ブログをやってて思うのは、ブログには意外に威力がある、という事だ。その威力というのはなかなか目立たないものなのだが、それでもある種の威力である。
はてなでブログをやっている人はみんな分かると思うが、ブログを運営していると無力感を感じる事が少なくない。
何から何まで全部パクリのキュレーション記事にブクマが何百もつく一方で、自分の書いた記事はぜんぜん読まれない。
これは本当に重要で知ってないとヤバイよ、パクリキュレーション記事に書いてある事は全部ウソだよ、という事を世の中に伝えたくても、全然伝わっていかない。
アクセスカウンターを見るたびに無力感を感じる。2年、3年とやれば状況は変わってくると思いつつも、こんな事では永遠に状況は変わらないのではないかと不安に感じる事も結構ある。
しかし、それでもブログにはある種の威力がある。
ブログをやっていて驚くのは、僕がやっているような過疎ブログでも場合によっては検索結果の相当上の方に乗るという事だ。
たとえば、今の時点でGoogleで「ポリティカルコレクトネス」というキーで検索を掛けると、検索結果の1ページ目は次のようなものである。
ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2016年5月); 脚注による出典の参照が不十分です。脚注を追加してください。
ノイジー・マイノリティ · 言葉狩り · 退行的左翼 · アファーマティブ・アクション
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ポリティカルコレクトネスとは - ニコニコ大百科 - ニコニコ動画
ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness 略称:ポリコレ, PC)とは、直訳で「政治的な正しさ(or妥当性)」。人種・性別・文化・民族・年齢・宗教・政治指向・性癖等々の違いによる偏見、差別を含まない言葉や用語や表現を用いることを意味する。
ポリティカル・コレクトネスとは - はてなキーワード - はてなダイアリー
「ポリティカル・コレクトネス」とは - 直訳すれば「政治的に正しい」、もしくは「政治的正しさ」 主にアメリカで広がった、偏った用語を追放し中立的な表現を使用しようという運動(Political Correctness、PC)を...
反日とポリティカル・コレクトネス - グローバル引きこもりブログ
2016/11/23 - 今回ポリティカル・コレクトネスを全面に打ち出したヒラリーが負け、土足でポリティカル・コレクトネスの上を歩きながら選挙活動を行ったトランプが勝ったのは日本にとってもいろいろな意味で重要だ。 というのは、人種差別がどうの反イスラム ...
ポリティカルコレクトネス【political correctness】の意味 - goo国語辞書
ポリティカルコレクトネス【political correctness】とは。意味や解説、類語。人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。米国で、偏見・差別のない表現は政治的に妥当である、という意味で使われるようになった。
ポリティカル・コレクトネス | 現代美術用語辞典ver.2.0 - Artscape
ポリティカル・コレクトネス. Political Correctness. 特定の言葉や所作によって差別的な意味や誤解が含まれないように、政治的に(politically)適切な(correct)用語の使用を是とする態度のこと。政治的妥当性。「PC」と略される。西洋的な白人男性中心主義と ...
アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする ...
2016/09/20 - 日本でも最近耳にするようになった言葉だが、アメリカでは多くの人が、日本人の想像以上にポリティカルコレクトネスに気を遣いながら暮らしている。
Wikiやキュレーションメディアを除けば、僕のエントリーが検索結果のトップにくる。
ハフィントンポストが「突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?」とか言っている所に、いきなり
今回ポリティカル・コレクトネスを全面に打ち出したヒラリーが負け、土足でポリティカル・コレクトネスの上を歩きながら選挙活動を行ったトランプが勝ったのは日本にとってもいろいろな意味で重要だ。
なんて言っている僕のブログが表示されてしまうのだ。
「ポリティカルコレクトネス」というキーで検索を掛けた人はまず、大体僕が書いた記事を読む事になるだろう。
これは自分でもものすごいうまく書けた記事だと思っているのだが、イントロから分かる通り、これ以上過激な事を書くのは不可能なくらい過激な事を書いてある。
はてな左翼を大炎上させようと思って過激な事を書いたのだが、残念ながらはてなではそれほど読まれなかった。はてな左翼は日本語しか分からない人が多いので、英語の話になるとやりにくいのかもしれない。
しかしはてなでは読まれなくても、リベラル原理主義に支配されているはずの検索エンジン会社は僕のページをレーティングして、こういう記事を検索1ページ目に持ってきてしまうのである。それほど長文の記事ではないが、検索エンジンはユーザーの行動を常にモニターしているので記事の長さの割りには読者の評判がよかったのだろう。
僕はまだそれほど長い間ブログを運用しているわけではないが、このような経験は他にもある。
たとえば、Googleで「ハーバード ケネディスクール」というキーで検索を掛けると、以下のエントリーが検索結果の2ページ目に表示される。
ハーバードというのは上流市民の象徴で、実際にここの学生や出身者はだいたい上流市民である。だから、人々がなにかハーバードについて言う時はどうしても、高貴な人を仰ぎ見るような感じになってしまう。
しかし僕が思うのは、ハーバードを始めとするアメリカの名門大学はこれほど意識が高い人だらけなのに、どうしてアメリカの社会はこんなに問題だらけなんだろうか、という事だ。
アメリカの名門大学の学生というのは、みんな意識が高く、リーダーシップがあり、優秀で努力家で前向きである。
そういう学生は当然、卒業後はそれぞれ大企業などで権力の中枢に入っていく。
これだけ意識が高い人たちが権力を持つのだからアメリカというのは夢の理想国になりそうなものだ。しかし、今のアメリカは理想国どころか、トランプのようなアウトサイダーの大富豪が大統領になるような状態である。
では、一体そういう意識の高い学生は名門大学の修士号とか博士号を取った後、権力の中枢で何をしていたのか?
答えは、オバマとかヒラリーみたいになるのだ。
あれが意識高い学生の数十年後の姿である。
ハーバードなどでヒラリーがどのように支持されたかを見ると、これはそう簡単には変わらないと思う。
こういう点を批判しないといけないのに、聞こえてくるのはアメリカの大学がいかに素晴らしいか、ということばかりだ。
そんな中、意識高い系のキラキラ情報の中で一つだけ、ブログでなければ絶対書けないような過激エントリーが検索結果の1ページ目、2ページ目にくる、というのはやはりすごい事だと思うし、見ていて爽快感がある。
もちろん、検索で上の方に乗ったからといってアクセスが急激に増加するわけではない。ポリコレの記事のアクセスは一日に20とか30とかだし、ケネディスクールの記事に至っては一日に3アクセスとか、そんなものだ。
それでも、検索すると僕の書いた記事が世の中の専門家が書いた記事より上にくるのを見ると、ブログの潜在的な威力というものはものすごいものがあると実感する。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。