雨宮処凛がゆく!

 ただただ言葉を失った。

 1月2日に放送されたTOKYO MX「ニュース女子」という番組を見ての感想だ。ご存知の通り、この番組では沖縄・高江のヘリパッド建設に反対している人々に対して、悪意剥き出しの言説を垂れ流し続けた。

 反対運動をしている人々を「連中」呼ばわりし、「襲撃してくる!」「危ない!」などと、まるで猛獣・珍獣のような扱い。更には反対運動をしている人々は土日休みで平日には「出勤」している、「シルバー部隊」として「逮捕されても生活に影響がない」65歳以上の人々が動員されている、日当を貰っている等々、開いた口が塞がらないようなメチャクチャな言い分が堂々と放映されたのである。

 いちいち反論するのもバカらしいが、もちろん、反対運動をしている人に日当など出ているわけはないし、それぞれがそれぞれの思いで、手弁当で参加しているわけである。この「ニュース女子」の報道がいかにいい加減であるかはBuzzFeedがしっかりとした検証記事を書いているのでぜひ一読してほしい。

 そんな「ニュース女子」問題、事実をねじ曲げることが問題なのはもちろんだが、それよりも私が恐怖に感じたのが、沖縄の基地問題に声を上げる人々に対して、「こいつらには何をしてもいい」と思っている人々が少なくない数いる、という事実である。そうでなければ、あんな番組、絶対に成立しない。

 何をしてもいい、どんなことを言ってもいい対象。人権や「こんなことを言ったら本人が傷つくかもしれない」ということに、一切の配慮が必要ない対象。剥き出しの悪意をぶつけていい対象。これが差別でなくてなんなのか。そしてそんな差別や人種に基づくヘイトスピーチが、堂々とテレビ番組で流されているという事実に戦慄したのだった。

 同時に、この国の民主主義の未熟さも思い知った気がした。

 とにかくこの国の多くの人は、「声を上げる人」が嫌いなのである。

 それは私自身、多くのことで声を上げ、バッシングされてきたから良く分かる。貧困、生活保護、労働、原発、秘密保護法、安保法制、沖縄、オリンピック反対などなど、今まで多くの問題で声を上げ、デモなどに参加してきた。そのたびに、多くのバッシングに晒されてもきた。「そんなことする暇あるなら働け」「迷惑」、そしてお決まりの「日当いくら貰ってんだ」などなど、バッシングの言葉はいつも定番だ。そしてそれらを要約すると、一言「黙ってろ」という言葉になる。黙ってろ、目障りだ、迷惑だ。

 バッシングする側は、声を上げる人々の背景になどまったく興味がない。なぜ声を上げているかなどは本当にどうでもいい。「ニュース女子」でも、沖縄に基地が集中しているという現実などには一度も触れられることなく、「大多数の人は基地に反対ではない」という、何を根拠としているのかわからず、事実にも基づかないコメントがなされていた。

 貧困問題だってそうだ。とっくに貧困は個人の努力の問題ではなく構造の問題だという理解は進んでいるというのに、声を上げた途端、「ガタガタ言わずに働け」というバッシングが起きる。一方で、声を上げずに黙っていても生活保護受給者には「あいつらは怠けて楽して得してる」などという言葉が投げつけられる。黙っていても、声を上げてもバッシングされる。

 ここまで書いて、昨年の反貧困集会で話してくれたある女性の言葉を思い出した。

 女性は生活保護基準の引き下げを違憲とする裁判の原告の一人なのだが、裁判の原告になったことで、親しい人からのバッシングを受けたという。

「その中のある人は、子どもの大学の費用と親の介護のために老後の貯金を使い果たしたと言っていました。ある人は、年金が少ない上に医療費と介護保険料の負担が増えて生活がきついと言っていました。ある人は、長時間労働による体調不良や不安定な収入、職場のパワハラを嘆いていました。私には、生活保護からそう遠くないところにいるように見える人たちでした。私のような生活保護受給者へのバッシング、苛烈な批判は、制度を利用していない人たちの悲鳴のように聞こえます」

 自らも厳しい状況に置かれた人たちの悲鳴。貧困バッシングの背景には、確かにそんな構図が垣間見える。「弱い者がさらに弱い者を叩く」ような悲しい現実がそこにはある。

 しかし、今回の「ニュース女子」のようなバッシングはどうか。

 沖縄の基地反対運動をバッシングする人々には、「弱い者がさらに弱い者を叩く」ような構図は浮かび上がらない。「悲鳴」などではまったくない。ただただ、そこには反対運動をする人たちへの凄まじい蔑視と悪意があるだけだ。

 同番組で、名指しでヘイトスピーチの対象とされた辛淑玉氏は、Twitterで以下のように書いている。

「ヘイトデモをする人たちは、いつも笑っている。笑いながら憎悪の煽動をする。ニュース女子の出演者も笑っていた。生活の全てをかけて戦争を反対する人たちを笑っていた。自分が何に撃たれたのか、考えている」

 ヘリパッド建設に反対して座り込む人の中には、戦争体験がある人もいる。4人に一人が亡くなるという地獄のような沖縄戦を経験したからこそ、基地建設に反対している。そうして私の友人や知人も、少なくない人が高江に行き、現地で反対運動に参加している。高江の状況を知り、いても立ってもいられず、もちろん自腹で行った人たちだ。

 声を上げる人を叩き、時に笑い者にするようなこの国の空気は、一体どこから来たのだろう。あの番組を見て、改めて考えている。そしてそんな空気が続く限り、今、バッシングしている側の人たちの身に何か不当なことが起こり、彼ら彼女らが声を上げたとしても、それは簡単に踏みつぶされるだろう。その時思い知っても、遅いのだ。「黙れ」という言葉は、嘲笑は、回り回って自分に返ってくるかもしれないのだ。

 新年そうそう放映され、多くの人を傷つけた「ニュース女子」。

 辛淑玉氏は、放送倫理・番組向上機構(BPO)に人権侵害を申し立てるという。この申し立てにどのような対応がなされるのか、注視していきたいと思っている。

 

  

※コメントは承認制です。
第401回声を上げる人を嘲笑する人々〜「ニュース女子」の暴力〜の巻」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    こうした発言がTVで堂々と発せられるのを見て、社会のタガがいよいよ外れてしまったのかと危機感を覚えました。一番の問題は、こうしたTV番組が流れ続けるのを許してしまう、多くの人の「無関心」ではないでしょうか。ヘイトの矛先が自分自身に向けられてからでは遅いのです。

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雨宮処凛

あまみや・かりん: 1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。オフィシャルブログ「雨宮日記」

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