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【ねこぢるの夫】最凶の鬱漫画『四丁目の夕日』【山野一】

自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。

更新日: 2017年01月18日

dougasetumeiさん

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ねこぢるは右脳型というのか、思考より感性が研ぎ澄まされた人で、社会による洗脳を最小限にしか受けておらず、あのにゃーこやにゃっ太のような子供のままの心をずっともち続けていた。

彼女と親しかったある女性は、ねこぢるの印象を、“いなばの白うさぎ”のようだと話してくれた。

“皮をむかれて赤はだか…”
そのむきだしになった繊細な感性が魅力なのだという。

でもそういう人間は鋭い反面弱い…。
毛皮のあるうさぎ達が、難なくこなしたりかわしたりできることに、一々消耗し、傷ついてしまう…。

このような生きにくさ、世の中に対するなじみにくさは、エキセントリックに生まれついてしまった者の宿命なのかもしれない。

98年5月10日 ねこぢるはこの世を去った…。

出典ねこぢる 『ねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁 あとがき「バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一)

自殺

1998年5月10日午後3時18分、町田市の自宅マンションのトイレにてねこぢるが首を吊った状態になっているのを夫・山野一によって発見される。

ある日起きると彼女は冷たくなっていた。普通に寝ているような穏やかな顔だった。

「もう亡くなっています」

救急隊の人の言葉の意味はわかるが、今目の前にあるものが現実とは感じられない。いろんな人が来ていろんな事を言った。

私はねこぢるの顔を見つめたまま「はい、はい」と受け答えをしていた。しかしこれは夢で、すぐに覚めるものだと頭の半分で思っていた。

それは葬儀が終わってからも変わらず、抱いて帰った白い箱に線香を上げるのだが、ねこぢるに上げているという気はしなかった。

ふと気が抜けると「あれ、ねこぢるどこ行ってんだっけな?」とすぐ思ってしまう。いつものように近所のコンビニか、遠くても駅前の繁華街にいるような気でいるのだ。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

「私は長生きなどしたくない」

ねこぢるは出会った頃からよくそんな事を言った。長年聞いていると麻痺して、機嫌が悪いからまたそういう事をいうんだろう、ぐらいにしか思わなくなっていた。

そういう慢性的な不安要因はあったものの、実際に引き金を引かせた動機はわからない。疑問はどんどん湧いてくるが、答えは何一つ与えられない。すべて憶測のまま放置される。考えは同じ所を堂々巡りして、そこから抜け出せない。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

「私が死んで『オレが悪かったよぉー』って毎日メソメソ泣けばいいんだ」

怒った時などねこぢるはよくそう言った。
いたずらっ子のような顔が浮かぶ。

好きだった酒を遺影に供え、線香を上げ、手を合わせるのだが、
「何という身勝手なやつなんだ。意味わかっててそれやったのか?」
そういう反感が、どうしても混じってしまう。

確かに自分がそんなにいい夫だったと思わない。
しかし、私が死ぬまで徹底的に無視され続けなければならない程ひどかったとも思えないのだ。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

ようやく墓を建て、一周忌の法事を兼ねて納骨する。しかし、ひとかけらだけその骨を残して、ねこぢるが好きだったロバの絵の小さい壺に入れておく。

彼女が好きだったインドで壺から骨のかけらを出し、手のひらに包んで海水につけた。日差しは強く首の後ろが焼けるようだが、海水は冷たい。波の力が強く、もろいかけらから小さな断片をさらって行く。

波が引くとき手を開いて流してしまおうと思った。次こそと思うのだが、何度もやりすごしてしまう。結局手を引き上げ、もとの壺に納めてしまった。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

ある日、知人がMacをセットアップしてくれた。
ずっと放置してあったパソコンだ。マウスでグリグリと無意味な線を引き、消し、またグリグリ……。そうやっているうちに自分でも思いがけずハマっていた。

Macでねこぢるの絵を描いていると、かつて故人と机を並べていた時のように、なにか対話しながら描いているような気がする。

それは錯覚なのだが、少なくとも紙よりは孤独でないと私には感じられる。

墓や仏壇に向かっているより、Macのモニターの中に「にゃーこ」や「にゃっ太」を描いている時の方が、故人とシンクロできるような気がするのだ。正確には、私の頭の中の故人像とではあるが。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

「ちがうっ、そうじゃなくて……、ああ、バカへたくそっ」

線を引く耳元で、ねこぢるがずっとそういい続けているような気がする。その声に従ったり、無視したり、教えられたり、反抗したり、感心したり、癒されたり、やさぐれたりしながら「ねこぢるyうどん」1~3巻を描いた。

最後の書き下ろしの部分では、消耗しすぎて私の目の下のクマは顔中に広がり、死に神みたいな顔になった。

ねこぢるに対する私の受け答えは、全部実際に口から漏れていたから、その姿を見た人は、急いでその場を離れたかもしれない。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

ねこぢるは自分のキャラクターを本当に愛していた。
仕事をしながら何気なく、「にゃーことにゃっ太はどっちが君なの?」と聞いた事があった。

返事がないので、聞いていないのかと思いそのまま忘れていたら、だいぶ経ってから、「んー……、どっちかに決められない」と言った。ずーっと考え込んでいたのだ。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

ねこぢるが亡くなったあと、私が漫画を描き続けるのはやめてくれ、という読者の声もあった。

そういう声には私もえぐられる。遺書にこそ書かれていないが、自分が死んだ時の事について何度か話していたからだ。

「絶やさないでほしい」

「やめてほしい」

その時々の気分によっていうことは変わった。
つまり私がやっている事は、黒でもあり白でもある。

かつてねこぢるとしていたやりとりを、今は脳内のねこぢるとしている。

それがやっていい事なのか悪い事なのか、それになにか意味があるのかないのか、今のところなんともいえない。

出典ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年

1998年以降は「ねこぢるy」として活動中

故ねこぢる氏は最早ペンを持つことが出来なくなりました。しかし、そのねこぢるを一番理解し、傍に居続けた山野一による新たなねこぢるワールドが、この『ねこぢるyうどん』シリーズで幕を開けました。

作画はペンからMacに替わり、鮮烈なカラーでもって、霊界のねこぢるとのシンクロを試みる山野一の神髄を本書で感じ取る事が出来るはず。

ねこぢるを語る時に欠かせないのは、夫である漫画家の山野一さんである。山野さんは1983年にガロでデビューしているので、ねこぢるより先輩の漫画家ということになる。

山野さんは「鬼畜系漫画家」と呼ばれており、貧乏、暴力、セックスなどを題材にしたストーリーの過激さ、リアルでグロテスクな絵柄などが特徴のアンダーグラウンドなマンガを描いていた。

山野さんがマンガで表現しようとしていたことは、現代社会の矛盾や人間性の冒涜に対する批判であり、それを逆説的に、自虐的に描くことによって読者の心に一石を投じるという高邁な思想が反映された作品群であったのだが、
残念ながらそれらの作品は広く世の中に受け入れられることはなく一部のファンに熱狂的に支持されているだけであった。

そんな山野さんがストーリーを作り、奥さんのねこぢるが絵を描いた「ねこぢるうどん」は、山野さんの思想を柔らかいタッチで表現した、寓意的なマンガであり、絵柄の可愛らしさと、思想の高邁さが見事に融合した、現代のイソップ物語のような作品であった。

その高度に洗練された物語は、出版業者からも高く評価され、ねこぢるは様々な雑誌から引っ張りだことなったのだが、もしそのことがねこぢるの自殺の要因となっているのだとしたら大変不本意なことである。

僕はねこぢるの成功を見て、素晴らしい作品を書きながら、これまで正当な評価を受けることがなかった山野さんが、このような形で評価されて、おそらくある程度の収入も得ることができたであろうから、本当によかったと、心から喜んでいた。

しかし、もしそれと引き換えに、最愛の奥さんであるねこぢるを失ってしまったのだとしたら、それはあまりにも大き過ぎる代償であっただろうと思う。

それならばいつまでも、マイナー漫画家として貧乏にあえぎながら、それでも奥さんと仲良く楽しく暮らしていてほしかった。

山野さんを含むごく一部の親しい人にしか心を開くことがなかったというねこぢるさん。おそらく山野さんも、ねこぢるさんを含むごく一部の親しい人にしか心を開くことができない人だったのではないかと思う。

そんな山野さんが一人でコンピューターを使って、ねこぢるさんの絵を再現してマンガを描いているなんて、あまりにも悲し過ぎる。

漫画家、山野一。
80年代から90年代に掛けて、台頭した特殊漫画家と言うカテゴリーの旗手である。

その作品は、天才、と一言で片付けられるほど薄っぺらではない。それは、文学であり、哲学である。唯一無二と評価して良いだろう。

愛妻の突然の死が受け入れ難い物であった事は理解出来るが、このままねこぢるyとして二人で創造した偶像に飲み込まれるつもりなのか。それとも創作意欲が枯渇してしまったのか。

あの‟のうしんぼう”からアドレナリンが噴出する瞬間を体験出来る山野漫画に、再度触れる事は適わぬ夢なのか。

天才漫画家の復活を心から祈る。

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