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死ぬまで生きる問題

人はいつか死ぬんだから色々やってみようというブログです

心の響く高校時代の先生からもらった言葉5選

考え方

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『折に触れて思い出す言葉』を誰もが心の中に持っているでしょう。アニメや小説のキャラクター、好きなスポーツ選手や偉人、友人、家族、先生など様々な自分が出会った人や物から学ぶことは多いです。

また、その言葉たちは時に私たちの人生観を変えることすらあります。

 そして、それらの言葉は見聞きしたときに影響を与えるものと、後になって意味がわかったり好きになるものもあるでしょう。

 

そこで今日は私が折に触れて思い出す高校時代の先生の言葉についてお話しします。

目次

高校時代の私

高校時代の私は部活に入らず、勉強を頑張るわけでもありませんでした。

また、特別の趣味もなく、そうかといってヤンキーなわけでも、オタクなわけでもありませんでした。本当にただただ普通の生徒でした。

なので、部活の先生から何か言葉をもらったわけでも、勉強で悩んでいるときに先生や友人から言葉をもらうことはありませんでした。

 

そんな私が先生たちから言葉をいただけるのは授業中くらいでした。時折先生たちが授業中に話す言葉の数々を耳にしたときに『良い言葉』だなと自分自身の心に書き留めるケースが多かったです。

 

ちなみにですが、私はかなりひねくれた性格だったので、先生たちの評判は良くなかったはずです。なので、私がこうして先生たちの言葉を紹介しているとは先生たちも思っていないでしょう(笑)

 

二流は環境に文句は言う、一流は環境に適応する、超一流は環境を変えることができる

私たちの学年は例年に比べてあまり学業の成績がよくない学年でした。また、頑張った結果そうなったわけではく、常に不平不満を言っていました。

そんな私たちにある先生が学年集会でかけてくれた言葉がこれです。

『超一流と言われるような人は周りを巻き込んで環境を変えてしまう力がある。ただ、そこまでのことをお前たちに求めるつもりはない。でも、環境に文句だけを言って何もできないやつにだけはなって欲しくない。だからまずはその環境で適応できる人間になってほしい。その先に超一流があるから。』

 

この言葉を言われてもなお私たちの態度は変わることはありませんでした。

でも、大学、社会人を経るにつれてこの言葉の意味をよくわかるようになりました。どこの社会にも環境に文句を言っている人たちはいます。しかし、それらの人の多くはお文句を言うばかりで自分自身のやるべきことをやっていない人が多い印象です。

権利を主張するにはまず義務を果たす必要があります。

 

また、これは私の持論ですが、おそらく義務を果たす人のことを周りは評価してくれます。なので、義務を果たした人が周りを変えようとした時に周りの方は賛同・共感してくれるはずです。だから結果として環境を変えることができるのです。

 

なので、私は文句を言う前には必ず自分がやるべきことを果たせているか自分に問うようにしています。

大学は遊びに行くところじゃない。よりハードに勉強をしにいくところだ。

これは若いイケメンの先生が学生時代の話をしてくれた時に話してくれた言葉です。その先生の容姿や立ち居振る舞いから私たちはいわゆる『チャラい』学生時代を想像していましたし、大学に行けば誰しも楽しく遊べるのだと私は思っていました。

しかし、先生は大学はそんなところじゃない。自分のためにも必死になって勉強しろ。そうしないとその後のお前たちの人生は暗いものになると仰いました。

 

正直に言ってこの言葉は大学生時代の私には特に響きませんでした。

しかし、大学卒業後社会に出て感じたのは大学でもっと勉強しておくべきだったという後悔です。

 

大学生は良くも悪くもかなり裁量権を与えられます。とにかく自由に使える時間が多いです。そんな中でいかに自分を律してハードに勉強できるか。確かに勉強だけが大学を楽しむ方法ではありません。しかし、人生の中であれほど勉強に時間を充てられる時期はないです。なので、その後の人生を豊かにするためには大学でハードに勉強する必要があるといった先生の言葉は最近の私には非常に身に染みています。

金八先生の行動は半分は正解だけど、半分は間違え。あれでは生徒が自立できない。

私が高校時代の時は金八先生、ごくせん、ルーキーズなど熱血教師ものがかなり流行っていました。同級生の中にはこんな先生がいれくれたらいいのになと言っているものもいました。

 

そんなときにある先生が言ったのがこの言葉です。曰く、金八先生が子供たちに捧げる愛や時間は尊敬に値すると。良い教師とそうでない教師の違いはどれだけ子供たちを愛せるかだと。そういった意味ではすべてを捧げて身を尽くす金八先生は見習う必要があるところもある。だけど、間違っている部分もある。あれでは生徒たちが自立することが出来ない。困ったら先生を頼りにする人になってしまう。学校教育の目的が社会で自律していく人間を養うのだとしたら、金八先生の行動は間違っていると

 

よく学園ドラマの最後には先生の転勤が決まり、生徒たちが先生なしでは生きられないと泣き叫ぶシーンがあります。しかし、それでは真の成長とは言えないでしょう。本当に成長した人間なら別れの先にある新たな出会いや環境を楽しみにしているはずです。そのうえで先生にも感謝をするというのがあるべき姿なのではないでしょうか。

 

これは学校教育だけに言えることではないです。人同士が教え・教えられる立場になったときに最終的に相手が自律するように教育する必要があるのではないでしょうか。

なぜ社会問題が社会問題になるかわかるか? それは答えがどこにもないからだ。

これは高校の社会科の授業の時に聞いた言葉です。

世の中には民族紛争・宗教対立・貧困・政治・性差別など様々な社会問題といわれるものが存在します。しかし、それらの多くが解決の糸口をつかめずにいます。

では、なぜそれらが問題として起こりつづけるのか。それは簡単にいって答えがないからだと先生はおっしゃっていました。この言葉は問題解決を望む人、またそれに奮闘している人たちには失礼な言葉かもしれません。

しかし、私は真実だとも思います。正直に言って根本解決策はないが、向き合わなければならない問題。それが社会問題の正体なのではないでしょうか。

批判をするのは簡単。批判する時は必ずその批判したものの解決策をもちなさい。

この言葉が一番私の言葉に残っています。前述した環境への考え方や社会問題などについて考える時など、折に触れてこの言葉が私の頭の中に浮かびます。いわばこの言葉は私にとって行動指針の一つなのです。

 

正直に言って批判をするのは簡単です。目の前のことに不満をいうのも簡単です。しかし、その解決策を考えることは非常に難しいことです。

批判をしているときの人間は一種のカタルシスを感じているはずです。批判している自分に酔っているのでしょう。でも、それだけでは何も変わらないのです。

 

上記で挙げた社会問題やスポーツ・人間関係・仕事に文句を言っている人はいます。また、その批判の内容はよくできています。どこがだめで、これが足りないとすらすら出てきます。しかし、その先に具体的な解決策を挙げる人は少ないです。そうやってただただ批判を言っていても問題解決はできません。

批判の矛先になっている人たちの中には自分がよくないことを自覚している人たちもいます。

私がこの言葉を聞いた先生のケースでいえば、自分の授業スタイルが生徒に合っていなく、その結果生徒の学力が上がっていないことは自覚していました。先生なりに色々試行錯誤されていました。そういうときに相手にただ文句を言うのではなく、問題解決策や案を提案する必要があります。そうした先に建設的な議論が待っています。そうしなければいたずらに時間を使うだけでお互いに時間を浪費するだけです。

 

だから私は自分に解決策や案があるとき以外は批判はしません。

まとめ

言葉のもつ力は時に人を変えてしまう力があります。

また、時間が経つにつれて意味が変わっていくものもあります。

 

皆さんも昔見聞きした言葉を振り返ってみてはいかがでしょうか。

またあらたな発見があるかもしれません。

 

それでは、さようなら!

 

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