認知症などで親が施設に入ると、実家は売ることができないままずっと空き家になる可能性もある(撮影/写真部・松永卓也)

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 年末年始に実家に帰省して、親の老いを感じた人も多かったのではないだろうか。両親の介護や実家の管理、財産の処分、姑問題など、そろそろ考えてみませんか。AERA 2017年1月23日号では「家族問題」を大特集。

 親が認知症になるとその資産は凍結される。介護で預貯金を引き出そうとしてもすでに遅い。この事実は意外に知られていない。2025年、高齢者の5人に1人は認知症になるという。全く新しい相続対策を教えます。

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「もし実家の父が介護施設に入ることになったら、必要なお金をすぐ払えるだろうか」

 75歳の父が何度も同じことを口にするようになったと聞いて、会社員のAさん(40代)は一抹の不安を覚えた。父はまだ元気だと思っていたが、認知症になったり怪我や病気がきっかけで要介護状態になるかもしれない。

 入所費用などで大金が必要になったら、父の預貯金を使うか、最終手段として実家を売却して費用を捻出することも考えられる。しかし認知症で父の判断能力がなくなると、まとまった預貯金の引き出しや不動産の売却はできなくなる。Aさんの子どもはまだ6歳でこれから教育費もかかるから、1千万円単位の支援は容易ではない。

「元気な今のうちに手を打っておかなくては」と思い立ったAさん。円満解決への秘策として使ったのが「家族信託」だ。

 親が認知症になると、資産が凍結される──。このことは意外に知られていない。

 厚生労働省によると、認知症の高齢者は2012年時点で462万人。25年には約1.5倍の700万人になる見通しだ。65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症になる計算で、あらゆる家庭にとって認知症は他人事ではなくなる。

 家族信託普及協会の代表理事を務める司法書士・宮田浩志さんは10年に初めて家族信託に携わった。これまでに150件ほどの家族信託を手伝った経験を踏まえ、「認知症発症前に家族信託を組んでおけば資産の凍結を防げる。“資産を有効活用してほしい”といった親の想いを実現するために家族信託は最も有効なアプローチ」と断言する。

●お金の不安が消えた

 認知症700万人時代が叫ばれる中、相続税対策などの目的で家族信託を利用する人が徐々に増えているという。まだ聞き慣れない言葉だが、家族信託とは一体どのようなものか。Aさんのケースで詳しく説明しよう。

「委託者」である父(75)の財産を信頼する「受託者」=長男のAさんに託し、管理や処分を任せる。受託者であるAさんは、父が認知症になってもその財産を凍結されることなく、委託者の父の希望に沿う形で信託財産を管理・処分することができる。

 信託は“委託者”“受託者”そしてそこで生じる利益を享受する“受益者”の3者で成り立つもので、委託者が受益者になるケースが多い。Aさんの場合は父が委託者兼受益者、Aさんが受託者となり、「父が認知症などで判断能力がなくなったとき、自宅(土地、家屋)を処分して介護費用を捻出する」「介護などの出費に備えて父の預貯金のうち300万円を管理する」という家族信託を組んだ。

「これで、万が一父が認知症になっても300万円の預貯金を使えるし、いざとなったら自宅を売却することもできる。母も姉もお金の不安が消えたと胸をなでおろしています」(Aさん)

 司法書士に依頼して父とAさんの意思を確認しながら契約書案を作成してもらい、司法書士と父と一緒に公証役場に出向いて信託契約公正証書を作成した。

 以前は“信託”は信託銀行などが請け負う商事信託が中心だったが、06年の信託法改正(07年施行)により、一般家庭でも使いやすくなった。

●財産凍結を防げる

 家族信託が注目され始めた背景には、成年後見制度による後見人の横領事件があとを絶たないこともある。

 成年後見制度とは認知症になった高齢者など、判断能力が不十分な人たちを保護し、支援するもの。「任意後見」と「法定後見」の2種類があり、任意後見は判断能力があるうちに本人が後見人を選任しておく。

 一方、法定後見は判断能力の衰えた本人に代わって近親者などが家庭裁判所に申し立て、家裁が後見人を選定。司法書士など専門職が選ばれることも多いが、悪質な専門職に悩まされるケースも増えているという。

 弁護士や司法書士など専門職の後見人による横領事件は15年には37件となり、被害総額は1億1千万円にのぼった。

「専門職が後見人についても、資産が多い場合などは後見人に監督人をつける運用も始まっている。本人の資産から後見人と監督人にダブルで報酬を払わされるのは手痛い出費になる」と宮田さんは指摘する。

 そもそも、後見制度は財産の管理・維持など「財産を守る」のが基本。預貯金があるのに実家を売却しようとしても「経済的な合理性がない」と家庭裁判所で却下される可能性が高い。

 また、後見制度は親が認知症になってから発効するが、家族信託は親が元気なうちから始められ、親の希望をかなえるための手段として使える。親が元気なとき、認知症になったとき、そして死亡した後と、ワンストップで親の意思をかなえる財産の管理や運用、処分ができる。

 Aさんも父には「お父さんの将来の介護をサポートするために、必要なときはお父さんの預貯金を使えるように家族信託を組みたい」と提案した。財産を要求するわけではなく、「親が快適に過ごすための手伝いをしたい」というスタンスだと、親も受け入れやすい。

 都内在住の会社員・Bさん(50代)は、田舎に土地やマンションを所有している母のことが気がかりだった。というのも、母のもとには所有物件の書類と間違えそうな内容の勧誘やダイレクトメールが次から次へと舞い込んでくるからだ。必要手続きと間違えて振り込みそうになったこともあり、Bさんは気が気ではない。とはいえ、Bさんが管理を引き受けるために母が所有する不動産をもらい受けると、贈与税が発生する。

 そこで母の所有不動産の管理をBさんが請け負う内容の家族信託を組むことにした。「これまでは賃貸に出している物件の契約更新などの手続きも名義人の母にしかできなかったが、信託のおかげで自分が一手に引き受けられるようになった」。Bさんの母は家賃収入を受け取る権利を保持したまま、賃貸管理などの権限をBさんに移した形だ。

●直系親族に継がせたい

「家族信託を組むと形式上は所有者となり、不動産登記簿に管理者として名前が記載される。おかげで契約書類などの必要書類はすべて私宛てに届くように変更できた。母にも“大事な書類は全て僕のところに来るから、実家に届くのは基本的に勧誘や広告だけ”と言えるようになった。家族信託には精神的なメリットも大きいと実感しています」(Bさん)

 ほかにも家族信託の活用例は多種多様だ。たとえば遺言で指定できる財産の振り分け先は、次代までの1代限り。しかし、家族信託なら2代、3代……と先々まで財産の承継先を指定することもできる。『相続対策は東京中古ワンルームと家族信託で考えよう』の著者・横手彰太さんは「不動産、現金、未上場株(中小企業経営者)のほか、貴金属やペットも信託財産となり得る。財産を誰にどう分配するかを柔軟に決められるのが家族信託のメリット」と話す。

 代々直系親族で不動産を承継してきた家族の場合、子どものいない長男が不動産を継ぎ、長男が妻より先に死亡すると将来は長男の妻の実家に不動産が渡ってしまう可能性がある。それを防ぎたければ、長男の妻の死後は次男の子など直系親族に不動産所有権を戻す家族信託を組めばいい。

 相続財産が自宅など不動産しかない場合も活用できる。不動産をきょうだいで相続して共有名義にすると、売却などの法律行為をするときはきょうだい全員の署名捺印が必要になり、全員の同意が得られないと売却できなくなってしまう。しかし家族信託を使って1人だけを受託者にすれば、受託者に不動産の管理や処分の権限を集約できる。その代わり、他のきょうだいは売却した時の代金など利益を享受できるように信託を組んでおけば、揉めずに済む。

「“家族信託を組めば相続税が○割軽減できる”といった単純な節税効果はないものの、親の預貯金の一部で投資用の中古マンションを購入すれば相続税評価額を圧縮でき、相続税を減らすこともできる。介護施設入所後に誰も住まなくなった実家を子どもが売却できれば、空き家対策にもなる」(横手さん)

●円満な相続の切り札

 ただ、家族信託にも問題点はある。適切な受託者のなり手がいない家は利用することが難しいほか、きょうだいの一部と親だけで家族信託を組むと、家族間で確執が生じる可能性がある。また、家族信託に精通している専門家もまだ少ない。財産を管理するうえでは金融機関との付き合いが欠かせないが、銀行員などの知識も不十分だという。

 とはいえ、家族信託は遺言や後見制度の使い勝手の悪さを補完し、家族で取り組む財産管理と承継の全く新しい手法。

「“親の財産を快適な老後のために使ってあげたい”と親の立場に沿った提案をし、家族で話し合って納得いく支援体制を考えるのが、円満な相続への第一歩です」(宮田さん)

 無駄な争いを避け、円満な相続を目指すために、家族信託の需要はますます高まりそうだ。(ライター・加納美紀)

●遺言書は書かなくていいの?「家族信託」だけじゃなく遺言書とセットがなおいい

 公正証書遺言の作成件数はまだまだ少ない。遺産相続トラブルは激増し、家庭裁判所での相続に関する相談件数はこの20年間で約3倍に増えている。

 よしだ法務事務所代表司法書士の吉田隼哉氏が言う。

「遺言書を書くのは縁起でもない、死んだ後のことを考えたくないと考える方がとても多い。親に『遺言を書いて』とお願いするのも言い出しにくい。このような現実が弊害になっていると考えられます」

 行政書士の齋藤昭子氏は、

「極端な話、1円でも遺産があれば相続が発生する。遺言はすべての人に必要なもの」

 と話す。

「例えば父、母、子2人のような一般的な家族で父が亡くなった場合、法定の割合では母が遺産の半分を、子がそれぞれ4分の1を受け取ることができます。遺産が現金であれば分与しやすいのですが、特にトラブルになりやすいのが不動産を持っている場合。相続人のうち1人でも納得しない人がいたら、不動産の名義変更も売却も進まなくなってしまいます」(齋藤氏)

 さらに、アディーレ法律事務所の弁護士・篠田恵里香氏は、次のような事例も多いと指摘する。

「父が再婚で、前妻との間にも子どもがいると、その子どもにも遺産を受け取る権利が発生するため、遺言がないとトラブルになりがちです」

 住宅ローンなどの借金があったり、遺産が多岐にわたっている場合などは家族信託では対応が難しいケースもあり、遺言書があったほうがいいという。

「信託に供しない財産については結局は遺言書がないとどう分けたらいいか分からない」(篠田氏)

 では、遺言を書こうと思ったらどうすればいいのか。そうみ行政書士事務所・代表の澤海志帆氏に聞いた。

「遺言には『自筆証書遺言』や『公正証書遺言』などがあります。まずは自筆証書遺言を書いてみたり、エンディングノートを活用するのもいい」

(ライター・景山薫)

AERA 2017年1月23日号