小学校時代の、わたしの家庭環境もよく知る親友。隣県の中学校で教師をやっている、かつての親友へ。仕事のことも、恋愛のことも、いろいろ話してきた親友へ。
お互い子どもが1歳を超えたけど、いまもなお、わたしはあなたを許せずにいるよ。
子どもが生まれる前の年の夏。お盆休みでお互い実家にいて、近所の喫茶店でお茶をした時のことだよ。
お互い妊娠のつらさや、育休どうするかっていう話をしてたときにさ。わたしはつわりで3か月出社できなくて、会社から「そんな状態であなたはうちにどんな貢献できるんですか?除籍でいいよね」とやんわり言われていた。あなたはつわりに苦しみながら産休までしのいだ。本当にすごいと思う。私は仕事を再開しなきゃ、世の中から忘れられる、このままでは血反吐だしながら不眠不休で培ったキャリアがゴミくずになってしまう、と焦っていたから、「とっとと産んでつわりから解放されて、一刻もはやく復帰したい。生後1か月からでも預けられるなら保育園に預けたい」といったら、言ったよね、あなた。「子どもがかわいそう」って。保育園育ちのわたしに、「保育園かわいそう」って。
そこからどういう話の流れかは忘れたけど、私は本音を漏らした。「虐待するかもしれない」。
いまでも虐待しない自信はない。当時、(もし妊娠出産育児で働けない時間が長引いて、世の中から忘れ去られたら、私はこの子を恨むかもしれない。同業者はどんどん成功を収めているのに、わたしだけこの子の世話をしなきゃいけない、ってフラストレーションの矛先が子どもに向かったら、やるだろうな)と思ってた。
そんな私のことばをきいて、あなたは顔色を変えていったね。「おなかの子が聞いとるかもしれんよ、そんなこと言っちゃダメ」。
ねえ、じゃあ、わたしはどうすればよかったの?
そんな不安な気持ちも抑え込んで、なかったことにすればよいわけ?
わたしにはそんなことできない。自分の本当の気持ちに向き合わないのは不幸のはじまりだ。自分の気持ちに向き合って、もし不幸を引き起こしそうな何かがあれば、それを摘み取るべきだと思う。
子どもを虐待して自殺してしまった女性ような女性は、自分の気持ちに向き合うことを、まわりが許してくれなかったのかな、と思う。周りにいる人が、あなたのように、自分の気持ちにふたをするのとよしとする人間ばかりだったんじゃないだろうか。ソーシャルキャピタルの貧しさによるものといえばそれまでだけど、気の毒だと思う。
いまもわたしは虐待しない自信はないよ。だけど、虐待しない自信がないから、かえって自分は大丈夫だ、という変な自信がある。虐待しない自信がある人はほんとすごいなあ。わたしはそこまで人間できてないからさ。
話はそれたけど、たぶん、わたしがあなたに「虐待するかも」と漏らしたのは、
古い友人だからこそ、私の家族を知る友人だからこそ、そして教育現場にいる人だからこそ、
「あなたの家庭環境なら大丈夫よ」とか「うちの学校の子みてるけど、あなたみたいな人が親の家庭はだいじょうぶよ」みたいな、実体験とエビデンスに基づいた、「だいじょうぶだよ」っていう言葉を言ってくれると期待していたからなんだろうな。いまだからそう整理づけられる。しいていうなら、児童相談所を活用すればいいよ&活用例も教えてほしかった。とにかくわたしを安心させてほしかった。そういうことをできる人は限られているから、あなたを頼って、あなたにSOSを出したんだ。
だけど、あなたは追い打ちをかけたね。「そんなこと言っちゃダメ」「そんなこと思っちゃダメ」って。
わたしの気持ちをないがしろにして、非科学的な「おなかの赤ちゃんは生まれる前の世界をおぼえている」みたいな話を優先させた。それはけっこう、こたえたよ。あなたを信用していたからさ。「わたしみたいな女が母親になるべきではない」「いますぐ産院に行っておろしにいくべきか」と迷いに迷った。何日も何日も泣いた。それほどあなたは、私を追い込んだよ。そのときのこと、きっと一生忘れないでしょう。
もし、あなたの目的とするところが、「虐待の可能性のある母親に対して母親の資格がないことを自覚させ、出産前に中絶させるように仕向け、虐待児を減らす」というものであれば、すごく立派だと思うよ。そんな正義を振り回せるの、尊敬する。あなたのあの言動はすごく効果があるから、続けるといいよ。わたしは中絶しそこなったけど。
でも、もしそうじゃないんだとしたら。
私個人としては、もし「子供を虐待しない自信がない」とめそめそしている妊婦がいたら「おなかの子が聞いているかもしれないからそんなこと言っちゃダメ」と怒って委縮させるのではなく、
「大丈夫だよ、産んだらかわいくみえるって!」というような無責任な発言でもなく、
「限界まで来たら言って。一緒に児童相談所に行こう。専門家も交えて、一番いい方法、いっしょに考えるよ」というくらいの、寄り添いの言葉をかけてほしい。
話を戻すけど、あなたとのお茶のしばらくあと、わたしは正式に会社を辞めた。
産後・育児で仕事に参画でなくても、世の中から忘れられなれないために、本を出版した。
出産予定日の約1か月前に出版した。出産前に、出版のプロモーション関係の企画もあった。だけど子どもは20日も予定日から早く生まれたので、すべて計画倒れになってしまった。子どもが生まれ、産院でカンガルーケアをしながら、わたしはスマホで自分の本の売り上げを確認していた。あなたからすると、自分を優先するとんでもない母親なんだろうね。「えっ」としちゃうような。
それから今に至るまで、もう1冊本を出した。いくつかの企業で顧問契約を結び、とりあえず世の中から忘れられる、という事態にならずに済んだ。無事子どもを保育園に預けることができ、母業と仕事を両立できていると思う。
この本を書いたり、出版社の編集とのやりとりや、企業と顧問契約に至るまでのてんやわんやのストーリィを、親友であるあなたに話せなかったのはとても寂しく思う。
でも、そんなことを話そうもんなら、あなたは「そんなの、母親としてどうかと思う」という金槌がが飛んできそうでさ。
去年の半ば、わたしは手紙で、「多様性を認めてほしい」「いろんな生き方があることを受け入れてほしい」とお願いした。
だけどあなたの返信は、自分の溜飲を下げるために書いた言葉ばかりが連なっていた。「私の子供第一みたいなスタンスが気に入らなかったらごめんね!でもわたしもあなたもそうだと思っている」。
いや、だから、多様な生き方を認めてほしいんだ。あなたが「子の成長のために自分ができることは何でもやるし、自分のことで子供が悲しくなることはさせないようにしたいって思っている」のは素晴らしいことだと思うよ、毒親っぽいな、田房永子さんのお母さんみたいだなって思うけど。
でも「みんな努力して必死で子育てしてるから、自分が頑張ってできそうなことをなぜしないんだろう」というような、自分の考えの押し付けが、きっつーなんだわ。
多様性を認めてほしい。
相手に自分のポリシーを強要しない、相手に自分と同じ感情を持つことを強要しない
わたしがおねがいしたいのは、そこんとこだよ。あくまでお願いベース。
最後に、あなたは私に、あのとき同じ妊婦仲間としてわいわいきゃいきゃい話をしたい、ということを期待していたのに、期待に添えられなくてごめんね。
あとね、lineでブロックしているだけかもしれないけど、「お祝い届いたよ!」という連絡もスルーするのは、不誠実だと思うよ。人間関係の断捨離中かな??
KDPセルフパブリッシングでやれクソ雑魚ナメクジ