チョイさんの沖縄日記

 私は8年前に家族全員で沖縄に移住してきました。このブログは、辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録です。
 

懐かしい加藤さん、朝日新聞「声」欄に若者たちに寄せる投稿

2015年07月20日 | 沖縄日記

  朝日新聞大阪本社版の「声」欄に京都の加藤敦美さんが投稿されていることを知った。検索して捜すと下のような投稿が見つかった。ああ、まだお元気だと、嬉しかった。

 加藤さんは、私が1986年に始めた「君が代」訴訟に駆けつけていただいた。戦争当時、特攻隊を目指す元予科練におられたという自らの体験の痛苦の反省から、「君が代」強制を絶対に許さないと語られる加藤さんの言葉にはいつも圧倒されたものだ。当時も、たったお一人で、京都の洛西ニュータウンの各戸に自らの思いを綴ったチラシを配布して回られていた。

 この朝日新聞への投稿は、安保法案に反対する若者たちへの加藤さんの心からのメッセージだ。元特攻隊員が「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」と涙されている。この投稿を、全ての若者たちに是非読んでほしいと思う。

 

(声)学生デモ、特攻の無念重ね涙 

        無職 加藤敦美(京都府 86)   7月18日 朝日新聞 大阪本社版

 安保法案が衆院を通過し、耐えられない思いでいる。だが、学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時、特攻隊を目指す元予科練(海軍飛行予科練習生)だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。オーイ、特攻で死んでいった先輩、同輩たち。「今こそ俺たちは生き返ったぞ」とむせび泣きしながら叫んだ。

 山口県・防府の通信学校で、特攻機が敵艦に突っ込んでいく時の「突入信号音」を傍受し何度も聞いた。先輩予科練の最後の叫び。人間魚雷の「回天」特攻隊員となった予科練もいた。私もいずれ死ぬ覚悟だった。

 天皇を神とする軍国で、貧しい思考力しかないままに、死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした。16歳、18歳、20歳……。

 若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ。

 

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