛したい。
便座幅が巨大だったのはいまだに謎だが、
めんたい子は、中腰で、空気椅子のように、
腰を浮かせて事を運ばなければならなかったのだ。
ごめんなさい、お母さん。
こんな子に育ってしまって。。。
清潔な民族といわれる日本人のなかで
誰よりも潔癖だっためんたい子。
それが今じゃ、戦犯扱いだ。
もう、めんたい子が犯した過ちは、
一生かけても償いきれない。
イタリアのトイレを乗り越えずして
めんたい子はイタリア偏愛者と名乗る資格は
ないのかもしれない。
しかし唯一できることは、
二度とめんたい子の悲劇を繰り返さないように
未来へと語り継ぐことだけだ。
身を削りながらも、
こうやってイタリア愛の伝道師としての
役割は果たしていきたいと思う。
今回は汚い話になりましたが、
ご清聴いただき誠にありがとうございました。
チャオ