わずか30年足らずで、人口が30万人から1400万人に増加するなど、人類の歴史上比類のないスピードで発展した深セン。世界の工場として知られたこの場所は、今も中国全土から若者が集まり、65歳以上の高齢者は2%しかいない。爆発的な発展が続く都市・深センの真の姿を、チームラボMake部の発起人で、深センで行われているDIYの祭典「メイカーフェア深セン」の運営委員を務める高須正和氏がレポートする。
● 若者が65%、老人は2% 30年で1400万人に膨張
この30年、深センの周辺はおそらく世界で最も変化した場所ではないだろうか。東京都ほどの広さに人口30万人が住むさびれた漁村だった場所が、わずか30年ほどで人口1400万人を超え、珠江デルタと呼ばれる一帯まで入れると4000万人を超える「世界の工場」エリアとなった。中心部は工場の街から金融とイノベーションの街に変化を遂げつつある。
出稼ぎ労働者や、投資マネーを当てにして一発を狙いに来る起業家を吸収し、まだ人口は増え続けている。1400万都市となった今も、20~30代が人口の65%を占め、65歳以上の高齢者は全人口の2%しかいない。これだけ「長期間にわたって若者ばかりが住んでいる街」も、おそらく歴史上ないだろう。今やGDPが香港を抜き、中国でもっとも生活費が高い街となった深センに、退職後も住み続ける人は少ない。
上の図は、深セン博物館に展示された1985年と2012年の深センの街を比較したものだ。1985年といえば、ファミコン版「スーパーマリオ」が発売された年だ。あれから20年あまりで、土地を埋め立て、大量にビルを建て、深センの地形はすっかり変わった。
しかも、2012年以降も深センの発展はまだ続いていて、今なら上の風景の中に、世界最大のドローン企業DJIのフラッグシップショップが見えるはずだ。中国全土から稼ぎたい若者が押し寄せ、毎年新しい地下鉄の路線が通っている。この2年で深センは6本の地下鉄が開通し、路線図は倍以上になった。この10年で増えた人口は400万人以上、横浜やロサンゼルスまるごとに匹敵する規模で拡大しているのだ。
● 道ばたの露店でもスマホ決済 未来を生きる住人たち
人々の暮らし向きも急速に変化し続けている。現在、深センで暮らす人たちの祖父の時代、中国は文化大革命期であり、都市部のインテリ青年は農村での肉体労働に下放されていて、深センには本当に何もなかった。それが今、深センでは電化されたバスや電気自動車は珍しくないし、自転車より電気スクーターを見かけるほうが多い。
道ばたで果物を売る老人もスマホを手にしていて、決済はすべて電子決済。ぼくは深センでは、他の旅行者と割り勘するときぐらいしか財布を取り出す機会がない。
目にする自転車は大半がシェア自転車で、スマホでロックが解除できる。クレジットカードやPCでのインターネット、電子メールといったこれまでの発展の歴史をすっ飛ばして、いきなり最新のテクノロジーが普及したことにより、過去のレガシーにいっさい配慮しなくていい発展が街の隅々まで行き渡っている。
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