関曠野氏は論文「政党制度はまだ生きているか」(「現代思想」2008.1)において、ソ連崩壊の要因を「支配の正統性」と「構造改革の失敗」から説明する。ソ連共産党は、その支配と独裁の正統性を、マルクス=レーニンの教義である「歴史的必然性」に求め、「資本主義の瓦解から共産主義の成立」に至る過程で国家と人民を導く唯一絶対の政党である、とした。
しかし、1980年代までにはこの教義は説得性を失い、肝心の指導者ですらその正統性を疑うようになってしまった。
ペレストロイカに始まった一連の改革は、新たな教義に基づく支配の正統性を設定するに至らず、小手先の改革は国内に混乱をもたらすのみで、徒に教義に対する人民の信頼を失うところとなり、さらには各地の民族運動を弾圧するために必要な理論的正統性をも弱めることになり権力が自壊していった、という。
ソ連崩壊は彼らの国家理念と独裁支配の正統性が失われ、それに取って代わるべきものがなかったための自壊に過ぎず、西側世界の通説であるところの「自由民主主義の優越」を証明するものではない。
また氏は、その教義の説得性が失われたことの最大の要因を、ソ連のポスト工業化の失敗に見る。前近代的な農業国だったロシアを一気に工業化する、という目標のもとでこそ、共産党の独裁が正統化されていたものの、工業化を終えた80年代には、自らの使命を終え、存在理由を失ってしまった。
その状況は、西側社会でも同じだったが、西側社会が消費社会とグローバル化で克服したのに対し、ソ連は産業構造のシフト先を見つけられないまま自壊していった、という。ただし氏は、西側社会の戦略が市民を消費者に変質させ、民主主義制度の空洞化を促進させているとも説いている。
このモデルから考えてみよう。
日本では55年体制の成立以降、細川内閣期と民主党政権時を除いて、自民党が50年以上に渡って一党優位の不敗体制を敷いている。もともと自民党は、「10年ももてば十分だ」(三木武吉)という感覚で、左翼全体主義への対抗を目的に中間派から右派に至る今日の政党連合のような形で結党された。55年の結党時には党の使命として、「民生の安定」「公共福祉の増進」「自主独立」「平和の確立」が挙げられ、理念として「議会民主政治」と「個人の自由と人格の尊厳」が掲げられた。今日の自民党からは到底想像がつかないが、事実である。
当時の自民党には、まだ戦前から戦時中に至る政党政治や議会政治の衰弱と、国力に見合わない大戦争を行って国土を灰にしてしまったことに対する一定の反省があり、一国平和主義を維持しつつ、戦後復興を果たし、国民生活の向上と民心の安定を図らなければ、共産主義革命の波に飲み込まれるという漠然とした不安があった(西ドイツはより現実的な危機感があった)。
幸いにして日本の場合、国共内戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争など近隣諸国で行われた戦争に巻き込まれることなく、むしろ戦争特需のような形で恩恵を被りつつ、戦後復興を果たして経済成長を続けた。大多数の国民もまた経済成長の中で生活水準を向上、安定させていた。
戦後日本の国家理念もまた同じで、米国下で一国の平和を守り、戦後復興を果たし、経済成長を遂げることに主眼が置かれた。但し、ポツダム宣言(休戦条件)の受諾によって、軍部支配と侵略戦争の否定、政治的自由と民主主義の確立が約束させられた。実はここが第一の問題点で、明治国家の延長線上にある日本はもともとデモクラシーと無縁の天皇主権国家だったが、敗戦に伴う休戦条件として民主的議会による議院内閣制が導入された。従って、日本政府は根源的に権威主義を志向し、議会とデモクラシーを軽視・軽侮する傾向にある。
一方、自民党も戦前の政友会の流れを汲み、その政友会はもともと伊藤博文が天皇の立法大権を輔翼し、民益ではなく国益第一を実現するための議会勢力としてつくったものだった(詳細は「政友会である理由」)。従って自民党の本質的には政府を輔翼することを第一目的とするが、個々の議員にとっては政府支援の対価として地元に公共事業と補助金を誘致することが目的となった。
「米国支配下での一国平和による経済成長」こそが戦後日本の国家理念であり、自民党の一党優位支配の正統性を示す「教義」だった。故に経済成長が続く限り、国民もまた自民党支配を許容した。それは、自民党支配が一時的に崩れたのがバブル崩壊後とリーマンショック後の一時期に限られていたことからも理解できよう。
だが、それには一定の条件があった。一国平和を担保していたのは平和憲法によるところが大きいが、武力の保有を否定する平和憲法が成立する条件として米軍の駐留と日米安保の存在が不可欠だった。その日米安保を維持するために、日本は日ソ共同宣言を反故にして「北方領土問題」という解決不可能な紛争課題をつくることで日ソ対立を決定的にした。
ところが、ソ連崩壊を経て米国の勢力が減退する中で、米国としては日本に軍を駐留させておく必要が減少すると同時に財政的にも難しくなり、在日米軍の撤収を検討するが、日本側はまず「思いやり予算」によって引き止め、日本側の財政が厳しくなると今度は日中対立を演出することで日米安保と在日米軍の維持を図っている。
自民党支配の正統性が「経済成長」にある以上、それは自民党にとって至上命題となり、なりふり構わぬ手段で実現しようとする。「アベノミクス」がそれだが、逆を言えば、経済成長が実現している限り、再分配の実態がどうであれ、自民党支配の正統性が示され、国民もまた支持を続ける構図になっている。
特に日本の場合、デモクラシー自体が休戦条件として導入されたものであるだけに、民主主義の社会的基盤が非常に脆弱であり、公教育においても「民主主義とは何ぞや」が教えられないため、日本の有権者は民主的共同体の一員であるという自覚が無く、選挙についても「支配者の信任投票」程度にしか捉えていない。国政選挙の投票率が半分しかないことがそれを示している。
しかし、「一国平和」は、日米安保を維持するために日中、日露対立を煽り、海外に自衛隊を派兵することで脅かされつつある。「経済成長」もまた日銀が無制限に紙幣を刷り、政府が大量の公共事業を発注するという形で進めている以上、いずれ破綻するだろう。
経済成長神話が破綻する時、自民党支配の正統性もまた否定されることになる。それを予期しているからこそ、自民党はパラダイム転換して一党支配の継続を模索している。それを具体化したものが「日本(国家に主権を)取り戻す」という自民党のスローガンであり、改憲案なのだと考えられる。
その中国共産党ですら民意を尊重し始めているのに自民党は無視しています(中国共産党は保身の為もありますが)
やはりリベラル派の結集が必要不可欠ですね、私はケンさんに期待しています!
中道左派の結集は20年来の課題ですが、残念ながらいまだに道筋が見えません。みんな総論賛成各論反対で。。。