【ねこぢるの夫】最凶の鬱漫画『四丁目の夕日』【山野一】
自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。
更新日: 2017年01月18日
自分の世界観があまりに下らないことに気づいた時こそ山野作品を読むのにふさわしい時である。山野作品は、その唾棄すべき世界観を一気にクラッシュしてくれる。
更新日: 2017年01月18日
どぶさらい劇場
山野一後期の長編作品で、
現時点において、これが先生最後の鬼畜漫画です。
また後半になると
鬼畜漫画の枠に収まらない様相も見せ、
異彩を放っています。
本作では鬼畜をギャグとして
見せる感じなので凄く笑えるんだけど、
鬼畜度自体は相変わらず強烈です。
嫌にリアリティーのあるみじめな極貧生活、
どろどろの人間ドラマなど、
さすがと言うほかないです。
やたらと放尿・排便シーンが出てくるし、
汚らしさは今までで一番かも。
何もそこまで徹底しなくても、
というレベルの不快さです。
“ぼっとん便所に美女が突き落とされてうんこまみれになる”なんてストーリー漫画が描けるのは山野一以外にはあり得ず、当然ながら傑作です。
糞壺、生活保護家庭、白痴青年、老人の強欲、怪しげな宗教団体、覚醒剤、神、強姦魔、精神崩壊、陰謀と策略、発狂、内閣総理大臣、暗殺、粛正、スキャンダルの露呈。
この物語で描かれるキーワードを列挙してみたが、読んで頂かないことには、この漫画の面白さは伝えられない。
ある日、社長令嬢で女子大生のエリ子は、
自らが運転する高級車で事故を起こしてしまう。
轢いた相手は手取り13万8千円の
さえない工員の男だった。
本来ならば保険を適用して
示談で事無きを得るものだが、
あろうことか保険は期限切れだった。
さらに追い打ちをかけるように
エリ子の父親が経営していた会社が
バブル崩壊によって倒産。
ほどなくエリ子の両親は
彼女を見捨て蒸発する。
こうして慰謝料7千万円を支払えない
「元・社長令嬢」は被害者家族の家庭で
飼い殺しされることになる。
被害者家族に拉致され、
奴隷のようにコキ使われ、
老人の下の世話までさせられるエリ子。
その後、脱走を企てたエリ子は、
ぼっとん便所の便壺に閉じ込められ、
そのショックで肉体と精神が分裂し、
彼女は心の中で神と対面する。
その結果エリ子の「善の部分」が今までの煩悩だらけの「悪のエリ子」に取って代わって、肉体を支配する事になる。
本作はある意味、ここからが本題といえる。
超能力の使える「善のエリ子」は新興宗教団体と関わりを持つ事となり、私達読者の想像を遥かに凌駕した数奇な運命を辿る事になる。
ここまで来るとあまりに特殊で
自分の理解を超えた部分もあるのですが、
読んでいて圧倒されるものがありました。
ぜひその眼で確かめて、異様さに驚嘆してほしいです。
ねこぢるとの出会い
山野一の漫画を読み感銘を受けたねこぢるは居ても立っても居られず山野の自宅アパートにまで押し掛けて18歳の時に山野一と結婚します。
ねこぢる最初の漫画は、
ねこぢるが暇を持て余して書き殴っていた
猫の絵から山野一がストーリーを
書き起こしたのが始まりとされています。
二人には極めて微妙な役割分担があり、
外部の人間をアシスタントとして
入れることができなかったので、
山野氏がねこぢる唯一の共同創作者でありました。
ねこぢるうどん
ねこぢるのデビュー作で初の連載作品です。
『ガロ』1990年6月号から2002年10月号(休刊号)まで連載されました。原作や構成については夫の山野氏が一部もしくは大部分を担当しています。
この連作の元にもなったデビュー作は「子猫がうどん屋で睾丸を取られて死ぬ」というだけの凄まじい内容です。
ガロ掲載時ではそのまま無修正だったのが、単行本化の際に伏字にするなどの処置が取られてるほか、1998年以降の改訂版では「□ぬごろしの巻」が削除されています。
彼女の作品は、その可愛らしいネコのキャラクターとは裏腹に、残酷非道な描写に溢れ、数々の意地悪と不条理が混在し、一度触れると忘れられない不思議な魔力に満ちている。
『ねこぢるうどん』連載2回目「かぶとむしの巻」からは、主に魚のような目をした子猫の姉弟「にゃーこ」と「にゃっ太」が登場します。
にゃーこは喋れるが、にゃっ太は猫の鳴き声でしか喋れないという設定です。
しかし、唯一の例外として初登場回「かぶとむしの巻」では、にゃっ太が普通に喋る姿が見られます。
1990年の『ガロ』デビュー以降、
数年で完全にその作風を確立するや、
とてもガロ系とは思えない売れっぷりで、
新進の漫画雑誌等から引っ張りだことなり、
更に可愛い絵柄が中高生にも受けて
キャラクター商品が巷に溢れました。
人気漫画家となってしまった彼女は
寝る暇もなく漫画を描き続けました。
しかし、仕事量の増えたねこぢるは
次第に精神が不安定となり、
鬱病の診断も受けていた模様です。
余りの忙しさにテンパって
山野氏を切りつけたり、
自殺未遂を繰り返したり、
奇行が目立つ様になります。
彼女の作品には「裏」がない。
例えば彼女の世界では、豚は罵られ、殺され、食べられるだけの存在である。そこに基本的には救いはない。
そのような描かれ方に眉をひそめる人も多かったが、その人は現実世界で食肉加工される豚を救おうとはしない。生前の「トンカツって豚の死体だよね」という発言にはそれが端的に現れている。
彼女の描く猫の黒い眼は、
そんな世の中の矛盾をありのまま捉えていたのではないか。
「死は、別に怖くない」
──いつもそう言っていたねこぢるに、ふと不安を感じた。
「たまには息抜きしようよ」
ねこぢるたちが修羅場続きの98年のある日、ねこぢるの家に遊びに行った。自殺する2、3週間前のことだ。
僕らが帰るときも途中までねこぢると山野さんが見送ってくれた。そのときのヨレヨレとした山野さんのすがるような視線が思い出される。
「帰らないで!もう少しいて!ふたりだけにしないで!」山野さんは目でそう訴えていた。
彼らは、再び修羅場に戻っていくのだろう。
崩壊の幕はもうそこまで迫っていた──。
──吉永嘉明「自殺されちゃった僕」
バイオレント・リラクゼーション(解説:山野一)
彼女の元に来たたくさんのファンレター、その多くは中高生から寄せられたものだが、それを見ると、ねこぢるの漫画の内容のあまりの非常識さに、初めは驚き、とまどいを覚えたものの、次第に引きこまれ、繰り返し読んでいるうちに、自分の心が癒されていくのを感じたという…。またこの世の中や、人間の見方が変わったというものも多かった。
ねこぢるは別に自分の作品で社会批判をしようなどという気はまるでなかった。わざと人の感情を逆なでしてやろうという意図もなく、ただ自分の感性でとらえ、面白いと感じたことを、淡々と無邪気に描いていただけだ。
ではなぜ読者の方々は、ねこぢるの漫画に安堵感を覚えたのだろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジックな雰囲気のせいかもしれない…。
しかしそれよりも、自分との出会い…とうの昔に置き忘れてきた“自分自身”に再開した…そういう懐かしさなのではないだろうか?
まだ何の分別もなく、本能のままに生きていた頃の自分…。
道徳や良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。
社会化される過程で、未分化なまま深層意識の奥底に幽閉されてしまった自分…。
その無垢さの中には当然、暴力性や非合理性・本能的差別性も含まれる…。
人間のそういう性質が、この現代社会にそぐわないことはよく解る。どんな人間であれ、その人の生まれた社会に順応することを強要され、またそうしないと生きてはいけない。
しかし問題なのは、世の中の都合はどうであれ“元々人間はそのような存在ではない”ということだ。
もって生まれた資質の一部を、押し殺さざるをえない個々の人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。
「キレる」という言葉に代表される、今の若者たちの暴走は、このことと関係しているように私には思われる。
未分化なまま抑圧され続けてきたものが、ちょっとしたストレスで、自己制御できないまま、意味も方向性もなく暴発してしまうのではないか…?
ねこぢるの漫画は、そういった問題を潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、カタルシスを与えていたのだと思う。
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